とうちゃんの趣味もここまで来るとビョーキだね。
こんな写真を撮るなんて、金も時間も無駄だと思うけど。
人生には無駄なことも必要なんだよっ!−とうちゃん

面白い看板や、建築物などを探し始めました。まだ「あはは..」な物は有りませんが、とりあえず目に付いた物を並べました。
「トマソン」と呼ばれる「無用の長物」建造物を探すのが目標です。


掲載 平成15年6月27日
小京都・兵庫県出石(いずし)のマンホール

塩屋研究所・集まろう会で足を伸ばした出石のマンホールです。図柄は時計台・辰鼓楼と紅葉でしょうか。 観光町らしくカラー版です。



近隣地域のマンホール
次はマンホールです。家の前にあるマンホールが地域の図柄を入れた観光案内みたいなので、ちょっと探訪。
            
岸本町我が家の前
大山 ・日野川・しび・菊など
米子高島屋付近
ボタンの花?
米子高島屋付近
波?

            
米子市のうしゅう(これ、地名?)これは尚徳小学校前。同じ物が五千石地域まで広い範囲で有ります。
大山 ・日野川など
会見町
柿と埴輪
溝口町
鬼と山つつじ?

大山町出身・大関荒岩の記念碑
 大山町豊房出身・明治時代の名大関・荒岩亀之助の記念碑です。明治5年、鳥取県因幡郡豊房村(現・西伯郡大山町豊房)生まれ。五尺六寸三分(1.70m)二十五貫(131kg)の小兵ながら 生涯勝率78.1%、優勝6回、全勝2回。当時の大横綱・常陸山に2勝4敗、太刀山に1勝、初代小錦(あのコニちゃんではなく、明治時代の17代目横綱)に3勝と横綱、大関相手に互角以上の成績を残した、強豪力士です。 最近の下手な横綱顔負けの名大関でした。
 その記念碑が大山寺の豪円山リフトのすぐ近く、しろがね荘へ入る道の入り口にあります。建立は、昭和33年と最近の物ですが、当時の相撲協会理事長の時津風(元・双葉山)の書になる記念碑です。
 その後、昭和40年代に倉吉出身の横綱・琴桜が出ましたが、鳥取県出身の力士としては貴重な名力士です。

時津風理事長の書になる記念碑荒岩の顔写真と記念碑記念碑・裏面

おもしろ建物
「トマソン」に近い建造物。トマソンとは、昔ジャイアンツに居た外国人ピッチャーですが
でかいばかりで役立たずだったようです。それで、無用の長物=トマソンとなりました。
例えば、上がった先が行き止まりの階段とか、2階の外壁にある扉とか。
植物が生い茂って使用不能な門1(米子市)ラッティスで塞がれ使用不能な門2(米子市)横のブロックをまたげば通る必要のない門3(米子市)

境港・水木しげるロード・舗道の敷石
水木しげるロードの海側の舗道の所々に張ってある敷石です。もう少し有るみたいですが、取り敢えず6枚。なかなか綺麗ですね。3月にはこの近くに「水木しげる記念館」がオープンします。
            


おもしろ看板
まだ3つぐらいしか見つかりませんが、これからいろいろ探します。
            
岸本町「小野」と「小町」の二つの集落の境界付近
小野小町の墓が「小町」にあります
R431沿い
日野橋付近
水木しげるロード
履物屋さんの看板


お墓の墓標
いわゆる、「デザイン墓」でしょうか。従来の形にとらわれない、故人の思いが込められているように思います。これから少しずつ増えてくるのでしょうね。 この三つは岸本町の公園墓地にあるものです。
            
我が家の墓です
スキーと大山 が好きだった亡妻のために。墓地から見える大山 をそのまま形取りました
墓標に飛行機が..
飛行機がお好きな方だったのでしょうか
半球の中央に「和」の文字
家族の和、世界の和を願った方でしょうね

古い石の道標
            
左・清水寺、右・大根島(いずれも島根県)
造園屋さんの庭先。これ、売り物?
左・大山
岸本町丸山・地ビールレストランの下
左・大山
道標と大山です。
            
左・大川原、右・大山道
江府町・広域農道の御机2.5km溝口寄り
一丁地蔵
大山道路に一丁(約100m)ごとに道しるべ
右・をたか(尾高?)左・読めません(丸山へ行く道だと思われる)
大山道路、分けの茶屋跡
            
別れ地蔵と道しるべ
大山道路の一番上
左・よなご、いずも 右・みくりや、なば(なわ?)
別れ地蔵の上

江戸時代の力士の碑
 島根県東部の出雲地方は江戸時代、松江城主の松平候が大勢の力士を藩で召抱えていた関係で、いくつかの記念碑が残されています。力士たちは相撲を取るだけでなく城下に住み、海運などの藩の仕事をしていたようです。
 鳥取県出身の著名力士は、大山町出身の明治後期の大関・荒岩亀之助や倉吉市出身の横綱・琴桜などが居ます。
 琴桜関は妹さんが亡妻の同級生の奥さんです。銅像も有るみたいですが、ちょっと新しすぎて。
雷電為右衛門之碑(手形入り)
所在場所:松江市月照寺境内

 雷電は信州出身の寛政〜文化時代(18世紀末〜19世紀初)の強豪大関。一代の勝率は92.8%。横綱にならなかったのが不思議といわれる。1m96cm・169kg。雲州松平候のお抱え。
20年前の娘の左手を当てている所が雷電の手形。
日本横綱力士陣幕久五郎通高碑
所在場所:島根県東出雲町下意東の町道の脇

 陣幕は現在の東出雲町出身。幕末の強豪横綱。一代の勝率は86.6%。「負けずの陣幕」といわれたが、慎重すぎ引き分けも多かった。最大の功績は東京深川・富岡八幡宮に「横綱力士碑」を建立し、横綱の代数を記載したこと。この制定が現在の代数にまで引き継がれている。 ただし、初代・二代・三代の横綱は実在が疑問視されており問題として残っている。
釈迦嶽雲右衛門・稲妻咲右衛門・兄弟塔
所在場所:島根県安来市大塚町伯太川近く

釈迦嶽雲右衛門は当地出身。18世紀中期の大関。巨大力士として知られ、2m27cm、180kgといわれている。
稲妻は釈迦嶽の実弟で当地出身。18世紀後期の大関。
51歳まで現役を務めた。