伯耆町以外の遺跡調査

とうちゃん、頑張って休まずに発掘作業に行ってるよ。
夏の暑いときは、お昼に帰ってきても汗をいっぱいかいて大変!


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2003.11.3 名和町の遺跡・現地説明会
2003.8.15加茂岩倉(かもいわくら)
2003.5.8青谷上寺地遺跡
2003.4.24妻木晩田遺跡
 
2003.11.3 掲載
名和町の遺跡・現地説明会
 名和町の「淀江名和道路」の工事に先立って行われた遺跡調査でたくさんの住居跡が発掘されました。10月18日に「押平尾無遺跡」「古御堂笹尾山遺跡」 「古御堂新林遺跡」の現地説明会が開かれました。主として、弥生時代中期(約2300年前)〜古墳時代後期(約1400年前)の住居跡や土器、石器、鉄器などが公開され約150人の考古学ファンが訪れました。その規模や、数は近くの淀江町,大山町にある 「妻木晩田遺跡」に匹敵する物です。
 なお、私がいま調査作業に従事している「名和茶畑遺跡」はその西側で、まだ発掘調査中です。

本部テント
出土品もここに展示された
古墳時代の竪穴式住居跡
この時代には竪穴の形が四角になっている
弥生時代の竪穴式住居跡
この時代の竪穴は丸く、弥生末期には隅が丸い四角になってくる
出土した土器、石器など槍の穂先。石器では、主として黒曜石(ガラス質)を割った物が多い樽型で上に口がある土器。
用途不明。酒を入れたものかな
 
2003.8.15掲載
加茂岩倉(かもいわくら)遺跡

 島根県加茂町にある加茂岩倉遺跡は多量の銅鐸が出土したことで有名です。 農道の工事のため重機が崖を切り崩しているときに発見されました。遺跡調査の指定地域でもないところで、事前の調査も無かった場所です。出土場所は、現在出土状況をレプリカで屋外展示しています。 大小39個の銅鐸が発見されました。青銅製ですが、中には厚さが2mm位の物や、大きい銅鐸の中に小さい銅鐸の入った「入れ子」で出土しています。 小さい孔にたくさん埋めたのかもしれません。表面の模様は、鹿や亀、人の顔等が凸状態で描かれています。厚さ2mmというのもたいした技術です。近くにレプリカを展示した「ガイドセンター」があります。
銅鐸のレプリカ
厚さ2mmです。
「入れ子」になった大小の銅鐸レプリカ出土状況を示す屋外展示場
工事中に発見されたその場所です。
出土状況を示す銅鐸群のレプリカ1出土状況を示す銅鐸群のレプリカ2以前に、まとめて埋めた場所かもしれない土坑(孔)

加茂岩倉遺跡の場所は「観光案内所」のマップからどうぞ。
ホームページは「こちら」から

2003.5.8掲載
青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡

 青谷上寺地遺跡は「弥生の博物館」。今から1700〜2200年前の弥生時代の人骨、土器、鉄器、木器などの遺物が大量に出土しています。 中でもセンセーショナルだったのが弥生人の脳と刀傷のある人骨の出土でしょう。
 卑弥呼の没した西暦248年前後は各地で戦いが繰り広げられたようで、この辺が戦場だったのかも。 青谷町は、鳥取県中部の東、山陰自動車道をにらんだ羽合ー青谷道路の青谷ICのすぐ近く。遺跡調査地は現在、その道路になっています。青谷駅のすぐ近くに「青谷上寺地遺跡展示館」があります。
青谷上寺遺跡展示館
出土した脳、人骨その他が展示されている
弥生人の脳
小さなガラス瓶に入っている
出土した遺物
土器、木器など。

青谷上寺地遺跡の場所は「観光案内所」のマップからどうぞ。
展示館のホームページは「こちら」から

2003.4.24掲載
妻木晩田(むきばんだ)遺跡

明日、2003.4.25から名和町茶畑で国道・名和ー淀江線予定地で遺跡発掘本調査が始まります。昨日、場所の下見に行ったところ、丁度妻木晩田遺跡のそばを通りましたので見学してきました。
 妻木晩田遺跡は、隣町の大山町と淀江町にまたがる2000年〜1700年前の弥生時代中後期・150ヘクタールにも及ぶ国内最大級の大集落跡です。  発見された建物・住居跡は900棟、墳丘墓は30基以上、土器や鉄器もたくさん出土しています。発掘の終わった所は埋め戻され、展示室と遺跡公園になっています。入場無料ですので、関心のある方は見学されたらいいでしょう。
竪穴住居・骨組み
復元物・直径約6m・材料は栗の木
土屋根竪穴住居・復元
直径7m、面積24u
掘建て柱建物・復元体
一辺約3m、面積8u。住居では無さそう。
四隅突出型・墳丘墓
1.6×1.3m。前方後円墳の原型とも言われる

妻木晩田遺跡の場所は「観光案内所」のマップからどうぞ。
妻木晩田遺跡のホームページは「こちら」から