バカ漫画 其之壱
「泣くな!ケン」
〔聖教新聞社〕
S48/5/18初版発行
作・きだい三郎 著・矢口高雄

(C)矢口プロ

 記念すべきバカ漫画 特集、第1回目のゲスト……じゃない、作品は
 『釣りキチ三平』『マタギ』などの名作でお馴染み矢口高雄 先生でございます。

 最初にお断りしておきますが、私は矢口先生の大ファンです。作品は、ほぼ全部持っております。
 もちろん初版で。 『マタギ』青林堂版がないので、だれか譲ってくれたら大喜びします。
 自然を描くリアルなタッチも、自由奔放なストーリー展開も、自然環境への暖かな視点も、更には農業や現代社会への鋭い分析も含めて無茶苦茶評価しておりますし、尊敬もしております。
 個人的な評価ではありますが、私のメインコレクションである
 手塚治虫・水木しげる・藤子不二雄・石ノ森章太郎
など各氏大御所と比較しても全く遜色ない偉大な作家さんだと思っております。



 そんな、私の尊敬する矢口先生に、
よくもまぁ、こんなヘンテコな作品描かせてくれたもんだ

許すまじ! 原作者きだい三郎 それから、版元聖教新聞社

 (つーかきだい三郎って誰? 検索かけても、この怪作以外の項目、出てきやしない)
   とりあえず、こんなとこが今回のコンセプトでございます。やれやれ……



  さて、この単行本ですが、作りは非常に良いです。
  何といっても、最初の14ページが

  矢口先生入魂の出来です。素晴らしい!(これで、あの原作なければ言うことなし!)
いや〜、(かね)持っている団体さんは違いますな。これで定価は¥300(当時)。お得です。

  ストーリーは、名作『マタギ』の世俗版、少年版と言ったところでしょうか。

 舞台は北海道、十勝・大雪山系の麓にひっそりと佇む開拓村・新村。
ここでは、冬が近づくにつれ、巨大なヒグマ「耳カケ」の猛威に村全体が脅えていた。

そんな中、「父なし子」として毎日のように友達から苛められる主人公の少年・ケン
ある日ケンは、爺ちゃんから自分の父親が耳カケに殺されたことを知らされ、ショックを受ける。
鉄砲の達人である爺ちゃんは、自分を庇って死んだケンの父のため、その日から銃を封印していた。しかし、耳カケのあまりの残虐さと、村のあまりの被害の多さに心動かされ、再び銃を持ち、耳カケを撃つ決意をする。
だが結果は、同じ山狩りに出ていた者を庇って耳カケの爪にかかり、瀕死の重症を負わされる。

ケンは傷に苦しむ爺ちゃんに復讐を誓う。耳カケを撃つべく、覚えたばかりの鉄砲を手に、愛犬カムイと共に雪山に分け入って行くのだった。そして・・・・・・

  …………ま、こんな話です。
 実はこの作品。矢口先生の漫画史の中でも、結構重大な意義があるんですよ。

矢口高雄先生は、『長持唄考』ガロからデビュー。そして
『おとこ道(作・梶原一騎)』サンデーに連載、単行本デビュー(全2巻)
『燃えよ番外兵(作・小池一夫)』チャンピオンに連載。(全1巻)

だが、今ひとつ人気に乗り切れてない。やや停滞気味な雰囲気。


  そんな中、この作品の主要なテーマとなっているのが

自らの少年時代の生活体験を漫画の中で表現することで
自然と人との関わりを、よりリアルに描き出すこと

漫画史に残る名作『マタギ』『釣りキチ三平』などに続く、その後のエポックメイキングとも言える
作品が、この「泣くな!ケン」だったはずなんですよ。




  しかし……


 版元は天下の創価学会・聖教新聞社
手塚治虫『ブッダ』横山光輝『水滸伝』『三国志』など巨匠には自由に描かせはしますが、
まだ売れてもない貧乏漫画家ごときに対しては、容赦欠片もありません。

 原作者きだい三郎の手により、↑上記白地)の緊迫感あるストーリー展開
見事、宗教色の強〜い、お題目臭〜い怪作と化してしまいましたとさ

  以下、この作品に登場する主な宗教用語(つーか、学会用語)。オンパレードですな。

 P.20〜21 「父なし子」と苛められたケンに、爺が一言。 
爺 「おまえには御本尊様という最高のお父がいるんじゃ。人に言われたら言ってやれ」
  「つまらんことでケンカするな。自信をもて、御本尊様はすごいぞ!


  御本尊様は「すごい」んだそうです。自信を持てるほどすごいって、何がすごいの?何が?
ナニでしょうか………………【不適切な発言がありましたことを、謹んでお詫び申し上げます】



 P.30〜34 部員会にて。「世紀をになう少年部五座三座の勤行の実践の貼り紙
指導員 「……21世紀の人間として、わたしたちは伝持の人とならなければいけません。……」
ケン  「なあ、松川(ケンの友人)……伝持の人って一体なんじゃ?」
松川 「あのなあ、伝持の人とはな、正しい仏法をたもち全世界に伝えていく人のことや。
     池田先生のもとにやぞ」


  五座三座の勤行の実践・・・すみません。調べたけど分かりませんでした。。
  要は「」を五つまわり、更に三つまわって勤行に励む…ってことか。 「」は本願寺いうところの「」みたいなモンかな。 ……だったら、単に「勤行(修行)しよう」の一言で済むんじゃないかと思いますが、何でこんな面倒くさい言い回しするんでしょうか。
 そして、遂に
池田(大作)先生御降臨!…かと思いきや、御本人は登場せず。あら残念。
「正しい仏法をたもち全世界に伝えていく」のは大事なことだとは思うのだが、それがどうして
池田先生であるのか分かりません。多分、そのあたりはツッコんではいけないのだろう。



 P.52〜54 運動ばかりで勉強が出来ず悩むケンに、担任の浅川(美人)先生のアドバイス。
浅川先生 「そうそう、こんなすばらしい言葉があるわ。
      
『算数ができない、理科ができない、しかし全部やりぬこう。
      
宇宙の法則の一つだからだ』

  あぁ、浅川先生。美人なのに、学会員?。美人なのに、「宇宙の法則」?美人なのに、あちらの世界?
学会員であるケンが、宿題忘れた罰で教室の掃除してるのは暖か〜く見守っているのに、
非学会員のいじめっ子には
宿題やってきてるにも関わらず便所掃除を言いつける浅川先生
差別だよ〜〜、露骨に差別するよ〜〜。美人なのにぃぃ……
以下略
  それにしても、いくらなんでも「宇宙の法則」…ってぇのは、えらく飛躍したモンです。
だから算数や理科をやらなきゃならん…って、それ子供が学ぶための動機付けになるのかしらん?
宇宙の法則 だから算数や理科を勉強します」な〜んてこと言うガキって、なんか嫌だなぁ。
   まして、学会員の先生ということになると……
念仏無間 禅天魔 真言亡国 律国賊!!」
そんなこと授業で口走ったりしないかと、ちょっと心配になってしまいます。老婆心にちがいない。



 P.143 ケンを待ち伏せしていたいじめっ子たちに対する、ケンの心の声
ケン [キミたちは、よくよくケンカの好きな連中だな……だが、今のオレはケンカなんかしないぞ
    伝持の人となるために………御本尊様に約束したんだ………]


  でもその後で、お父や爺ちゃんのことをバカにされ、ブチ切れて殴りかかるケン
結局ケンカしてるじゃん。
伝持の人は、どこへいった…・? 御本尊様との約束は…?
  これはつまり、アレですな。
日蓮上人とか池田大作先生とか、なんとか学会とかが
バカにされたら、
ブチ切れて殴りかかってもOK(つーか、殴りかかれ!
という、暗示ではないかと。これも邪推にちがいない。



 P.220〜221 大団円のラストシーン。ケンの銃が耳カケを倒し、めでたしめでたし。…のはずが
ケン 「じいちゃん、オレあのとき、じぶんで鉄砲をうったんじゃないんだ。
    耳カケの目を見たとたん、からだが動かなくなったんだ
    そして木の根につまづいて転んだとき、思わず心の中で御本尊様!!って、
    叫んでいたんだ。だから鉄砲の引き金を引いてくれたのも、ぼくを守ってくれたのも、
    きっと御本尊様に違いないと思っているんだ」

爺  「そうじゃ。そうに決まっているよ、ケン」
ケン 「じいちゃん、オレこれからもうんと頑張って、りっぱな牛飼いになるよ」

 それにしても、最後の最後まで、御本尊様」「御本尊様と連呼しとります。
最後のヘンまでいくと、御本尊様ほとんど
守護霊扱い。
実はこの御本尊様、百太郎って名前だったら
思いっきり納得するぞ(笑)



    
 総括
 法華経の経文の中に
「法華経の行者は必ず法難を受ける」という予言がございます。
日蓮さまご本人が、
「大難四度、小難数知れず」 と言ってたほどの迫害にあっておりまして、
   (原因は日蓮さま唱えるの排他的教義への反発でして、ほぼ自作自演自業自得です)
ことごとく生き延びてきたため、自らを「法華経の行者」だと勘違い自覚した経緯がございます。
  主人公のケンが、この経験をきっかけに、

「法難を受けたから、ボクは予言どおり、法華経の行者(伝持の人)になれるんだぁ!」
……などと、妙な勘違いして、更なる危機にさらされないかと危惧して止みません。
 正確には「法難」とは「三類の強敵」すなわち、「俗習増上慢」「道門増上慢」「僭聖増上慢」のことでして…
ぶっちゃけ言ってしまうと、「人」による迫害のことを指すのだが、んなことケンは理解してなさそうだし。

 そもそもこの話も、いくら爺ちゃんやられてキレていたからといっても、巨大ヒグマ退治に一人で山に出かけるなんざ、たまたま結果オーライだったから良かったものの、危機に瀕しても、そりゃあ自業自得以外の何モノでもないわ。
 ちっとは他人の迷惑も考えんかい、このガキ!!



ごめんなさい、池田先生。これ読んだら
マジで泣けてきました

  (いや、別の意味で笑える作品でもあるのだが)


自然と人との関わりを描いた矢口先生初期の傑作となるはずだったのに、
何が悲しゅうてこんな爆笑の怪作に・・・・。

泣くな!と言われても、泣きたいのはこっちですよ。


  ちなみに、矢口先生。自分史エッセイ漫画『やまびこ(毎日新聞社)』の中で、
三十路過ぎにして銀行の職を辞し、子供の頃からの夢だった漫画の世界に飛び込んでいった経緯が
詳しく描かれてります。 しかも、すでに妻と2人の子を抱えた中での再出発
  幼い頃からの夢をかなえるまでは、そして、自分の選んだ漫画の世界で生きていくためには、
どんな仕事でも選り好みしていられなかったのだと思います。 
たとえそれが、こんなに宗教臭すぎる原作 であっても・・・

  そんな先生の窮状につけこんで


よくもまぁ、こんなヘンテコな作品を
 敬愛する矢口先生に描かせてくれたもんだ。

 原作者きだい三郎、版元聖教新聞社  許すまじ!
      ま、結論そういうことです。やれやれ・・・ふりだしにもどる↑

参考・・・遊撃隊より(創宗戦争資料館
学研Books Esoterica『日蓮の本』

このレビューに感想でも書いてやろうという奇特(ヒマ)な方は、バカへの一言にお願いします。
トンデモねぇコーナーだ!怪しからん!文句言ってやる!という方はこちらへ。