モハべ砂漠  

Mojave Desert

祖父達の住いのある
サウスパサデナから約100km。
デスバレーの南だ。

昭和17年日本軍の真珠湾攻撃
によって日本人移民は一斉に
各地の強制収容所へと送られた。

「二つの祖国」の舞台となった
マンザナール収容所は
このモハべ砂漠中にあった。

その一万人の内には米国に
留まらざるを得なかった
祖父の甥たちもいた。

彼は18年クリスマスイブの明け方44歳で亡くなる。戦後日本に届け
られた手紙には「病死」とあったが
これもひとつの戦死に違いない。

彼らの息子達「二世」はやがて
アメリカ軍に志願して行くことに
なる。 そして帰国した祖父の
息子は学徒動員によりビルマで
戦死した。

昭和21年秋、我が家に帰還した
最初の軍人は、ヨーロッパ戦線
から米軍の軍装で玄関に
立つ従兄弟のJoeだった。

戦争の悲劇である。


モハべ砂漠のサボテン
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