1932 ロサンゼルス
    オリンピック

 けふぞ緑の風に
  翻る十旒の日章旗

こんな当時の大阪朝日新聞
の見出しとともに、三選手 
今村少佐、吉田少佐、西中尉
の雄姿が掲載されている。

祖父が担当した決勝・優勝
場面は水泳百米自由形では
宮崎選手。陸上三段跳びの
南部忠平氏。このとき三位も
日本の大島選手だった。

奇しくも千五百米競泳で優勝
した北村選手は後に大戦の
シッタン作戦では濁流の渡河
に成功したのだ。



同じ年、祖父は父親の法事のため
半年間の帰国を果たす。

父を亡くしたのが1926年9月。
ようやく生家が再建成った年であった。
最初の作品「Evening waves」1927は
父の死を悼む心の結晶なのだと、
改めて見直してみると、写真に没頭して
ゆく祖父の気持ちも少し理解できる。

この帰国はオリンピックの選手団との
同行の船旅だった。当時36歳の祖父
にとって運命の糸があの狂おしい戦争
の時代へと続いていることなど
..............誰にもわからないこと。

40歳、大陸を離れるまでの幸せな20年
の日々はまだUpできません。
すべてを無みする戦争の罪過に
すへての人間が気づくまで
大切な絆は封印しておくことにした。

ロスアンゼルスオリンピック

つづく
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