
皆さん、おはようございます。
先日は東北地方で、震度6強、マグニチュードは7.2というたいへん大きな地震が発生いたしました。不幸にしてお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、今なお発見されていない方々が一刻も早く救出されますよう、そしてまた、お怪我をされた方々、被害に遭われた皆様に心からのお見舞いを申し上げたいと思います。
本県からも早速に、5名の職員が現地に派遣されたということでありますが、西部地震の経験やノウハウが、少しでも被災地の皆様のお役に立てますよう願っております。
弓浜半島美保湾海岸線の整備について
今日は弓浜半島美保湾海岸線の整備について、平井知事に質問をいたします。
弓浜半島は、本県の西の端に位置する幅3q、長さ20qの細長い半島であります。
地図の上から見れば、本県にとってはまるで豚の尻尾のような存在にすぎませんが、米子空港、境港湾、境漁港を有し、本県経済の要衝であるといっても過言ではありません。
また、天の橋立と並び、我が国を代表する一大砂州としても名が高く、大山山麓から美保湾に向かって弓状に続く、白砂青松の海岸線の美しさは、郷土の誇りでもあります。
この弓浜半島は、日野川からの流砂が風と潮の力によって運ばれ形成されたものですが、ほぼ現在の姿となるまでには、気の遠くなる程の長い年月がありました。半島の先端部が夜見島と呼ばれる島から、陸続きの半島になったのは、ごく最近のことで平安時代に入ってからのことであるといわれております。奈良時代初めに編さんされた「出雲国風土記」は、やがて陸続きになっていく往時の姿を、細長い「国引きの綱」に例え、大山を杭にして、高志の国から島根半島を引いてきたと表現しております。
日野川の流砂が形づくったこの不毛の地にも人が住み、土地を耕し、業をおこし、やがてはこの美保湾海岸線にも人の力が及ぶようになりました。
島根半島を背にして、天然の良港とうたわれた境の港が、北前船の寄港地として急速に発展したのは江戸時代末期のことでした。
明治に入って、港は更に伸展し、40年には全国12港の重要港湾に指定されるのでありますが、日野川からの流砂が港の入口に沈積し、大型船の入港を妨げることが最大の難点でありました。
大正8年、1300名の町民参加により、「境港湾修築期成会」を組織、熱烈なる運動によって、昭和5年に完成したのが、延長2918メートルの防波堤でありました。
さらに近年、昭和町、竹内団地が造成されるとともに、沖合に全長3730メートルの防波堤が築かれ、二つの造成地を荒波から防いでおります。
一方で日野川は、上流域で行われていた鉄穴かんな流しによるタタラ製鉄が、大正時代から衰退、終焉するとともに、土砂の流出が減少し、河口部の皆生海岸の浸食が始まるようになりました。最大で300メートルも浸食し、温泉旅館や源泉などが数回にわたり海中に沈むという大きな被害が生じました。
昭和31年、「津波、高潮、波浪その他、海水又は地盤の変動による被害から海岸を防護するとともに、海岸環境の整備と保全、及び公衆の海岸の適正な利用を図り、もって国土の保全に資することを目的とする」海岸法が制定され、堤防、突堤、護岸堤、砂浜等の施設の新設、改良又は、災害復旧に関する工事について、規模が著しく大である、高度の技術を必要とする、高度の機械力を使用する等のときは、海岸管理者に代わって、国が直轄で工事を施工することができるとしました。
この法律を適用し、皆生海岸は昭和35年4月、全国初の直轄海岸工事区域の指定を受けて、離岸堤をはじめとする浸食対策工事がすすめられております。
しかしながら浸食箇所は徐々に境港側に移り、現在は夜見・富益工区において離岸堤が築造中です。
また、波によって削られた砂は、境港側の海岸に堆積するため、浸食対策と同時に、元の場所に砂を返すサンドリサイクル事業も必要で、弓浜半島の海岸は、港湾区域を除く全域が、直轄事業の対象となり得る海岸保全区域指定を受けており、その管理者は、鳥取県知事であります。
昭和35年以来の弓浜半島における海岸保全事業は、平成19年度末で実に228億8000万円にものぼるということでありますが、今後とも、景観や漁業振興の側面を加味した浸食対策やサンドリサイクルによる海浜の保全に期待するものであります。
弓浜半島美保湾海岸線には、こうした直轄事業の他に、県が独自に施工した突堤や護岸もあります。
県や米子市、境港市が管理する河川は、それぞれの管理者が、それぞれに個別の対応をとっております。
米子市が管理する皆生漁港は、この冬、港の中に大量の砂がたまり、船も通れない状態で、その対応が先般、大きな話題を呼んだところでもあります。
境港管理組合が管理する公共マリーナも、毎年1000万円をかけて、砂を撤去しておりますが、今年の堆積は異常に多く、その対応に苦慮しております。
こうした状況に各管理者が、個別に対応し、構築物の設置に至れば、それは即、別の箇所に連動し、新たな被害が生じるという、まさにイタチごっこでありますし、現に、こうして造られた過去の施設が、海岸の景観を大きく損なっているのであります。
大自然のすさまじい威力と、無秩序なこれまでの対応の結果、見るも無惨な姿と化した弓ヶ浜の現状を深く憂うるものであります。
弓浜半島の長い苦闘の歴史を省みて、今、我々がなすべきことは何なのか。
海岸管理者として、県がなすべき役割はどこにあるのか、知事のお考えを伺い、壇上からの質問といたします。
○平井知事(答弁)
安田議員のご質問にお答えを申し上げます。
まず冒頭、岩手・宮城内陸地震についてお話しがございまして、鳥取県としても震災の経験県として、それを活かした支援を行うべきではないかというご指摘がございました。
突如この週末、岩手、宮城、そして秋田も含めました県境の地域で、マグニチュード7.2の地震が発生いたしました。これは内陸型でありますけれども、特徴的なのは山地が大幅に崩落をして――私共も思い出すんですが、平成12年10月6日、鳥取県西部地震の時も崖崩れが随所で発生しました――しかしあの地域は火山灰が非常に多い地層だったようで、私共のほうですとバラバラと石が落っこちてきたりしまして、まるで置石のような凄まじい景観が見えましたけれども、ああいうことではなくて、山ごと崩落をするということが今回、被害を大きくする要因になったと伝えられているところであります。
現在、亡くなられた方が9名おられ、行方不明の方も13名おられます。負傷された方は200名を超えるといわれております。現在もまだ命を救うべく、必死の努力が続けられているところでありまして、私共としてもでき得る限りの協力をしたいと思いますし、また亡くなられた方のご冥福を謹んでお祈り申し上げたいと思います。
地震の発生しました土曜日の、12時頃に私はまず、宮城の村井知事に電話をいたしました。それで先方から12時20分頃、携帯電話(の番号)をお互いに交換しているんですが、なぜか携帯電話が通じまして、向こうからコールバックがありました。
その時に私共鳥取県として、震災の経験もあるので――宮城ももちろんご経験はあるでしょうが――山地型の災害を経験をしておりますと、ですから何かお助けできることがあるかもしれない、例えば家屋の危険度判定だとか、あるいはボランティアの災害応援隊も組織しておりますというお話しを申し上げました。ただ、かなり遠隔地でございますので、ヘリコプターでただちに部隊を派遣するということは、事実上無理な状況でございまして、初動よりもその後の復旧のほうなどで、我々も援助できることがあるんじゃないかと申し上げました。
村井知事は、たいへんありがたい申し出だというお話しをされました。ただ現状において、山の中の公共土木災害のようなイメージを彼はお持ちでいらっしゃいましたが、山の中で特に大きな災害があって、人家のほうの被害は限定的ではないかと見ていると。ですからまた必要があれば私共のほうに連絡をしたい、その時はよろしくお願いしたいというお話しでございました。
さらに岩手県のほうの災害対策本部にも連絡をとりまして、12時半頃に副知事とお話しをさせていただきました。
先方からは、いま自衛隊などに応援に来てもらっていて、それは初動でたいへん助かっているというお話しがありました。そして我々のほうから申し出た支援につきましては、現在は被害の状況がよく解らないので、被害の状況を把握しながら必要に応じてお願いをしたいと、こういうことでございました。
そのような状況でございますので、私共の防災局のほうから、取り敢えず現地のほうに出向かせていただいて、話をお聞かせいただいたり、状況を把握して我々で応援できることを考えてみようと、こういうことにいたしまして、昨日まずは岩手県のほうに派遣をいたしております。夕べのうちに宮城に入りまして、今日は宮城の災害対策本部のほうにお伺いをすることにしております。
それで今、状況を把握しようとしておりますが、例えば全壊の家屋が現在のところ2棟というふうに言われていまして、鳥取県の鳥取県西部地震とは大分様相が違うようです。鳥取県西部地震の時は中山間地が中心の災害でありまして、断層が下で走り被害が発生しましたが、今回は人家から離れたところが中心となっています。ですから温泉とか非常に厳しい被害の状況が伝えられていますけれども、戸数は限定的なようでございまして、現地のスタッフでかなり対応できる状況のようだということは、岩手を歩かせていただいた感触でございます。今日には宮城からも詳しいお話しを聞かせていただいて、今後の対応について話し合いたいと思っております。
ただいずれにいたしましても、私共のほうでお見舞いも西部地震の時にいただきましたので、岩手県と宮城県、それぞれに30万円ずつ――私共のルールもありますので30万円ずつ送らせていただくことといたしまして、今日は宮城県のほうの災害対策本部を訪れますので、そちらのほうにはお渡しをいたしたいと考えております。
こういうような状況でございますが、一日も一刻も早く行方不明の方が無事発見されることをお祈りを申し上げたいと思いますし、震災を受けた県としての経験を、こういう機会に発揮させていただきまして、当時の私共にお見舞いをいただいたり、いろいろとご支援いただいたことへの感謝の気持を、述べさせていただきたいと思っております。
それから2点目として、弓浜半島についてのお話しがございました。
白砂青松の松原である弓ヶ浜が凄惨な状況におかれている、その弓ヶ浜をこれからどのように、我々は考えていったら良いのだろうか。海岸管理者として為すべき役割は、これからはどのようにあるべきなのか、というご指摘がございました。
議員のほうから豚の尻尾のようなというお話しがございましたけれども、私がやはり何といっても思い出すのは、神話の世界であれが綱として使われて、そして大陸から国引きの綱を結わえ付けて引っ張ってきた綱だと言われていることで、これに例えられるように、ちょうどその日本列島から大陸に向けてぐっと一本の道が伸びるような、そういうものであろうかと思います。
弓浜半島は細長い砂州でありまして、南北16q、東西4qに及ぶ砂州でございますが、全国的にも稀に見る大規模な砂州でございまして、そこに白砂青松の松原が、特に外浜のほうで広がっている訳でございます。
この景観の維持をしていくこと、また海岸の浸食も激しい訳でありますし、その片方で堆砂が見られる訳でございまして、こういうものを解消していくこと、復旧していくこと、これも同時に求められる努力であろうかと思います。
いま、いろいろな取り組みがなされております。
議員のほうからご指摘がございましたが、かつては海岸に対する浸食が激しくなってきまして、皆生温泉のすぐ目の前まで迫ってくる、そういう事態も発生しました。ですからその後、国のほうの直轄事業の適用が受けられるようになりまして、国の直轄事業に基づいて皆生の海岸のところをずっと整備をしてきた、そういう意味でトンボロの特徴ある砂浜が広がるようになってきた訳でございます。
一応、皆生温泉のところの浸食、宿に迫るくらいの浸食は終息を見せておりますけれども、ただ景観的にこのままで良いのだろうかという声が上がっておりまして、国のほうでいろいろと研究をされて、単純なああいうむき出しの堤防ではなくて、沈堤のような形でさらに景観に配慮した海岸事業に転換していくべきではないか。そういう検討作業を行って実行に移されてきているところであります。
その片方でそういう対象外のところは、今度は堆砂が見られる訳でございまして、それは皆生の漁港が深刻でありますし、ご指摘いただきました私共の境港の管理組合のほうで管理をしているその外のところでございますが、マリーナの外側のところの堆砂が非常に激しい訳であります。
現在はサンドリサイクルとして、それを持っていって活用してもらうというやり方を、国の協力を得ながらやっております。皆生の漁港のほうも、今年話し合いがつきまして、漁港の砂を国のほうの直轄で取り、それをサンドリサイクルで使う、そういう事業になった訳でございます。
ただ確かに議員がおっしゃるように、果たして海岸としての一体性が保たれるような形で構想が練られているか、司令塔がうまくいっているかということについては、それは私共も考えなければならない点があろうかと思います。
実はいま鳥取砂丘など東部のほうでは、私共の鳥取県、それから国ですとか、あるいは市とか鳥取大学とかいろいろ入りまして、この海岸線のあり方を考える、検討の委員会が立ち上がってきております。ただこの皆生海岸のほうは…皆生海岸から境港にかけての、弓ヶ浜の白砂青松の松原の辺りにつきましては、そうした体勢ができあがっている訳ではありません。
現在、国の直轄事業が動いているものですから、国土交通省のほうで鳥取環境大学の野田先生をトップにした、研究委員会が作られています。これに私共県のスタッフも入っております。ただし市の顔が見えているのか、など、まだまだ不十分な点もあると思います。
国交省の委員会の皆さんとも話をさせていただき、海岸管理者としての県の役割もありますので、県が主導権を握った検討委員会にして、さらに衣替えをして立ち上げるのが良いのか? あるいは国交省のやっているものを、それをさらに共同化するような形で、国と県の共同のような形で、国交省の直轄に入っていない部分も含めた海岸管理に市も入っていただくような、そういう枠組みを作るのが良いのか? いろいろ考えてみたいと思います。
いずれにせよこの白砂青松の松原は貴重な財産でありますし、後世に残していかなければならないと思います。
しかも堆砂が片方でかなり急激に起こるという現象もありまして、鉄穴流しの昔から比べると流砂が減っている訳でございますが、それでも弊害も現れている訳でありますので、いろんな考慮要素が必要なのではないかと思います。
基本的には鳥取県では先般、私共の考え方をまとめておりまして、自然の力でできる限り海岸が保全されていくのが良いと思っております。ただ、それでどうしてもできないところは、やはり何らかの人工の手を加えるという考え方で向かってはどうだろうかと思っています。
例えば先般、気高のほうの浜村海岸に――これは波浪災害ですが――ラーメン屋さんの下のほうまで随分と浸食の手が伸びるようなことになりました。こういうことに対しては、そのままの浜村海岸の自然を残すのが、もちろんベストなんでしょうけれども、それだけでは耐えられない。ですから人工の手も加えて、災害復旧といいますか、災害関連のような形で事業を施す必要があるんじゃないかと考え、いま国とそれを協議し、また始めようとしているところですが、そうしたような形でできるだけ自然の力を活かしながら、足らざるところを人工の手で補う形でやっていきたいと思います。
併せて皆生の弓ヶ浜の海岸や富益などを守ろうという動きが、住民の手で始まっております。弓ヶ浜の松を守りたいという地元の住民の皆さんが、NPOの組織を結成しまして、そうした民力の形で松を守ろうという運動も始まりました。こういう動きとも連動しながら私共もやっていきたいと考えております。
○安田議員(追求質問)
たまたま私、弓浜半島の話をしようと思ってましたら、東北のほうで大きな地震が発生しました。
最近とみに、地球的規模といいますか世界的規模で自然の大きな変動期に入ったんではなかろうかと思われるような、いろいろな災害が起こっておりまして、ずっと弓浜半島の歴史を顧みますと万年の単位で事が起こっている、そういう自然の力というものを軽々しく考えると本当にとんでもないことになるなということを改めて痛感いたしますとともに、この間、私たちは人間の力でその自然に対して様々な形で力を加えてきた。そのことと、いま自然の力と人間の力と、どのように整合させていくのか。かつてのあの白い砂浜を単に取り戻す、そういうことではなくって、新たなる景観というものをこれから目指していかなきゃいけないんじゃないかなあと、いうふうにも思ったりやしております。
大きくいいますと、いま知事にもご答弁いただきましたが、県のほうは全国で初の立派な海岸管理のガイドラインをというものを平成17年にお作りになっているということを、このたび初めて私も知りました。それも国交省の日野川河川事務所に参りまして、向こうからご指摘をいただきまして、県は作っておられるんですよと、いうふうに言われまして、びっくりしたような次第でございます。
それで私も読んでみましたら、確かに17年に作られたこのガイドラインというのは、いま知事がおっしゃった通りでございまして、自然の力でまずは何とか整合させていくんだと、足らざるところを施設整備とか人力、そういうもので整えていこうじゃないかという、たいへん立派な計画でございます。ただこれに対して、関係者の間で、やはりいまの皆生漁港もたいへん米子市は、1400万円を年間に使って、砂の撤去をやっている。それがあまりの異常さに対応できないで困っているところに、国交省が乗り出してくれて自分たちの足らない砂を使ってくれた。そういうことの調整機能は、本当に海岸管理者である県が、前に見えないんですね。そこのところを私はちょっとこの問題に関して、指摘をしておかなければいけないんじゃないかと思います。
先般、5月の末でしたか、地方分権の改革推進委員会が第一次勧告を出されました。1級河川につきましては、これから県のほうで受け持つようにということでありました。鳥取県の日野川もその対象に入るようであります。
国交省の日野川河川事務所が、いまたいへん大きな力になってくれております。知事も言われた通りであります。ところがこの日野川河川事務所は、直轄工事が終わるとそれはもう、鳥取県にお返しするんですよと、工事の終わった箇所については鳥取県が管理されるものなんですよと。
現に日吉津の海岸線は、もう工事が終わったので、鳥取県に管理していただくべくお返しをいたしましたと。富益については、いま5基の離岸堤が築造中でありますが、あと2基を残すだけになっております。それが終われば大体全部終わりますと、こういうふうに言っておりました。
私はこれからの方向性を見据えた時、やはり管理者として県がもう一歩前に出て、それぞれの海岸に関係する米子市、境港市、そして管理組合、それに国交省さんにも当然加わっていただきまして、有識者の皆さんにも当然ご協力をいただきながら、一緒になってこの海岸線を管理していく。みんなで情報を共有し、どうしたらいいだろうか、あるいはこの美保湾はどういう流れになっているのか、どういう現状なのか、そこのところを研究する、そういう体制を、県がもう一歩前に出ていただくべきではなかろうかなと、いうふうに考えるのですが、そこのところを平井知事のお考えを伺わせていただきたいと思います。
○平井知事(答弁)
まず現在のいろいろな地震被害を見るにつけ、自然の問題、あるいは今回の岩手・宮城内陸地震でございますが、確かにいま変動期といいますか、地震の多発期に入り始めているのではないかというように考えます。
特に阪神・淡路大震災以来、西日本のところは活性期に入ったのではないかというように、学者の皆さんもおっしゃっていますし、最近は大阪市の市街地の下を断層が走っている、そういう指摘もなされている訳でございまして、警戒すべき時期にきていることは間違いないと思います。
そういう意味で国際的にも連帯しながら、こうした自然災害への対処、ノウハウ、あるいはいざという時の人的な支援体制、こういうものを構築していくべきだろうと思います。
私共鳥取県は、震災を経験した県として、そのパイオニアとして果たすべき役割があると思いますので、今後ともそのことに努めて参りたいと思います。
そしてその自然の力と関連させて、弓ヶ浜のお話しがございました。
これは長い年月をかけて、延々として延びてきたものでございます。元々特に内浜の方面が発達しながら延びていたものに、それに鉄穴流しといわれる鉱山の営みの結果、その結果として砂鉄の砂が流れてくる。それがさらに助長したものですから、外浜のほうが発達したんじゃないかというふうにいわれています。
いろいろとその地質学的な分析はあろうかと思いますが、少なくとも古代にはこんなに伸びておらず広がってもいなかったところが、徐々に上流から流されてきた砂によって砂州が形成されてきた訳であります。ですからその存在自体が非常にデリケートな存在なんだろうというように、推察がされる訳でございます。
今も皆生の辺りを止めようということで、そこに堤防を作りました。そうしますと、今度は遠く離れた境港のマリーナの近くのほうに砂が堆積をしてくる。こういうことは私共は東部でも経験をしました。千代川の流れがつけ変わったという、人力が加わったことが鳥取砂丘の辺りの砂の成長を妨げているんではないかとか、いろいろと影響が指摘をされている訳であります。
正確なメカニズムを解明しきるのは難しいとは思いますが、ただ定数的に我々が経験して参りましたのは、人工的なものを作るということは同時に、自然の力で別のところに作用を発生させる、そういう面があるのではないかということでございまして、これは私たちが理想とする白砂青松の松原がそのまま持続可能でそのままの形で維持されることの難しさをも、同時に語りかけるものであります。
ですから海岸線は長い訳でありますが、そこの管理者がいろいろと区によって分かれている、国が事実上の直轄してくださっているところもありますし、市が持っているところもあり、我々県がやっているところもあり、境港の管理組合がやっているところもあります。こういうところの関係者が共同して集まって、全体のメカニズムをトータルで考える、そういう頭脳に当たることができれてないんではないかというご指摘だろうと思いますが、それはおっしゃる通りのことはあるかなあと思います。
ですから、関係者でまず集まらせていただきまして、私共、県が一時的には管理を行うべきだということは国のほうの法律で定められていることですから、私共のほうでイニシアチブを発揮させていただいて、メカニズムの解明や、それからコーディネイトしながらお互いの事業進捗を図りたいと思います。
ただ一つ、残念ながら申し上げなければならないなと思いますのは、確かに今は国と地方の関係の見直しということが言われていますが、海岸については原則確かに県が管理するということになっておりますけれども、やはり長い海岸線、鳥取県東西100q以上のものがございます。こういうものを全て地方の力だけで管理できるかどうか、私はちょっと自身がない分野でございます。
例えば弓ヶ浜の白砂青松の松原も、かつて昭和52年に、拉致の事件が発生したのではないかと疑われております。この度の北朝鮮と政府との間の交渉は、一定程度の前進ということかもしれませんが、再調査を行うということが表明され、そして拉致事件が解消されたとは言わないという、北朝鮮の態度が明らかになった訳であります。私としてはぜひ期待を寄せたいと思いますし、もしお帰りになるということであれば晴れやかな気持ちで安らかに、故郷の土を踏めるように地元としての体制を整えるべきだと考えておりますが、ただそういうように海岸の管理というのは、やはり地方自治体の手だけではなくて、コーストガードにあたる海上保安庁とか、あるいは大きな海岸線でとてもじゃないけれども地方の技術、あるいは力、財力だけではできないところについて、国の一定の関与もあっていいのではないかと思っております。
ですから県管理なので全部県が主導してできるかというと、どうもその辺は限界があると思いますので、それについては話し合いの場をセットして、どういうふうに役割分担をやっていくか、我々としてもこれは申し訳ないけれども国にお願いしたいということを、明確に申し上げながら進めていく手法をとって参りたいと考えております。
○安田議員(追求質問)
いまの知事のご答弁通り、私も県の力で、とてもこれだけの大事業がこれからもやれるとは思っておりません。
ただ例えば、いま管理組合が港湾計画で夢みなとタワーの東側に300メートル東に向かって堤防を計画しておりますし、南に向かってまた120メートルほど延長しようとする、そういう工事をやっております。このことが他の日野川河川事務所なり、米子市、境港市、そういうところにきちんと伝わっているんだろうかなあということもまた、一方で考える訳でございます。
やはり一つの築造物ができると、波の力、自然の力というのは微妙に変わっていくように思えてなりません。事実、そうではなかったかと思うんです。
その辺のその潮の流れというものが、どういうふうに影響して、それぞれの管理者が有している河川なり港なりに、どういう形で跳ね返ってくるだろうかというようなことを、やはりどこかの席で情報共有、研究の共有、科学的な解明というものが絶対必要じゃなかろうかと思うんです。
一方で私共弓浜半島は東に美保湾を持っており、西に中海を持っております。中海については幸か不幸か、淡水化であるとか干拓であるとか、あるいは大橋川の拡幅であるとか諸々の大きな案件がありまして、島根大学とかいろんな研究者の皆さんもご熱心にいろんなことを研究されている訳です。
それに比べて美保湾のほうは、どうかなあということを今回改めて思いました。
私は実は県のセーリング連盟の会長をしております――松田一三先生は外洋ヨット協会の会長をしておられるんでありますが――私はヨットはとても操縦できない名ばかりの会長でございますが、そのヨットをやっておられる方々のお話しというのはよく伺うんです。
去年だったでしょうか、実は外の公共マリーナはたいへん高度な技術を要するもので、ジュニアヨットスクールというのを中海で毎年夏休みに開催をいたしております。その時に中にちょっと変わった子がおりまして、聞いてみましたら東京のブリティッシュスクールの子どもでございました。お父さんは英国人でした。
お父さんがおっしゃるには、ジェントルマンに育てるために、子どもにヨットを習わせたいんだと。インターネットで調べてみたけれども、どこにも子どもに教えてくれるところはなくって、唯一ここだけがその子どもに教えてくれるスクールがあったんで、お母さんも交えて家族3人で米子のホテルに泊まって、子どもさんは中海でスクールに入り、お父さんは公共マリーナでヨットをやったと。その間、観光旅行も全部山陰はやりましたというお話しを聞きました。
そのお父さんがおっしゃるには、美保湾というのは凄いヨットをやる上で素晴らしい環境であるということをおっしゃいました。景観はもちろんなんですが、海面が非常に穏やかでも水面下は物凄い勢いがあるんだそうです。強い潮の力があるんだそうです。それがやはり公共マリーナの利点ではなかろうかと。優れた点ではなかろうかと思っておりますが、それのマイナス面がこの浸食という形に繋がってくるのかなあと。そういう諸々の――私は素人の話なんですが――そういうことを加味して、やはり美保湾の研究というものもぜひ手掛けていただきたいなということを申し上げたいと思います。そういう点を、もう一度知事にお願いします。
○平井知事(答弁)
議員がご指摘のように、自然の力はたいへん大きなものがあります。美保湾というのは恐らく全国でも有数の風光明媚であって、しかも漁場としても素晴らしいものがあって、海流の作用ですとか、それから日野川からもたらされる大量の水や砂、また大山という後背地にある大きな山を抱えたそういう自然的な条件がいくつも重なりあって、美保湾の一つの自然環境ができあがっているのではないかと思います。これについて従来あまり解明が進んでいなかったり、整合性がとれない取り組みがあったのではないかというのは、確かにご指摘の通りかもしれません。
まあパッチワークのように、こちらを叩けばこちらが壊れてくる、そういうものを継ぎ接ぎしながら、少しずつ条件や整備を図っていったというのが現在なのかもしれません。
いま境港の管理組合でもおっしゃるように、航路を確保しようということで沖合いの堤防の工事、新設などを行っておりますし、それから夢みなとタワーのところも波が竹内団地のほうに入ってこないように、そこを塞ぐための堤防をいま直轄でやろうということになっておりますが、これも当然海流に影響するものであろうかと思います。
そうした情報が国交省の日野川の河川工事事務所で共有されていない、あるいはまして米子市の皆生の漁港の人たちは知らない、そういうことは当然あると思いますので、東部でいまやっているような、海岸についての協議会を設ける必要があると思います。
確かにいまは国交省がやっているところもありまして、それとの整合性を図るということの意味はあると思います。国交省は皆生の海岸のところ一帯の工事の進め方についての技術的な研究であります。これもそうそうたるメンバーでありまして、国のほうの技術研究機関でありますとか、それから野田先生とか、また国交省はもちろん、私共も入ってやっているもので、これはこれでそれなりの組織だと思いますが、ただ統一的に海岸全体を捉えたものの見方をする組織をこしらえる必要があるというのは、おっしゃる通りだと思います。ぜひ関係者と早急に話し合いまして、立ち上げていきたいと思います。
○安田議員(追求質問)
やっと知事と、同じところに立てたかなと、喜んでおります。
今の弓浜半島と並ぶもう一つの砂州として名高い天の橋立は世界遺産登録を目指しているというふうに伺いました。
鳥取県の東の端の浦富海岸もまた、ジオパークの指定を目指して頑張っておるところでございますが、弓浜半島は今はこういう状態で、世界遺産登録ということには到底ならない訳でありますが、そういう人の力と自然の力をどううまく整合させた、新たなる現代版の弓ヶ浜として整備していくのか、住民の皆さんの関心というものもたいへん高いということが、この間の新聞の記事などを見まして、解りました。
ぜひ県民の力、地域の住民の皆様の力、考えなどもお聞きしながら、国のこれまでの大きなお力添えに感謝をし、今後ともまた力添えをいただくようにお願いをしながら、県として、管理者として、もう一歩前に出たそういう対応をお願いをしたいというふうに、改めて思っております。
これで質問を終わります。
