平成23年6月議会 一般質問 

安田優子 一般質問

 






弓浜半島における津波の可能性とその対策について

今日は、私のライフワークともいえる「弓浜半島における津波の可能性とその対策について」質問をいたしますが、その前に一言ご挨拶をさせていただきます。
 まずは、圧倒的勝利で見事再選を果たされました平井知事には、心からのお祝いを申し上げますと共に、一日も早いお怪我の回復とそして一層のご活躍をお祈りいたします。
 先の2月議会では、ベテラン議員が勇退に伴い、それぞれの持ち味でこの議場を盛り上げてくださいましたが、今議会では変わって多くの新人議員の皆さんを迎え、活発な議論が展開されております。今、地方分権、地域主権のあり様と併せ、議会制民主主義が大きく問われております。我が鳥取県も例外ではあり得ません。   私は引続き同僚議員の皆さんとともに、鳥取県議会の伝統と名誉を確かな未来に繋いでいく一翼を担い、もって県政の進展と県民福祉の向上に努めて参る所存であります。
 執行部の皆さん、そして議員の皆さん、どうぞ宜しくお願いいたします。

早速質問に移ります。実は、同じタイトルで、2月議会に取り上げようと思っておりました。 境港は、地震が来ない所と言われておりましたのに、平成12年に、あの西部地震に見舞われました。
  今年の正月は、50年ぶりの大雪の中で迎えるという経験を経て、「次は津波だ」と思った次第でありましす。しかしながら、色々、問題点を整理し出すと、余りのことの大きさに、今議会へ延期せざるを得ませんでした。 
 皮肉なことに、あの東日本大震災の発生は、その2月議会を終了し、自宅に帰る途中に発生しました。東京の息子から、「大きな地震があったが、大丈夫だ」とのメールをもらったのですが、詳しいことはわからぬまま、自宅に荷物を置くと、その足で、市内の家々を回らせていただきました。
 どこのご家庭も、テレビの前に釘付け状態でした。
 被災地に住む、家族、親戚、知人の安否を確認しようと電話をかけておられる家が多く、遠く離れた地域に、こんなにご縁があるのかと、驚かされたことでした。 
 テレビは、津波発生地の惨状を伝える一方で、福島原発事故の発生も伝え始めました。
 我が国が、未だかつて経験したことのない災害が起こってしまいました。
 12日早朝より、50センチ、30センチと2度にわたる津波注意報が出た市内を、私は連日、歩き続けたのですが、皆さんの意識が、徐々に変化していくのがよくわかりました。 
 即ち、他所の災難を、我が身に置き換えたとき、余りに悪条件が重なる地域の実情を改めて知り、大きな不安と危機感を抱かざるを得なかったのであります。
 既に皆さん、ご案内のとおり、弓浜半島は日野川の流砂によって形成された細長い地形で、三方を海に囲まれている上、土地の殆どが海抜0メートルの平地であります。 
 津波が来たら、高台か、高い建物に逃げることと、繰り返し避難の鉄則が語られますが、境港市内には、高台もありませんし、高層ビルも殆どありません。
 鉄筋コンクリート製の耐震構造物といえば、役所と学校と公営住宅くらいですが、耐震工事がしてあっても津波に対応しきれるわけではありません。
 これまでの日本海側で起こった津波の例から見ても、地震の発生から津波の到着までの時間が5〜15分と非常に短く、果たしてどこ迄逃げられるかわかりませんが、市内から米子方面に向かおうとしても、米子空港滑走路を2,500メートルに延長した際、県道、市道、JR境線の三本を東側に迂回させた為、国道も含め、全ての交通アクセスが美保湾側に集中し、避難の際の最大の難所となります。
 さらに、この度の福島原発事故の発生と、その後の事態の推移は、江島大橋や境水道大橋を渡ることへの危険性をもたらしました。
 いったん事が起これば、市内全域が波にさらわれ、逃げることもできないまま、全滅だと誰もが思っております。
 島根原発の存在と併せて、こと津波については、県下で最悪の条件にある弓浜半島、就中、境港市域であろうと思いますが、平井知事は、どのようにみておられるのか、まずもってお示しをいただきたいたいと思います。
 地震や、津波の可能性を調べるためには、過去の事実の検証から始めなければならないといいます。
 私も、今般、かつて在籍していた境港市史編さん室の協力を得て、過去の記録に再度目を通してみました。特に目を引いたのは、県下で初めて私設図書館を開いたといわれる小泉憲貞が、大正4年に発刊した「境港沿革誌」() (なみ)の章で,次のように記されておりま
「天保4年10月26日、島根半島七類に、海岸から73間余の津波が来た。境の港も、その余波を受けて満潮となり、海岸近くにあった余子神社(現在は大港神社)の鳥居から境内に海水が浸入、交通も途絶え、一時は皆、家を出て避難したが、幸いにも数刻をたたずに潮が引いて安心したと、その当時を記憶する老人から、著者が寝物語を聞いた」 
 2003年発刊の宇佐美龍夫著、「日本被害地震総監」で見ますと、その日、羽前・羽後・越後・佐渡地震が発生しており、その影響によるものと推測できます。
 また「美保関町誌」によれば、東京天文台編の「理科年表」に「その津波は、象潟から新潟に至る海岸と佐渡を襲い、波高4〜6メートルであった」ということであります。
 明治16年に開所した境測候所の記録によれば、昭和39年の新潟地震により、境検潮所で最大76センチの津波を観測したが、被害はなし。
 58年の日本海中部地震では、同様に62センチを記録したが、県内被害は軽微。
 平成5年の北海道南西沖地震の際は、最大66センチの津波を観測、境港の被害は無かったが、県内には最大1メートルの津波で被害が発生したとのことであります。境測候所は、平成12年鳥取県西部地震を経験し、2年後には閉所しましたので、その後の記録はありませんが、以上の経緯から見て鳥取県沖に津波として発生する地震の震源地は、全て、ユーラシアプレートと、北米プレートが衝突状態にあり、最近その活動が活発化していると言われる日本海東縁変動帯にあるということがわかります。
 中電島根原発も、この度、マグニチュード7.85の日本海東縁変動帯地震を想定し、5.7メートルの津波に対応できるように防波堤や敷地のかさ上げを図ることにしました。 
 いたずらに、不安を煽ってもならず、全てを想定外で済ませるわけにも参りません。
本県の防災計画、避難計画の基本には、過去の検証、研究に基づく正しい知見が基本とならねばならないと考えます。
 太平洋側に比べ、調査、研究が遅れている日本海側についても、早急なる対応をするよう国に対して強く要望すべきと考えますが、知事の所見を求めます。
 次に、津波に関する防災計画見直しについて伺います。
 去る5月31日の行政懇談会で鳥取大学の松原先生が今回の津波対策の見直しについて講演されたとの新聞報道がありました。
 松原先生は、17年の計画にも参加しておられる海岸工学の専門家ですが、今回のシミュレーションについて、「ひとつに絞り込まず、500年から1000年の確率で起きるケースも想定したものを作る必要がある」と指摘されたとありました。見直しの基本的なあり方、今回の東日本大震災に対する科学者としてのスタンスを伺い知るような指摘と思いますが、この指摘について平井知事は、どのように受け止められますでしょうか。そして県としてどう対処されるおつもりか、お聞かせください 

      平井知事 

 安田議員の一般質問にお答えを申し上げます。

安田議員から冒頭、私に対しまして選挙の話、怪我の全快というお言葉をいただきました。母親の慈愛のような言葉に胸を打たれた次第でございます。また、安田議員におかれましても決意の表明がございましたけれども、議員の皆様と一緒になりまして、ぜひ今のお言葉の通り、伝統と名誉のあるこの県議会を引き継ぎ未来への確かな道筋をつけていただきたいと思います。私も及ばずながらパートナーとして頑張って参る所存であります。
 議員の方から、今日は境港市の状況を踏まえた津波についてのお尋ねをいただきました。
 まず第1点目として、日本海側に津波が発生した場合に、非常に境港というのは条件が悪いのではないだろうかと、どういうふうに考えているかというお話がございました。また2点目として太平洋側に比べまして調査、研究が遅れている日本海側について国に強く要望すべきではないかというお尋ねをいただきました。それらに関連しまして、3点目として、先にございました鳥取大学の松原教授のご指摘について、どういうふうに考え、どういうふうに対処していくのかというお尋ねをいただきました。
 議員の方から今、縷々ご説明があったとおり、実は日本海側にも津波が押し寄せてくる経験がございました。近いところでいえば、新潟地震、更に日本海の中部地震、又、奥尻島の北海道の南西沖の地震、こうした議員のご紹介の通り、北米プレートとユーラシアプレートがぶつかり合う所が、やはり、プレート境界型の地震を発生させるわけでありまして、日本海の東縁部というふうにおっしゃいましたが、そういう場所における震源域での津波の災害、これを想定して備えなければならないということでございます。今まで、日本海側の研究が大変遅れていました。そうした意味でですね、我々としても国に対して警鐘を鳴らしてきまして、私も就任して早々の平成19年でございましたけれども、この問題を国のほうへ働きかけようということにいたしました。現実問題、隣の島根県などとも連携をしまして、日本海側の調査を国としてやってくれということを申しました。ただ、残念ながら、国のほうは東海地震だとか、南海地震、東南海地震といった他の想定震源域の方に重点化をして日本海側の方は、未だ調査に着手してもらってないという状況にあります。ぜひともこれは、正していかなきゃならないこどだと思いますので、今回の国への要望にも入れておりますけれども、日本海側の地層の状況、現実に踏査をしてですね、探査をして、どういう地震の断層域があるのか、何が警戒すべきことなのか、これを調査してもらいたいというふうに考えております。
 その中で、境港市についても、議員の方からご指摘がございましたように、1833年に地震の影響で境港の神社の方まで水位が上がってきたという記録があります。過去にも津波が内陸部に到達したことが、歴史上はございます。最近は60センチだとか、そうした津波でございまして、今回も30センチの津波でございましたけれども、ただ、まだ高い津波がやってくる危険というのもやはり想定をしなければならないということだろうと思います。
 境港市の場合は、実は、津波に対しての意識が全市町村の中で高いほうでございまして、この23年の4月からですね、東北の地震もあった関係上、津波があったらどういうところに逃げていったらいいのだろうか、その建物のですね、調査を始められました。これは、境港市だとか日吉津だとかそうした所は、共通していることだと思いますが、高い建物、高い丘がない、高くても13メートルということでございまして、今、東北の方ではですね、津波で皆、逃げて行くという、ちりちりばらばらに親も何も関係なく、とにかく逃げろと、山の上へ逃げろということでありますが、その山がないわけでございますから、じゃあ、どうしたらいいかということがですね、独特の津波対策になってくるだろうと思います。
 今回も津波が押し寄せてきたとき、ビルの上から救助される人達が目立ったわけであります。残念ながらそういうところに到達できなかった方々が、波に押し流されてしまったわけであります。同じことが境港でも発生しないとも限らないわけでございまして、そうした建物点検に、境港市が着手されたことは、多いに歓迎したいと思いますし、協力してやって参りたいと、考えております。
 そういう中でですね、議員の方からご指摘がございましたように、市町村長とともに危機管理トップセミナーを開催いたしまして、鳥取大学の松原先生から御講演をいただきました。そのご御講演は、先に開催された日本土木学会の総括の意味での御講演でございまして、今回の地震の状況の分析ですとか、それからそれに対する防災対策についてのお話がございました。土木学会として、従来と見識を改めなければならないというふうに考えられたのは、万里の長城というふうに呼ばれます、長い長い防潮堤でございます。松原先生も強調されていましたが防潮堤があることで、波の力というものが減衰した面はあるということは、おっしゃってはいましたけれども残念ながら、そういう想定を超える波が押し寄せてしまって、多数の命がかえって失われたのかもしれない、用はソフト対策というですね、逃げるということとの組み合わせのことがあるわけではありますが、そちらの方がむしろ安心感に繋がりまして、逆に難しさがあったのかもしれない、その辺を言外ににじませながらハード対策とソフト対策とをこれからは考えなければならない、特にハードは乗り越えられることを想定をしてソフト対策をきちんとやらなければならないということを強調されていました。
 また、災害のレベルをですね、2段階考えなければならないだろうと、一つは、レベル1といわれるものでございまして、100年に1度くらいの災害ということを考えるわけであります。あともう一つ、高いレベルで、レベル2という今まで想定外といわれてたレベルを想定するというという意味だと思います。レベル2という高い高いレベルも考えなければならない、東北の地震についていえば、800年代ですね、9世紀にやはり同じような地震があったのではないかと、いうことでございまして、そういう1000年に1度おとずれる、500年に1度おとずれるというレベルのものも、歴史も参照しながら想定をしておく必要があるだろうと、ただレベル2を全て土木的に解消するというのは、経済的な面でも現実的には無理がある。従いまして、ソフト面の対策と組み合わせて、やっていく必要があると、その辺のお話がありました。
 これからですね、日本海側につきまして、私は議会側に提案しておりますように、今回の地震を踏まえた新しい知見でシミュレーションをもう一度しないといけないと思います。
 これまで鳥取県でもシミュレーションをやってまいりました。マグニチュード7.4という内陸部で想定されるシミュレーションで1番高い、同じことが日本海の中でもおこるというふうに想定をしてシミュレーションを組みました。一番高い津波が押し寄せるところは、気高町で2.1メートル、それに次ぐところで福部とか、淀江だとか、そうしたところが想定をされました。でもだいたい2メートルくらいまでのところをですね、想定すればいいのではないだろうか、更に川を遡ってきたときのそのシミュレーションの図面も考えまして、それで市町村に津波対策をするように働きかけたわけであります。残念ながら今日までは、境港市以外ではこのシミュレーションに基づいた避難対策などに進んでおりませんでした。
 今回ですね、新しい知見を色々入れていかなければならないと思います。今、議員のほうでおっしゃった日本海の遠縁部の震源域を想定したもの、佐渡の東方沖とかですね、そうした新しい想定なんかも含めて、これからのシミュレーションに入れる必要があるだろうと思います。
 また、このたびの中国電力のやった調査の結果、鳥取県の鳥取沖東方断層という断層がございます。これを調査した結果、これは機械計算でありますが、マグニチュード7.7相当の地震の可能性がある断層だというふうになっています。今までの想定マグニチュードを越えるレベルになっています。又、鳥取沖中西部断層という断層もございます。これはマグニチュード7.4が想定されるというふうなことで、中国電力が調査結果を出しておられます。これは、検証のしようが我々にはちょっとないところもございますけれども、専門家にもこうしたデータをですね、参照していただいて、あと、その他の知見も加えて、鳥取のすぐ沖合いのところで起こる地震、それからプレート型で起こる地震、そうした想定を入れた上での津波のシミュレーションをまずやる必要があるだろうと思います。
 これに基づいて、改めて避難対策を市町村と共同で作り上げる必要があると思います。以前のときと比べまして緊張感をもって市町村にも向かっていただけるというふうに考えております。いずれにいたしましても、議員がですね、東日本大震災の後、境港を歩かれて戦慄感を覚えたというお話がございました。それが現実のものとならないように、我々としては万全を尽くして参りたいと思います。

       安田議員

  御答弁をいただきまして、ありがたいお言葉を頂戴いたしまして、親子でなければわからないような感情の、同じような私もそれから、ほぼ市民の皆さんがもっておられるような不安感、危機感というものを共有していただけるものと、そして今後の体制についてもご協力をいただけるということを聞きまして、大変、安心をさせていただきました。

それから、先程、知事からもありました、日本海東縁部変動帯についてでありますが、この変動帯から陸上の断層で島根県まで連続しているという説も聞いたことがあります。それから、先般、文科省の地震調査研究推進本部に私も問い合わせましたら、先程、おっしゃった佐渡の北東沖における今後、30年以内の地震発生率はマグニチュード7.836%の確率であると。「ちょっと低いですね」と言いましたら、向こうはプロのかたで、それは大変確率が高いんだ、というお言葉でした。それから、この辺が大変遅れているということは、事実でございますので、色々な想定と同時にですね、国に対して要望を強く求めていただきたいと、そのことを重ねてお願いをさせていただきたいと思います。
 それから、松原先生のご見解でございますが、そうすると知事も基本的には同じようにお考えであるというふうに受け止めさせていただいて、私も全く同感でございます。私の家も大変、海に近いところにございまして、実はこの7.4のハザードマップで屋敷の半分が流されるという想定になっております。そういう所の者からしますと、じゃあ、全域が流されるのは、どの程度のレベルの地震、津波が来たときなのかと、そういう風な逆の発想をいたしますので、色々なデータというものを、ぜひともほしいというふうに思います。計画というよりは、やはり、住民が逃げる為のデータが求められているんだろうと思います。
 次に津波対策の見直しという点につきまして、追求質問をさせていただきたいと思います。
 県のスケジュールでは7月から8月にかけて、5人の有識者から成る検討委員会を発足させ、年内を目標に、浸水予測図を作成して市町村に伝えるとともに、年明けから対策を検討して、3月に改訂計画策定の段取りであると聞いております。
 市町村は、その後、24年度中にハザードマップや避難計画を作らねばなりませんので、私は委員会発足当初から市町村にも参加をしてもらい、シミュレーション結果が出るまでのプロセスも共にして、その間にも計画策定に向けた諸準備が進められるようにしてあげるべきではないかと思いますが、どうでしょうか。
 それから、津波対応と並行してもう一つ、原発についても、島根県と一緒に、避難計画を策定するということで、すでに4月末から米子市、境港市とともに、プロジェクトチームやワーキングチームを組織して動きはじめておられ今年秋には暫定的な避難計画の策定を目指すということでありますが、現場の感覚でいいますと、津波のシミュレーションは年内までということですが、シミュレーションが出ないのに、原発避難計画はないではないかというふうに思います。私達が一番怖いのは、やはり津波で逃げられないで閉じ込められてそのままということを一番恐れます。だからその辺の両者の、原発と津波への両方の対応の整合性というものを語っていただきたいと思います。

 








      平井知事

 安田議員の重ねてのご質問にお答えを申し上げます。まず、日本海の中の地質の状況につきまして改めて国に対して強く要望するべきだということでございますが、これは、ぜひそのようにさせていただきたいと思います。同じような不安を抱えている地域は、日本海側に数多くあります。そうした地域とも連帯をいたしまして国に対して要望して参りたいと思います。
 また、逃げる為のデータをきちんと開示をしてもらいたいということでございますけれども、これもおっしゃるとおりでございまして、やはり東北の震災のことから言ってもよくわかりますけれども、結局は本人が自分であっちへ逃げようと決めて、そしてなかなかそっちが難しければあっちへ変えようといって、どんどんと逃げ方を工夫をしていくと、それが結局、命を救うわけでございます。やはり、正確な情報というのはあらかじめもっておいて、今ここに津波が押し寄せたというときは、うちの家であればどっちへ向かうのが正しいのかということを普段から考えておかなければならないのだと思います。そういう意味でですね、データをきちんと開示をするように、これからの作業の中でも留意をして参りたいと思います。
 次に津波による防災計画の見直しについてでありますけれども、その専門家の委員会が作られるわけでありますが、市町村も24年度以降ハザードマップや避難計画に入っていくわけでありまして、市町村の方にも津波検討委員会に参画してもらったほうがいいのではないかということでございます。これは、正にそのようにさせていただきたいと思います。議会で議決をいただき、予算をお認めいただければ、早速そういう形で市町村にも参画をしてもらって、特に専門的見地での検討を中核として、これからの作業に入ってまいりたいと思います。
 次に津波対策だけでなく原発のこともある、島根県と一緒に避難計画を作るわけでありますけれども、津波のシミュレーションもでないのに原発避難計画がどうしてできるだろうか、両者は整合的になるのだろうかということでございます。これは、これから今年度が、一つの節目と考えておりまして、今から津波のシミュレーションをさせていただきます。それで年末くらいまでに津波の予測図を作ろうと思います。これは、県庁のなかの県土整備の関係の技術者もおりますので、河川で遡っていくとかですね、あるいは水の流れだとか、その辺も想定をしながら、一つの図面を作ってみたいと思います。
 その前提として専門家の検討も進めていきまして、最終的には年末までに形のある絵柄を作ってみたいと思います。また、今、島根県側と協議をしながら進めておりまして、現在、基礎データの収集中でございますけれども、原子力安全の避難計画、これも策定に向けていきたいと考えております。この避難対策のほうでありますけれども、この避難計画をだいたい1月くらいまでに作成をしようかと考えておりまして、その間、時期がだぶりますけれども我々としては、島根県の皆さんにも我々の知見も共有してもらいながら、ある程度参考にしていただきながら、避難計画も同時並行で作っていくということでございます。
 ただ、まだ、最終的な結論が難しい段階だと思いますが、その後、年度末を目指して地域防災計画の作業を固めたいと思っております。この地域防災計画の時には、同じ計画の中に原子力安全対策と津波対策とが両方入ってきます。このときまでにですね、その津波対策と原子力安全対策を整合的な形にまとめていきたいというふうに思っております。
随分急ぐようにも思われるかもしれませんけれども、なるべく早く、暫定的なものでも、まず、いいと思うので住民の皆様のために我々としても青写真をこしらえたいと思います。その上でですね、市町村が新年度、津波の避難の具体的なハザードマップ作りだとか避難計画をやっていくということになるわけでございまして、その辺のなかで、また、我々の方の県の計画を見直さなければならなくなれば、それはまたPDCAサイクルのようにして検証して改めていくという手順をとりたいと思います。
 できるだけ早く、住民の皆様に必要な心の準備をしていただき、また市町村との協調体制がとれるように年度いっぱいで最終的な地域防災計画ないし、その暫定版をまとめさせていただきまして、議員のおっしゃったような不安に応えてまいりたいと思います。

 

      安田議員

了解をさせていただきました。ただ、急ぐ余りに計画というのは県民の命を守る為であるという基本的なところを忘れないで肝に銘じていただけたらと重ねて言っておきたいと思います。

次に津波、原発対応の防災訓練、避難訓練という段階に次はなるだろうと思います。このことについて質問をさせていただきます。

訓練は非常に大切なことで、今回も東日本震災被災地でもその効果が言われております。県はこれまで防災フェスタというような形で訓練をやってきておられますが、フェスタではなくて本当の訓練というものをぜひ、境港市内でやっていただきたいと思っております。このことについては地元の中村市長も了解をしておられますので、お伝えをしておきたいと思います。

それからですね、私、先般、議会の方から派遣していただきまして宮城県石巻市の方に行ってまいりました。県議会の畠山議長さんは、気仙沼のお方だそうでして、平常2時間位で行けるところ、同じように3月11日に7,8時間かかったけれどもご自宅におかえりになった。家も事務所も皆、流されたということでございましたが、言われましたのは、その夜のうちに、陸上自衛隊が気仙沼に来てくれたと、非常に感謝しているということをお聞きいたしました。

それでですね、岩手県では、平成19年に大津波想定の岩手県防災訓練を実施をしたあと、翌20年に陸上自衛隊東北方面隊が主催して震災対処訓練「みちのくアラート」を行ったということであります。

岩手、宮城両県自治体、警察、消防、地域住民、総勢で1万8千人が参加してのこのときの訓練が今回の災害に大変生かされた、そういう情報も私は、聞いております。私は、このような時期におきまして本県でも陸上自衛隊にお願いをして、航空自衛隊もございます、海上保安部もあります。一体となった大掛かりな訓練というものも防災訓練に自衛隊に参加をしていただく、そういうことも想定して考えるべきではないかと思うんですがいかがでございましょうか。お尋ねをします。

 

      平井知事

 

安田議員から重ねてお尋ねをいただきました。まず、急ぐ余りに県民の命を損なうことのないように、とのことでございますが、それは勿論、肝にすえてやっていきたいと思います。

今、私どものほうで2つの課題に同時に向かい合うことになりました。原子力安全にしても津波にしても今までの想定を充分していなかった部分がございます。これの災害対策として、避難対策として出来るだけ早期に、まずは、骨格を作っていかなければならないと思います。それは、就中、県民の命と生命、財産を守るためでございまして、そのための営みをですね、一刻も早く始めたいという気持ちであります。基本を忘れずにやって参りたいと思います。

そして、訓練につきまして、2点のお尋ねをいただきました。1点目としては、境港市で津波を想定した防災訓練を実施すべきではないかということでございます。あともう1点目としては岩手県におきます「みちのくアラート」という1万8千人が参加をする自衛隊の訓練があったと、いうことでございまして、そういう大規模な訓練を行うべきではないだろうかという点でございます。いずれも、関係者と話をよくしてみたいと思います。まず防災フェスタでございますけれども、防災フェスタは、今、東部、中部、西部で順番に回しておりました。議員の方から防災フェスタではなく、普通の訓練をということでございますが、それは境港市長とまた、よく協議をしてみたいと思います。防災フェスタにさせていただいたのは、多くの方が、より動員されるということでございまして、昨年ですか、米子でありました防災フェスタのときには、境港市の湊町の自治会の方々がですね、参加をされまして、海上保安庁の船も協力をしまして、これは実は津波の想定ということで、訓練をやっておりました。フェスタといっても防災訓練の集合体でございまして、中にはわかりやすい形でですね、見ていただけるような、観客も来てもいいようなものをやってですね、防災意識を高めようというものであります。これも一つの有効な手段ではないかとも思いますし、その他の通常の防災訓練ということでも結構でございますけれども、境港市長など関係者とよく相談をしてみたいと思います。

併せて、自衛隊の参加する訓練でございますが、これも陸上自衛隊の米子の駐屯地でありますとか、美保基地にもですね、今回の東日本大震災を踏まえて、どういう防災訓練をやったらいいのだろうか、相談をしていこうと思います。

津波、あるいは原子力、地震、又、大規模な土砂災害など様々なものが考えられようかと思いますが新しいテーマである津波もですね、その重要なテーマであると思います。「みちのくアラート」のように、やはり、現場で一度、図面ではなくて実地に隊員が行って、地形を見てみると、後から我々の消防隊もそうでありますが、ヘリコプターで飛んでいくにしても、何にしても慣熟、つまりよく慣れているということになりますので、対応が早くなります。また、色々なコミニュケーションがとり易くなります。鳥取県西部地震のときも、その発生の直前にですね、やはり自衛隊を巻き込んだ、図上訓練をやっていまして、その結果として、お互いに電話など非常にコミニュケーションがとり易かった記憶がございまして、そういう面でも有効かと思います。

自衛隊も災害対策の中核をなすところでございますので、どういう形で、訓練の連携が出来るか、協議をしてみたいと思います。

 

      安田議員

 

大変前向きな御答弁をいただきました。宜しくお願いいたします。ちょっと角度を変えて横浜教育長に質問をさせていただきます。
 先日、この議場における答弁で、想定外の大津波に対し、見事に全員で避難を成し遂げました釜石東中学校と鵜住居小学校の話を聞かせていただきました。しかしながら、このような例とは逆に、学校や幼稚園が対応を誤って、絶対に守らねばならない子ども達を守りきれなかったというケースも今回、東日本であったと聞きます。
 教育長は、このような事態をどのように受けとめておられますでしょうか。お尋ねを致します。

 

      横浜教育長

 

 安田議員のご質問にお答え致します。

 このことにつきましては、先般の森岡議員の代表質問の際に、日ごろから避難三原則に基づきまして、避難訓練、あるいは防災教育を実施しておりました釜石市の小学校、中学校で全員無事に避難したということがありまして、そのことを紹介させていただきました。

一方で、ただいま議員からご紹介がありましたように、この幼稚園や小学校で子ども達が犠牲になった例もございます。津波の犠牲者が多かった石巻市の小学校の場合では、集団で避難する途中、すぐ側を流れる川から溢れた津波にのみこまれまして児童108人の内、68人が死亡して、6人が行方不明、学校にいた教職員11人の内、9人が死亡して1人が行方不明という状況になっております。

この小学校に関しましては、報道によりますと先日、市教委が保護者説明会を開催いたしまして、避難が遅れた理由といたしまして、迎えに来られた保護者の方に、児童を引き渡していた、小学校に避難して来られた地域住民の方に対応をしていた、それから、避難場所の選定もしたということで、時間がかかって手間取ったというようなことを話されたようでありますけれども、また、避難場所につきましては、場所が決まってなかったということもありまして、避難マニュアルが充分ではなかったというようなことも説明されたようであります。

 結果としては、大変残念な結果になってしまっておりますけれども、教職員は必死に子ども達を守ろうとして、その時は、その時で全力で判断して行動したというふうには、思っております。

今回の大震災を受けまして、子ども達の命を守るためには、普段から地震だけでなく、津波に対しても意識を高めていく教育とかあるいは、訓練が必要と考えておりますし、その際には、先程紹介しました防災三原則のような、この津波に対する教育や訓練を積んで来た釜石市の取り組みが、本県の場合にも参考になるのではないかというふうに考えております。

教育委員会と致しましては、避難場所や避難経路を検証したり、防災訓練を実施して頂きたいと考えておりますけれども、その際には、実際のこの様子を子ども達に示しながら、子どもたちの心に響くような教育をしないと、子どもは、なかなかわかりにくいと思いますので、そうしたこの、内面に届くような工夫をしながら、教育を積んでいきまして、子ども達の命を守っていくということにつなげていきたいと、そういうふうに思っております。

 

      安田議員

 




 私は子ども達というのは、地域の宝でありますし、地域の未来、将来であると思っております。
 平井知事は子育て王国とっとりと標榜をしておられますが、どのような災難が来ようとも、この子ども達だけは、絶対に私達は守りきらねばならないというふうに、覚悟をしなければならないだろうと思っております。
 ただ今、教育長の方からは、石巻の悲惨な状態になった学校のようなことにならないために、避難訓練とか教育をするようにおっしゃられましたが、境港市は、じゃあ、どこへ逃げるのですか、学校で津波が来たときに、逃げる場所がないわけです。冒頭、お話したとおりであります。 耐震工事がしてあると言っても、今回も耐震だけでは、対応できなかったケースがたくさんあります。
 私は是非とも、弓浜半島、境港市域には、耐震工事に加えてせめて学校には津波対応をしていただきたいと、お願いをさせていただきたいと思います。
 今、国会で津波法案が衆議院6月10日に通ったということであります。また国交省の方も夏頃までには、建築基準、津波対応の基準を作るということでございます。世の中も国もその方向に、向かっておりますので、平井知事には、覚悟を決めていただきまして、境港の市民の方、私のところには、どこに逃げたらいいのだろうかと、自衛隊の内官舎に逃げさせてもらえないだろうか、それから、夕日ヶ丘の県営団地、屋根が尖ってて上れないんですが、せめて踊り場にでも逃げさせてもらえないだろうかとか、色々な方からお声がかかっております。
 ぜひ、この窮状というものにひとすじの光を見させていただいて、私の質問が効果があったと、市民の皆さんが安堵されるような御答弁をいただきますように、お願いを致します。

 

      平井知事

 

 議員の方から改めて津波対策についてお話がございました。
 子ども達を守るために学校という拠点をもう一度しっかりとしたものにしなければならないのじゃないか、今ある、県営も含めた資産という物を津波の避難の場所として、活用して安心感を作るべきではないかというお話でございます。

 正にその通りだと思います。今回、私自身も石巻の方にまいりまして、向こうの市議会議員の方、たまたま後でわかったんですが、その市議会議員の方に実際の状況を伺いました。ちょうどですね、市議会の集まりの真っ最中、ちょうど我々が今、こうしているようなときに、地震が発生した。それで津波が来るということになりますので、それぞれ点々ばらばらに逃げ始めるということであります。車で逃げにかかりまして、丘を登って行ったわけでありますが、丘を登った後、一度下に下がる道があったと、下に下がったところでいよいよ危なくなってきたと、前後にも車があるのでどうしようもない、それで学校の方に逃げた。学校に逃げまして上に上がるわけでございますけれども、その上にあがったところ、どうも物音がしたり様子がおかしい、それで、向こうの別の建物に移ろうと教室にあります演台といいますか、細長い舞台のようなあれだと思いますけれども、あれを持ってきてそれで橋を架けて別の建物の方に移った。そうしたら、元の学校の方が、実際には燃えてしまった、大変なことになった、九死に一生を得たというお話でありました。

実は、避難所に集まっておられる方々皆、皆が皆そういうストーリーを持っておられるわけであります。やはりそういうようなことでですね、命からがらというような状況で今回震災からつないできた命があります。そこから語りかけられる話から我々が学ぶべきことは、やはり万が一のことに備えていかなけらばならないということであります。

 特に子ども達には未来がありますし、地域をしょってもらう存在でございます。今回も震災後の子ども達の様子を見ておりますと、本当に屈託のない笑顔を見せられるほどに、我々は胸が痛むような思いが致します。学校は重要な避難所にもなりますし、子ども達の命の砦にもなりうるわけでもありまして、市町村の持ち分ではあるかもしれませんけれども、我々としてもですね、それに対して、充分な技術的なサポートだとか、協調体制を組んでいきたいと思います。

また、県の施設もみなと交流館ですね、駅ビルのような境港の管理組合が管理しているビルがございますが、こうしたところなどきちんとしたですね、避難用に開放できるようにしていきたいと思いますし、それを関係者の方のご理解を得ながら進めてまいりたいと思います。

 今、国会では衆議院で6月10日だったかと思いますが、衆議院を通過した津波対策の法案が参議院に継続中であります。ぜひ、早期の成立を望みたいと思いますし、国土交通省もこのたび、多重的な対策をとろうというふうに動き出しました。そういう報告もまとめられております。その中で、こういうような基準を持たせば、津波用の避難ビルとして使えるということがあきらかになってくると思います。それを基準にしまして我々としても市町村と協力をして、いざというときに、守られなければいけない時に命を守る、そして、安心のふる里を作ることを実現していきたいと思います。



 

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