平成24年6月議会 一般質問 

安田優子 一般質問

 

米子・境港間の高速化について

 

昨日の日曜日、境港では、第2回まぐろ感謝祭が開かれまして、大変賑わいました。県からは、藤井副知事にご出席をいただきました。

副知事、境港産のクロマグロはおいしかったでしょうか。

今日は、その境港と米子を結ぶ高速道路について平井知事に質問をしたいと思います。

この件につきましては、これまで本議場でたくさんの議員の方が質問をなされ、先議会では斉木議員が我が会派の代表質問で取り上げられましたし、先日は内田議員が質問をされました。

私は、境港の伸展という観点から取り上げさせていただきたいと思います。

重複する部分もあるかと思いますがよろしくお願いいたします。

 

境港は、昨年1月に、リサイクルポートの指定を受け、11月には、日本海側拠点港として、国際海上コンテナ、外航クルーズ、原木の三機能が選定されましたが、今後さらに国際フェリー、国際ローロー船の追加選定に向けて取り組んでおります。

 さらに、アジア・クルーズ・ターミナル協会(ACTA)にも加盟、誘致活動の努力も実り、クルーズ客船の寄港も多くなっております。

5月には、クラブ・ハーモニー号、6月7日には、7万5千トンのコスタ・ヴィクトリア号が2千百名の乗客を乗せて入港、港は華やかな賑わいと歓迎の喜びで盛り上がりました。

環日本海、北東アジアゲートウェイ、境港は、今、地の利、ときの利を得て、大きな躍進のときを迎えております。

昭和30年代、1万トン岸壁の構想も、果たして、入港する船があるだろうか、と危ぶまれたと聞いておりますが、半世紀を経て、今や、貨物だけでなく、客船も行き交う港、日本を代表する程の港にまで成長したことに、私は深い感慨を覚えるものです。そしてここに至る迄の平井知事のご努力に対しても、深甚なる敬意を表したいと思いますが、知事はこれまでを省みて、現在の境港についてどのように見ておられますでしょうか、お聞かせください。

この勢いを失速させることなく、更なる伸展を目指して課題の克服に向かっていかねばなりません。

原木輸送船の大型化やリサイクル貨物の増加、沖待ち解消のためにも、中野地区国際物流ターミナルの早期整備が求められております。

国内では唯一の環日本海定期貨客船、相次ぐ外航クルーズ船への対応のためにも、現在、誘致に励んでいる国内フェリー就航のためにも、竹内南地区貨客船ターミナル整備は欠くことの出来ない重要な課題であります。

加えて、境港がクリアーすべき大きな課題として、港から高速道までの接続の悪さが指摘されるのであります。

境港から米子インターまでは、距離にして23q。国道431号の交通量が多く、ラッシュ時には、小一時間を要します。

全国の主要港湾について調べてみましたが、高速道路までの距離において、境港はワースト4、日本海側拠点港ではワースト1でありました。

ちなみに、博多港はインターに直結、敦賀・金沢・下関港は5q、新潟、北九州・舞鶴港が6q、秋田港11q、伏木富士港14q、石狩湾新港・伊万里港が17qとなっております。

私も、多くの港湾を視察させていただいており、大体の予想はついておりましたが、この調査結果を見て、改めて危機感を持ちました。これでは、いくら港湾施設や機能について整備、努力しても、流通の非効率という点で、港湾として致命的欠陥を持つと言わざるを得ません。物流は、時間とコストが決め手でありますが、この調査結果について、知事はどのように受け止められますでしょうか、お伺いします。

地元では、この他にも、美保湾からの津波への対応策として、また、島根原発の万一の事故発生時における避難路として、渋滞の激しい国道431号に加えて、弓浜半島を走る高速道の新設を求める声大なるものがあります。

そもそも、昭和41年に、中国横断自動車道岡山・米子線が、予定路線の指定を受けた時点では、この道路の終点は、境港となっておりました。

その後、基本計画、整備計画上の経緯変更を経て、現在、米子道は、米子インターで終わっておりますが、当初の計画どおり、終点境港までの高速化を目指すべきではないでしょうか。

県内の高速道路整備については、現在進捗中の鳥取自動車道が、来年3月には完成しますし、山陰道についても、ほぼ全線開通の目途がたって参りました。

境港の背後圏域として想定する関西地方と結ぶ高速ネットワークが平成20年代後半には米子インターまで、米子自動車道と併せ2つのルートで繋がることになります。

さらに、松江・尾道線の開通により、山陽・四国地方も圏域としての可能性が増えることになります。

また、島根県では、松江市内で新たに国道431号と山陰道を結ぶ、出雲・境港道路が出来、中海圏域の交通アクセスが一段と充実しました。

私は、この機を捉え、日本海側拠点港として新たなステージに立った境港の将来を展望し、鳥取県としては、米子・境港間の高速化を、山陰道整備の次の整備対象として明確に位置付けるべきであると考え、知事の所見を伺うものです。

 

                             

      平井知事(答弁)

 

 安田議員から、境港と道路交通網につきましてお尋ねをいただきました。

まず、境港の現在の状況についてどのように見ているのかというお尋ねでございます。

 昨日は第2回まぐろ感謝祭がございまして、大変な賑わいになりました。

一日で6,000人の人出があったということでございまして、本当にそれだけの吸引力が、マグロなり漁港としての境港にあることを思うわけでございます。

私も昨年の第1回の感謝祭に参りましたけれども、大変に期待が大きいわけでございまして、遠くからもお客様がお越しになる。

また、マグロを生でそこで出しているからこそ出来るような料理の提案であるとか、解体ショーであるとか、大変に話題性の富んだものでありました。

こういう港の活気というのは、一つは、そういう漁港としての機能によるところはあると思いますが、漁港だけでなくて交通の拠点、物流、また人の流れ、そういう玄関口としての境港の機能が改めてここ数年でクローズアップされてきたと思います。

境港につきましては、やはり色々と地理的な条件がございまして、島根半島がある。その島根半島が天然の良港としての基礎的な条件を与えてくれてるという、そういういわば、地の利がございます。

また、色々とこれまで努力をしてきた成果として、様々な航路がお互いに環日本海地域と開けてきているということでございまして、これは偏に議員各位のご協力もございました。そういうことの賜物ではないかと思います。

先般も、コスタ・ヴィクトリア号、クラブ・ハーモニー号が相次いで入港するということになりまして、境港の管理組合の委員の皆様にもお越しを頂き、そのオープンをお祝いしたところでございます。

その時に来られたお客さんたちがですね、非常に良いところだと言って帰られます。

色々と課題もあるわけではございますが、ただ、観光地として海外でも魅力をもって見ていただけるところだということが改めてわかりました。

ただ、もう片方でですね、まだまだ港として未整備な部分もあり、その辺に対する課題もですね、提起をされたところでございました。

こういうようなことの中で、今、境港の人の流れ、物の流れを作ろうという動きを活発化させています。

物の流れについて言えば、6つの定期航路があり、中国航路だとか韓国航路、更にはDBSクルーズフェリーという新しい航路も出来、そういうように段々と発達してきました。

貨物の量もですね、1万4,000TEUを対韓国コンテナでたたき出すなど、過去最高というような状況になってきております。

また、こういう定期航路とは別に、材木の航路もございまして、そういう原木との関係でも全国的にも屈指の港と言っていいかなと思います。

人の流れで言えば、環日本海側の港の中で、ほぼ唯一と言っていいくらい、ここでお客さんが出入りをしていまして、DBSクルーズフェリーの成果かなと思います。

ただ、じゃあこれで終わりかというと、そうではなくてですね、今申し上げましたように随分とここ数年で、貨物についても充実を図ってきましたが、残念ながら、その貨物の総体、単純な数や量から言いますと、敦賀だとか舞鶴だとか富山伏木とか、新潟とかそうしたライバル港がですね、かなり、荷物を伸ばしてきているというのも事実であります。

ですから、境港も、もっともっと伸びていかなければならないだろうというふうに思います。

そういう意味で、今地域の貨物も神戸港を使ったりしているところをですね、こちらの境港の方にご利用いただけるように、環境を整えようとシームレス国際物流のプロジェクトをたて、会社の誘致もやったところでありまして、これも効果は出始めていると思います。

まだまだですね、道のりは遠いわけでございますけれども、ぜひ皆様と一緒になりまして、境港の振興を図って行きたいと思います。

つい先だっては、6月20日に延辺朝鮮族自治州の李州長さんがこちらにお越しになりました。

私も今回もお会いをいたしましたが、実は昨年、長春でお会いしております。

この方は、王 勝今先生という鳥取県にも馴染みの深い吉林大学の副学長の教え子でいらっしゃいまして、そういう人脈もあってですね、先般、長春を訪ねたときに、延辺朝鮮族自治州という鳥取県にとってはキーストーンに当たるような所でありますが、こうしたところと親交を深めたいというようなお話を申し上げましたら、その後とんとん拍子に話が進み、王 勝今先生にも応援をしていただいて、鳥取市とこのたび姉妹というか友好交友の覚書の締結をする約束までできました。

それで、お互い話をさせていただいたんですが、経済交流をぜひ、しっかりやって行こうではないか、今あるDBSクルーズフェリーの航路だけでなくて、もっと中国の方へ直接行きやすいような、そういう航路もお互い検討していこうではないか、こんなお話もさせていただきました。

向こう側もですね、大変に積極的でございまして、やはり、今、時代が変わりつつあるのだと思います。

その時代の要請に従って、境港を第二の開港へと導いていくという、そういう重要なステップを私たちは果たしていかなければならないと思います。  

その境港についてでありますが、交通アクセスについて、高速道路との距離という点では、日本海側ではワースト1というような調査結果がある。これについてどのように考えているのか、更に米子・境港間の道路のあり方について、明確に位置づけるとか、きちんとした高規格道路の整備が必要ではないか、こういう趣旨のお尋ねをいただきました。

今、高速道路については、順次、議員の方からもお話がございましたが、山陰道でありますとか、それから、そのほかに鳥取道や松江尾道道路など、様々な道路整備が進みつつあります。

ですから、ここ5年ほどで大きく様変わりし始めてまして、向こう5年ほどでも、鳥取道や松江尾道道、山陰道、重要な進捗が図られるということになってきます。

そういう意味で益々、山陰の便宜は良くなるわけでございますけれども、ただ、それで十分かというと、議員からもご指摘がございましたが、特に弓浜半島という北の方に伸びる半島が、鳥取県はあるわけであり、その先端のところに交通の要衝である境港という重要港湾、また米子鬼太郎空港もそうであります。

そうした立地がございまして、空や海と陸とを結ぶ交通の結節点に向けて、更なる交通アクセスの向上が必要だということは、論を俟たないと思います。

 その意味で、今のところはですね、日本海側では最も遠い20数qぐらい、米子のインターチェンジからあるわけですが、そういう状況を何とか克服に向けて、動き出さなければいけないだろうと思います。

 このことにつきましては、港の機能は高速道路だけで決まるものではないと思います。

 例えば地理的な条件からしてですね、私たちの境港は、釜山港から409qの距離にあります。

 かたや、隣の大きな港、舞鶴港になりますと、610q以上の距離があるわけでありまして、この間で、半分ほどですか、400qに対して600qという距離の違いがあります。

 これは、燃料にも時間的な距離にも船ですと即、直結するわけでありまして、大きな違いがあるということはあります。

 それから、港の利便性だとか使い勝手の良さ、総合力で境港は勝負をしていかなければならないのだと思います。

 ですから、当面は、そうしたですね、総合力である港の使い勝手という意味で、議員の方からも今、お話のありました竹内南地区の国際フェリーターミナルなど、整備を図っていく必要があると思います。           

 併せて、これはやはり課題として残るのは、全国的な高速交通ネットワーク、それとどう結び付けていくかということでありまして、これがすぐに解決しないかもしれないですけれども、残された課題として厳然として出てきているということだと思います。

 今、山陰道の進捗も大分進んで参りまして、そういう時期も捉えて、先般も国土交通省地方整備局の局長を初め、皆さんが来られましたが、境港・米子間、この進捗ということも課題になっていると、話し合いを始めるべきではないかというような申し入れをさせていただきました。

 こういうことなどですね、いろんな形で今後、国のほうに、働きかけを強めていかなければならないと思います。

 山陰道の進捗など今やっている事業の進捗を図ることは、勿論でありますけれども、その次の大きなテーマになってくる話だと思いますので、これから国のほうに対する働きかけを強める必要があると思います。

 その意味での位置付けなり、今後の検討ということでございますが、地元の市町村、米子市、境港市、また日吉津村という地元の地域がございます。

 それから私どもであるとか、そうした様々な関係の皆さんにも声をかけながら、今後どういうふうにこのプロジェクトを考えていくのか、勉強会といいますか、検討の場を作っていく必要があるというふうに考えております。

 いろんなポテンシャルのある地域であります。

 これは先般の内田議員のご質問にもございましたけれども、境港から先に島根半島がありまして、島根半島も含めて考えますと、宍道湖・中海圏域を言わば8の字で結んでいくような、そういう道路の一環にもなるわけでございます。

 また、観光の面から言いますと、勿論、境港は年間300万の人出がありますが、松江城周辺800万とかですね、出雲大社周辺でも200万だとかいう人出がございまして、そういうように圏域全体で考える必要があるんだと思います。

 そこを周遊してもらいながらということを考えますと、米子のインターチェンジから西の方に山陰道が延びますが、北の方に延びていって、松江や出雲にもいづれ繋がっていくような、そういう道路ネットワークという値打ちも出てくるのではないかと思います。

 また、経済圏域を考えてみますと、米子市、境港市などの製造品出荷額も大変多うございますが、実は山陰中央部でいいますと出雲市がやはり圧倒的にですね、工業出荷額ベースでいくと大きいわけであります。

 安来の方にもですね、金属会社といいますか、そういう大きな会社が立地をしておられます。 

 それで、荷物も境港を使うように、最近転じて頂いております。

 このことも考えますと、米子方面と境港方面を結ぶ、かつての予定路線であった国幹審といいますか高速道路網の一環をなすべき道路について、今、今日的な光を再度、当てていく必要があるのではないかと思います。

 これは、防災機能の向上にも役立つわけでありまして、避難をいち早くやるという時にも必要になりましょうし、また、何らかの構造物があれば、その構造物自体をですね、避難のシェルターとして活用することもできるのかもしれません。

 いずれにいたしましても、複層的なメリットもあるわけでございます。

 片方で費用も確かにかかるので、そう一朝一夕というわけではないとは思いますが、関係者の間でどういうようなビジョンを描いていくのか、勉強をしていくことが必要だと考えておりまして、その辺の検討をスタートさせたところでございます。

 

      安田議員(追求質問) 

 







 御答弁をいただきました。

実はですね、知事。斉木議員が代表質問でこの問題を取り上げたとき、知事の御答弁は、検討を開始する時だという表現でしたね。

 それから、先般の内田議員の質問に対しても、興味を持って聞いていたんですけども、知事の歯切れがいまいち、すっきり受けとめられませんでしたので、実はこの件につきましては、西部の地域からは、大変な声援を、やれという後押しを受けて、ここに立たせていただいております。

 昨日も中海テレビで、正しくこの問題が語られまして、いけいけどんどんで話があったわけですけれども、ぜひ今日は知事から積極的なやるんだと、山陰道の次は、米子〜境港間の高速道路を結んでいくんだというお言葉を頂戴したい、そういう気持ちで質問に立たせていただいております。

 今日の御答弁は、これまでよりは、一歩前に進んだかなというふうに受け止めております。

 それでですね、今の境港の振興ぶりを見ますと私は、実は昭和41年に境港を拠点とする中海圏地区が新産都の指定を受けたわけですよね。

 この指定を受けたがゆえに、境港は地元負担なしに何百億にわたる設備投資が可能になった。だから今、船が大きくなっても、それに耐え得る港として、今日的な繁栄に繋がっている。

そして一方で、境港を拠点にして米子道を作り、外浜産業道路を作り、そして431に格上げしたり、島根県出雲まで米子から繋いでいくと、こういうネットワークが形成された。それらが、有機的に結ばれて今日の繁栄に繋がっているんだと。

しかしながら、この間に鳥取県は、やはり関西圏と結ばなければいけないということで姫鳥線に努力を傾注され、山陰道の全線開通に向けて、頑張ってこられました。

やっぱりその努力をいま一つ前に進めるためには、関西地方、姫鳥、山陰道、米子まで来てもう一歩境まで県内の高速ネットワークを繋いで始めて鳥取県の経済圏に境港が寄与できる。私はそこまで頑張るべきではないかなというふうに、そして日本海側拠点港というそういう段階を迎えた今、かつて先人達が新産都指定に向けて、本当に皆で頑張って向かっていったように、鳥取県もそして西部の市町村もそして又、島根県の出雲市までが一つの圏域だったわけで、その成果が実って、今、中海市長会にも出雲市にも入っていただき、オブザーバーとして西部の町村にも入っていただいた。

その実りを皆で使って頑張っていくべきではないか。ひとつの次の時代に向かうべきではないかというふうに考えます。

その考え方を一点、知事にも確認をしていただきたいと思いますし、それからですね、今、私は、地域、地元のニーズとしての高速道の整備ということを申し上げたわけですが、もう一つ、国レベルからしても、境港は整備をしていくべき港ではないかというふうに考えます。

先般、4月の末だったと思いますが、和歌山県に視察に行って参りました。

ここは、東海・東南海・南海地震がほぼ90パーセント以上、ほぼ確実に来るところとして、本当に危機感を持った対応を色々とっておられます。考えておられるところであります。

私、興味を持っていたんですが、避難タワーというのを県内で10基建てておられました。 

逃げ遅れた人が、そこに上がれるようなタワーでありましたが、とにかく津波は防げないんだから、皆で逃げようと、高台や裏山に逃げようということで、住民の方がご自分達で避難路を建設されたという例も聞かせていただきました。

それから、遡ってこの地域は過去に何度も大きな地震や津波に襲われております。

それで有名な「稲村の火の館」にも行って参りまして、濱口梧陵さんがその安政の津波のあとで、ご自身の私財を投げ打って広村堤防という堤防を築かれた、その堤防も未だに残っておりまして、そこも見せていただきました。

本当に厳しい状況下にある和歌山県でした。

下津港には直立浮上式防波堤という津波が来たら、水面下からぐうっと自然に防波堤が浮き上がってくるんだと、250億で国交省が計画をしておりまして、その事業の場所に立って説明も受けて参りました。

本当に大変な所でございましたが、私はこの和歌山に行って一番興味を持ったというのでしょうか、関心を持ちましたのは、その前の年に水島港に管理組合の視察で行ったときに、水島港は境港より、遥かに貨物量が多い港ですが、ここの港を使う船は瀬戸内海を西に向かっているのですか、東に向かっているのですかということを聞いたら、やっぱり水深の関係で、いつか知事もおっしゃっていましたが、全部東に回って紀伊半水道を通って太平洋に出るんだと言う話を聞いたことがあります。 

その紀伊水道に面した和歌山県に実際に行って立ってみまして、そうするとやはり東南海・南海地震が襲ってきたときには、和歌山県はもちろん大阪・神戸・瀬戸内海そして四国の太平洋側全て大きな影響を受けるわけでございます。

その時に中国地方、そして瀬戸内海、そして四国地方の災害対応の拠点港は境港が担わざるを得ないのではないでしょうか、と私は考えます。

そういう側面もありますので、私は地域のニーズに限らず、やはり今後の津波対応、地震対応を考えた国としては防災拠点港としての、復興拠点港としての境港については、格段の援助を援助というんでしょうか、力を入れていただきたいということを知事は、これからも国に向かって要望していかれる折には、語っていただきたいと思います。

また、今の東日本大震災の例を見ましても、食糧、漁業、水産業の拠点になって、それを配給する港というのも大変重要になって参ります。

今、話しました境漁港も、そういう意味では、非常に大きな力を発揮するだろうと思うんです。

そういう意味あいを込めて、やはり高速道アクセスの整備というのは、考えていかないといけない。かつての先人が新産都構想で努力をはらった、私たちは今、次のステージに向かって、頑張っていかなきゃいけない。

今、知事はもう一歩のところで、躊躇されるのがなんなのか、出来たらもう少し詳しくお聞かせをいただきたいと思いますが、たとえ、そういう困難性もあろうかと思いますが、鳥取県知事として、政治家平井伸治として今やらねば成らないことに対しては、何十年先を見据えて着手していくんだと、やっていくというリーダーシップを発揮していただくときではないかと、私は考えるのですが、知事の御所見を伺いたいと思います。  




      平井知事(答弁)

 

安田議員から重ねて境港と道路交通ネットワークについてお尋ねをいただきました。

新産業都市のその時の思いをしっかりと受け継いで、今、成すべきことをすべきではないだろうかと、また、国レベルで言えば災害対策、その時の港としての境港の港湾機能を活用すべきことになるんではないかと、食糧の拠点という意味もあるのではないだろうかというお話をいただきました。

基本的なプロット、筋書きは、議員の方でおっしゃった通りだと私も考えております。

特に東日本大震災がございまして、その後のこの国の国づくりということを再考せざるを得なくなったということだと思います。

それは国としてのリダンダンシー、代替可能性というものを考えなければならない。

それは太平洋ベルト地帯に全てが集中している今の状況ではなくて、そうではない出口なり、交通路なり、ルートなり、そういうものを確保していかなければならない、こういう時代がやってきたんだと思います。

東日本大震災のときもですね、結局三陸海岸のところの海沿いは、ずたずたになってしまいました。                      

鉄道もそうですし、それから道路もそうでありました。そこに、くしの歯のように東西に延びる道路が機能して随分と迂回をしながら物を運んでいったということがあります。

かたや、仙台市の方では、仙台東道路が出来ていたところは、そこから内側の方は、あまり被害を受けずに済んだ。最終的には東北道なり何なりが機能しまして、物流なり人の流れを確保することができた。

同じことは阪神大震災でも起きたわけであります。その時に日本海側というものは、阪神間に変わる代替性のある、リダンダンシー機能を果たしました。

国道9号線を通って物流が結ばれるということになったわけであります。

こういうような過去の経験から、我々は新しい国づくりを考えるときに、何に重点を置くべきか、そのことをよくよく思いを致さなければならないのだと思います。

そうした国家のグランドデザインについて、全国知事会あるいは、国に対して私の方からきちんと発言をし、提案をしていかなければ、いけないことだというふうに思います。

新産業都市という構想の時代には、一定の青写真が出来ていたんだと思います。

昭和41年の新産都市の話がございました。ちょうどその同じ年に、高速道路についての予定路線が米子から境港ということで、打ち出された時期でもございました。

その後、色々と考え方は変遷をしたわけでございまして、結局、私が不在の時期になりますけれども、平成18年に国とやり取りをしまして、この米子〜境港間、正確には米子〜米子北インターチェンジ間、これについては、当面は執行しない、事業は行わないということで、国と鳥取県とのやり取りになりまして、休止と言う事になっているのが現状だと思います。                

 ただ、今、山陰道がですね、できてくる、それから境港の日本海側としての拠点港ができてくる、地震というようなことに対するその後の新しい公共投資の考え方がでてくる、こういう中で私たちは、もう一度その扉を開け直さなければならないのだと思います。

 タイミングとしては、ちょうど今がその時なのだろうと思いまして、斉木議員の代表質問、また内田議員のご質問もございましたが、今、こういう声をですね、鳥取県から上げ始めているわけであります。

 ただ、まだ緒についたところでありまして、地域を挙げてそうした重要性を今後、国のほうへ粘り強く、力強く訴えていかねばならないと思います。

 私もそういう北東アジアゲートウェイという新しい時代の担い手として、役割を果たしたいと思います。

 

      安田議員(追求質問) 

 

 今日の知事の答弁を聞かせていただきまして、私も安心をした次第でございます。

 山陰道の整備のあとに続けて米子〜境港間にかかるとしたら、後4〜5年しか準備期間がないわけでありまして、そんなに悠長に構えているわけにはいかないだろうと思います。

 知事がやるというふうに決断をしていただければ、私は応援する者は、たくさん出てくるだろうと思いますし、如何なる困難があっても皆で知恵を出し合い、汗を流していけば、必ず乗り越えられるだろうと思います。

 そういう形で、頑張って、境港が本当に鳥取県の経済の、県政の起爆剤になり得るところまでたどり着きたいと心から願っております。

 事務レベルでの3関係市町村ですか、米子市、境港市、日吉津村と県とで検討会、勉強会を開始するんだという話は聞いておりますが、それぞれの市町村がそれぞれの利害損得で判断をして参るだろうと思います。

 やはりここは、県が一1歩も二歩も前に出て、説得していく、リードをしていく、そして西部圏域が企業誘致でも経済的な波及効果でも得られるような形での道路の新設ということをやはり皆さんで、納得していただけるように説得していただきたいと思うところです。

 やはりこれは、政治判断が先ではないかというふうに思っております。

 改めまして知事の御決意の程をお聞かせ下さい。

 

 

      平井知事(答弁)

 

 

 基本的なスタンスとしては、北東アジアゲートウェイを鳥取県、山陰で果たしていくためには、米子・境港間のルート設定、これは改めて扉を開けて時代を変えていく必要があると考えております。

 その意味で、今、実務レベルというお話がございましたが、米子市、境港市、日吉津村という地元があります。

 これらの間での話し合いといいますか、協議もやっていかなければならないと思います。 

 いずれ、こういう形で誘致しようじゃないかと青写真を描くとしても、具体的なルート設定なり、どういうコンセプトで道路を設けるかというのが難しい課題もございます。

 それは、今までの経緯をみてもそうなんですけれども、とりあえず米子から米子北インターチェンジのところが、一旦ルート設定されかけて事業化というようなこともございました。

 ただ、その後どうなったかといいますと、外浜産業道路が出来ました。

 その外浜産業道路が、片道2車線でセットをされて、当時は20分で米子・境港を結ぶということだったわけであります。

 そういうような動きなどもあって、そちらの方に振った法線でですね、念頭においた米子北インターチェンジの構想というものがありました。

 ただ、今、431が片方に出来てですね、その後随分事情が変わってきているわけであります。

 では、どういうような考え方で米子から境港の方まで道路を考えるのだろうかと。それについては、もう一度議論を元に戻しながら話をしなければならないのだと思います。

 それをしようと思いますと、先程、地元の利害、得失が絡むということがございましたが、かなり突っ込んだですね、話し合いなり分析がないと、ここは青写真を描きにくいところもございます。

 ですから、今、私どもの方では、基本的なスタンスとしては、米子〜境間のですね、ルート設定が必要だというような声を上げ、もう片方で地元でよく話し合いをして、どういう呼びかけ方を具体的にするのか、いずれ事業を本当に考えるのであれば、こういう事業が考えられますよということも並行してですね、話し合いを始めていかなければならないということだと思います。

 そういうような意味で、色々と紆余曲折はあろうかと思いますけれども、私どもとしては検討の場を設けて、そして将来に向けた考え、議論、意見の交換というものを始めるべき時期だと認識を致しております。           

 

  

      安田議員(追求質問) 

 

 色々と返答をいただきましてありがとうございました。

 境港、米子も含めてですね、去年の3月11日以降、美保湾から津波が来たらどうしようかと。加えて島根原発の事故が起こったらどこへ逃げるんだろうか。431が1本で島根県からもたくさんの方が避難して来られるんだけど、どうやって逃げるんだろうか。できるんだろうか。高台はないし山はないしと。

本当にそういう声が満ち満ちております。

 この春も全ての小学校区で「市長と語る会」というのが、境港市で開かれたのですが、津波と原発で質問が集中しておりました。

 そういう状況の中で、この新しい道路の話というのは、市民がとても夢を持つ、未来を展望できる、そういう話題なわけです。

 だから、大変期待感が大きいんです。そういう意味で、できる道路には、いざ津波というときに、避難をすることができる、そういう機能を持った、やはり高さのある道路を作っていただくことも必要なことではなかろうかなと、思っております。

 どうか、色々な点でニーズの大きいこの道路の着工、完成に向けて、その時は私たちは、もう既に居るかどうか、私自身は生きているかどうかわかりませんけれども大きな事業に向かって、一歩やはりなすべき事業だろうと、着手しなければいけないことだろうと思います。

 ご一緒に頑張らせていただきたいと思います。

 宜しくお願い致します。

 

 

  

 

 



 

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