平成28年9月議会 一般質問 







交流新時代への対応について








 

今日は、交流新時代へと題しまして知事に質問をさせていただきたいと思います。

この夏、私は、境港管理組合議会の視察で上海に行ってまいりました。

長江、揚子江の河口に立地する上海港は、急激な中国経済の伸展とともに、今や貨物取扱量では世界一を誇り、アジア向けの外高橋港と、欧米向けの洋山港、大きく二つのターミナルから成っております。

山と積まれたコンテナや数え切れない程のガントリークレーンの立ち並ぶ様には圧倒されました。

とりわけ、沖合いの島まるごとターミナルとして整備し、32.5kmの橋を架けて本土と高速道路で結んだ洋山港については、ただただ恐れ入るばかりでありました。

また、クルーズ船寄港ではアジアトップの宝山国際ターミナルは、2011年の開港から僅か六年目の今年、460隻が母港として発着し、利用客は実に274万人、中国全土のクルーズ人口の75%を占めるということでした。

我が境港が、この上海港と21年にわたり結ばれていることに感謝し、航路船社である神原汽船現地法人の楊(やん)社長を表敬訪問した次第であります。

さらに、高速道路も未だ通らず、駐車場も無い宝山クルーズ船ターミナルに向かって、唯一のアクセスである地下鉄の駅から、遠路、炎天下の道を行列を成して歩いてくる人々の群れに、中国13億の民の底力をかい間見た感がしました。

こうしたクルーズ人口の需要に応えて、岸壁では、現在の10万t、20万tに加えて、16万t、22万tの船を同時に受け入れることが出来るよう延長工事が進められており、合せて来年度末には、ターミナルビルもあと二棟新設されるということでした。

境港へは、上海からのクルーズ船寄港はまだまだ少ないものの今後についての可能性に期待を持つことができました。

その境港では、新たに中野地区に水深12mのターミナルが併用開始となり、大型クルーズ船の接岸も可能となることから、今後、昭和南と合せ年間50隻程度を受け入れることが出来るようになります。

境港は今,国内有数のクルーズ船寄港地として揺るぎない地位を築きつつあり、竹内南ターミナルの完成に夢が膨らみます。

時を同じくして、米子空港にも、初の香港定期便が就航、ソウル便のLCC化も含めて、これまで以上の広がりと、深まりのなかで、環日本海交流新時代の到来を実感するとともに、これまで掲げてきた「北東アジアゲートウェイ」の看板が現実と合わなくなったのではないかと思うのであります。

確かに、北東アジアの地域とはこれまでの長い交流を生かし、今後も関係を継続発展させていくべきであろうと思いますが、今、本県が目指しているのは、さらに南に広がる中国南部、シンガポール、タイ、マレーシアであり、看板と現実がそぐわないように思えてなりません。

以前にも質問したのですが、再度取り上げ、平井知事の真意を聞いてみたいと存じます。併せて、交流の今後をどのように展望しておられるのかもお聞かせください。

思い起こせば、平成9年竹内団地で開催された、夢みなと博覧会のテーマは「翔け、交流新時代へ」でありましたが、今、私たちはその夢をかなえる為にも、クリアしなければならない多くの課題に真剣に向き合わねばなりません。

今日は、その課題のなかから、新たな交流拠点となる「竹内団地」と「大山」について取り上げ、知事のお考えを問うてみたいと思います。

竹内団地については、新ターミナル完成時には、人・物集う新たな街が出現するということで、昨今注目が集まっております。

企業局のご努力もあってのことですが、団地内の未分譲地の売却も順調に推移をしていると聞きます。

加えて、国道431号沿いの空地、空店舗にも出店が相次いでおり、期待の高さが伺えます。

何より嬉しく思いますのは、周辺住民の皆さんが、境港の新しい玄関口を自分たちの手で整備しようと「竹内マツ植樹隊」として立ち上がってくださったことであります。

今でこそ、竹内団地ですが建設当初は反対運動で工事着手も遅れた経緯等を知る私にとりまして、感慨も一入のものがあります。

そのような中にあって、気になっておりますのは、団地南側の夢みなと公園の現況であります。

この公園は、博覧会の際に整備されたもので、小高い丘の上からは美保湾、大山、弓浜半島が一望出来る絶好のロケーション地であります。

駐車場に東屋、水飲み場、トイレ等も完備された立派な公園なのですが、雑木が生い茂り、道路からは存在すらもわかりかねます。

おまけに、夜間は暗く、ある意味、非常に危険な場所になっております。

屋根付きのステージまで用意してありますが、この公園での催事等、最近では殆ど聞いた事がありません。

竹内団地のみなとを核とした賑わいづくりの展望とともに、この公園の再活用について知事の所見を伺います。

 

大山については、かつてそして今日もこの議場で福間議員が語られたとおり、その裾野に住む私どもにとっては、その存在の大きさと、恩恵の深さは計り知れないものがあります。

昨今、開山1300年祭にはずみをつけるように、博労座の牛馬市が日本遺産登録を受けるとともに、大山隠岐国立公園として国立公園満喫プロジェクトのモデル事業としても選定されました。

全国32の国立公園の中から選ばれた8ヶ所のひとつということで、地元にとって、この上もない喜びであると同時に、この大山をどのようにブランド化し、世界水準のナショナルパークとして磨き上げていくか、私たちは今、大きな正念場を迎えているのではないでしょうか。

国の交付金を活用して、本議会にも総額36千万円の事業が計上される等、県の取り組みも活発になっております。

しかるにこの折角の取り組みが、開山1300年祭推進については、西部総合事務所、国立公園満喫プロジェクト推進事業については生活環境部、日本遺産登録については教育委員会が担当しております。

それぞれ国の所管に従った県行政の仕組みからすれば、当然の成行きではありましょうが、本当にこれでいいのでありましょうか、私は多いに疑問を覚えるものであります。

八月の末、たまたまつけたテレビで「ゲストの旅」という番組を見ました。元サッカー選手の前園真聖さんが大山を訪れ、阿弥陀川でのシャワークライミングや、この夏最も旬な話題となったグラマラス・キャンピング「グランピング」の体験を紹介しておられました。

外から目線で大山をめぐる新しい魅力を教えられましたが、とりわけ、バーベキューの食材として集めた境港の魚介類や、今売り出し中の鳥取和牛オレイン55、大山町の中村浩和さんが育てたメロンより甘いトウモロコシ、これら全てが大山の恵みから成るという説明には、「食のみやこ鳥取」が如何に大山のおかげであるかを思い知らされました。

スイーツ大好きで有名な前園さんは、ずっと食べたかったという名和小川養鶏のプリンとシュークリームを大量に買い込んで帰られました。

大山への取組みには、農林水産部は当然加わらねばなりません。県土整備部の協力も必要です。広域連携、広報、スポーツ等々全庁挙げての対応が求められるのではないでしょうか。

私の亡くなった父は、永年県政に関わった経験のなかから、「大山は裾野の広い山だ」と常々申しておりましたが、小さな鳥取の大きな山、グレートマウンテンダイセンを、今、世界に向かって売り出そうとするときに当たり、県庁ももっと全庁あげて向き合い、「寝ても目覚めても大山」を考える人をトップに据えて取り組むべきではないでしょうか。

庁内では現在、統轄監以下、関係する部局でプロジェクトチームが編成されているということですが、今後、外国を含めた国や、他県、関係市町村、マスコミ、企業、団体等々、対外的にも対応出来る組織と責任者を置くべきと考えます。  

知事のご所見を伺います。

併せて、平井知事ご自身は、大山を如何様に捉えておられますでしょうか。考えてみれば、こと大山に関しては、得意のダジャレも聞いたことがないように思います。「スタバは無いけど、スナバはある」に負けないキャッチフレーズで是非とも大山を売り込んでいただきたいとお願いいたします。

あっと驚くようなダジャレに期待を致しまして壇上からの質問と致します。

 

 

  平井知事 (答弁)                      

 

安田議員から一般質問をいただきました。

まず、交流新時代のひとつとして「北東アジアゲートウェイ」についてお尋ねがございました。

議員におかれては、上海のほうにご視察をいただき、また私どもも非常に大切にさせていただいております神原汽船さんの楊(やん)さんにもお会いいただいたそうでありがとうございます。

あちらの港の様子を見ていただければお分かりいただけますように、だいぶアジアの中心が上海のほうに今、移っておりまして、釜山そしてそれを上回る規模で上海という時代です。

また、この度、天津からもオベーション・オブ・ザ・シーズという船が来ましたが、あちらのほうもまた中国のなかでひとつの大きな港として頭角を現しているところであります。

 どんどん世界が変わっていくなかで日本も変わらなければならないんですが、釜山が臨戦を遂げるときに横浜とか神戸がどちらかというと、荷が減ってきた、衰退してきたとも言われ、素通りされるようになってきた。それがさらに上海ということであります。

 ただ、海は変わらずに今も私たちの目の前に広がっておりますので、その変わらぬ存在である海の交通路、これをしっかりと確保することが出来れば、実はその日本海側の山陰にも大きなチャンスがあるだろうということであります。

 今、鳥取県でも色々と港の活用をしてきて、今から10年前は14千TEUだったコンテナが今2万3千TEUと倍ほどに伸びてきているわけであります。

 その背景には、やはり、そうした交流を起こすための色々なポートセールス、向こうへ出掛けて行ってやったこともございますし、あちらのほうの企業さんに利用を呼びかけることもありました。

更には、の外国に出かけて行き交渉しながらDBSクルーズフェリーなど のような、そういう新しい航路を開くということも含めてやってきたところであります。

今、韓進という韓国の運送会社が経営が左前になって非常に、議論がでてきております。

幸いなことに、今、調べておりますけれども、直接な影響はあまりまだ境港のほうにはおよんでいないようでありますが、いずれにいたしましても様々な航路を開いて活性化をはかっていくべきだというふうに思います。

もし、これが可能になれば、港がいいということではりつく企業さんであるとか、また、我々が狙っておりましたクルーズ船、こういうような形で観光客が海からやってくるということになります。   

実にそのクルーズのことで言えば、だいぶ時代の幕が半ば開いてきたという感じだろうというふうに思っております。

「北東アジアゲートウェイ」というお話を常々申し上げております。これ実は、私の造語でして、最初に選挙に出るときに書かせていただいた造語であります。

ちょうどアジアに向けて掌を差し伸べるように中国地方がその掌のところが山陰、鳥取県であると。

その鳥取県が北東アジアと近い距離にある。そこが結ばれてくれば時代を変えるチャンスがあるんじゃないかというふうに訴えかけたわけであります。

今日、現実にもクルーズ客船にのってお客さんが来る時代になりまして、本当に変わってきたなというふうに実感できるようになりました。

これが今、もっと南のほうにも目を向けるべきではないかというお話であります。

上海は多分、かろうじて北東アジアなのだろうと思いますが、シンガポールだとかそうしたところもいずれはでてくるだろうというふうに思います。

そこを排除するわけでもなくて、現実今は、どうなっているのかというと釜山トランジットが多いです。釜山トランジットで向こうと繋がっているという荷が多いようです。

そうした意味でアメリカ方面とか東南アジア方面、今までも例えば木材が入ってくるとか、そういうように海を渡って北東アジア以外からも来ているわけであります。

私も地理的な地形学的なことで考えれば、「北東アジアゲートウェイ」という看板を下ろす必要はないと思っていますが、その相手によってはですね、別のキャッチフレーズを使っても確かにいいのかもしれません。

例えば「オーシャンゲートウエイ境」とかですね、何か新しい港を売るセールストークこれも関係者とも話をして選定をして参りたいと思います。

次に竹内団地の公園のお話がございました。

夢みなと公園は平成8年から平成12年に日本海と大山が見渡せる一番きれいな港ですよと、そういうコンセプトの元にそのシンボルとして作られたところであり、今おっしゃった夢みなと博等々ですね、賑わいの中心でありました。

当時を思い返してみますと、日本丸、日韓丸とが来られまして、そこに停泊していたり。

またステージでは華やかなショーがあったり、また当時、境港市まだ売り出し中の水木しげるロードということもあって、鬼太郎のシアターをつくったり、大変多くのお客様で賑わうことになりました。

そのコンセプトとしては変わらない、今でも日本一美しい港というものが今公園にも備わっていると思いますが、今現在も色々な形で活用はされています。

例えばマイケル・ジャクソンのスリラーがありますが、スリラーをみんなで踊るというそういうイベントのときにそこのステージを使ってみたり、私自身も出席したところでは、青年会議所の周年行事があったときに、あそこでされました。確かに珍しいなともあの時も思いましたけども、ああいう行事があったり。また、夢みなとウォークのスタートポイントになったりですね。

様々なイベントで使っておられると思います。        

課題となるのは、多分、今度は、新しい港が出来た後、竹内南の国際クルーズ岸壁が誕生するときに、そのときにこれからじゃあどういうふうに使うかというところが大事なんだと思います。

今、境港では市長選挙が終わった後ですね、基本計画を作ろうというようになってきてまして、そこでもそうした竹内に今港が出来るときでありますので、あちらはあちらなりに地域の活性化を含めた色々な考え方を出されるのではないかと思いますし、それをぜひ私どもも受け止めて、公園の管理者側に境港管理組合がなりますから、提供して参りたいと思います。

あと合わせて、賑わい施設をどうしようかということがいずれ出てくると思います。

この賑わい施設についても今後、これは長いスパンかもしれませんが、ああいう貴重なスペースがあることは大きな意味が今後はあるのかもしれません。 

あと今回の議会でも登場してきましたけども、サイクリングロードを弓ヶ浜半島に走らせようとしております。

7.5kmが完成をしまして、先般、安田大サーカスの安田団長を初め愛好家の方が実際に試走されて非常にいい景色をご覧いただきました。

安田団長からは残りのルートの完成が待ちどうしいといったお話があったそうであります。

実は、このルート自体は、431が竹内団地に達するところで終わる予定だったんですけども、私も担当の皆さんとお話してみると不自然じゃないかと、ここで終わってしまうと休憩のことだとか、ちょっとお買い物とか、ましてクルーズ客船が入ってくる、更にはDBSクルーズがやってくるということになった場合、自転車が走るロードが港まで行ってないとおかしいんじゃないだろうかと。

このようなことを申し上げまして検討してもらったんですが、1kmくらい延伸をして夢みなとタワーのところまで走りこむように今、計画変更をしてきているところであります。                      

当然ながらルートとしては見晴らしのいい夢みなと公園を通るルートが有望だと思います。

そういうところでもサイクリストの皆様も走られるような愛される憩いの場になっていただきたいというふうに思います。

 

次に大山につきまして何点かお尋ねがございました。

ひとつは組織のこととか、担当者のことのお話がありました。

議員も今おっしゃいましたけども、私たちも私たちなりの特別なシステムといいますか、体制を組もうとしておりましてプロジェクトチームとして動かそうというようにはしているところであります。

ただこの度、大山1300年祭の実行委員会がいよいよ発足することになります。

今月を目標に今、関係者と日程調整をしているところです。

そうするとその事務局を作ることに当然なりますし、それから議員のご指摘のような大山隠岐国立公園ナショナルパーク化に基づく3億あまりの予算を今回ださせていただいていますが、諸施設の整備であるとか、いろんなこともスタートすることになります。

大山の話は、実は西部だけに留まらないところもありまして、中部のほうの三徳山も大山隠岐国立公園の一角になりまして、実は昔の大山道を活用しながらですね、古道を復活させるということもあり、三徳山に至たるルートも、今後目玉としてもっとアピールしていこうじゃないかと。こんな声も上がっています。

ですからそうした中部だとか、或いは、岡山側だとか島根県との連携も必要になります。

デスネーションキャンペーンが島根と共同になりますし、それから日本の  JTBとのキャンペーン、これは岡山も含めて中国地方一体のものであります。

 このようにある程度大きなスケールで物事を動かしていかなきゃいけない局面が予想されます。

 今日もご質問がありましたので、後で、また本人とも話をしなきゃいけませんが、副知事をトップにですね、また、そうした組織化を図ってみたいと思いますし、また、大山振興室のようなこれから大山を盛り立てていこうというような部屋を西部の総合事務所の中に新たに室体制を作ってみようかと思います。

 善は急げでありますので、実行委員会ができますから、実行委員会ができる頃と軌を一にして組織改正も行わせていただきたいと思います。

 また、大山をどういうふうに捉えているのかというお話がございました。

 大山は今議員がおっしゃったように大山さんでありまして、我々にとってはなくてはならない山だと思います。

 まさに仰ぎ見る山であり、色々と私たちに恵みをもたらしてくださる山であり、また色々な思い出がそこの大山の場でもたれるそういう場でもあります。

 最近は、ウエディングの施設もできたりしてますけれども、まさに人生そのものと言っていい値打ちのある山ではないかと思います。

 この大山には、私もちょくちょく実際に出かけておりまして、2月には日本遺産の発表のときに大山寺のほうに上がらさせていただき、みんなでお祝いをさせていただきましたし、6月のたいまつ行列の日の前夜祭。こちらのほうにも今大山1300年祭がありますのでお伺いをさせていただきました。

 この度バーガーフェスタが開かれますが、それにも行こうかというふうに思ってますし、奥大山のほうの調印式でも鏡ヶ成のほうにお伺いをしたり、これは米子ではありますが、米子コンベンションセンターで山の日の行事、ご質問のあった山ガールの集まっている場でありますけども、それにも出させていただくなど今、精力的に大山のことにも私自身も関わって行動しようというふうにさせていただいています。

 何かダジャレをということでありますが、それはまたおいおいということで。

 実は、色々とやっていることはやっているんですね。

 例えば、こんな話をしに議場に来ても仕方ないと思うんですが、ご質問なのであれですけど、例えば準備委員会のときにですね、その時にぜひ大山だけにだいせんこうを収めようということを申し上げさせていただいたんですが、これはひとつも字にならなかったです。

 それから、これはちゃんと流行ったなと思っておりますのは、バーガーフェスタの掛け声でガンバーガーというのがありますが、あれは私が言い出したダジャレでありましてそういうようなことでですね、私なりにも貢献はさせていただいている。

 まだ、安田議員、長い人生ですので温かく見守っていただければと思います。

 

 

 

  安田優子 (追求質問)

 

まず、「北東アジアゲートウェイ」なんですけども以前にも質問をしまして、ずっと私は交流の相手としての北東アジアということを考えていたんですね。

交流の相手、対象。知事の御答弁をもう一度よく読んでみると北東アジアに近いこの鳥取県。その存在を言っておられるようでその辺が食い違っているのかなという気持ちで、また同時に「北東アジアゲートウェイ」にこだわられる知事の思いも私もよくわかります。

唯一の環日本海定期航路DBSは知事がサミットで提唱され実現にこぎ付けられたものですし、ソウル便の中断のときにも頑張られて継続しておられる様々な面で平井知事の思い入れもあろうかと思います。

了解をいたしましたが私は私なりにちょっと違うことを考えておりまして、実は、米子に東亜青果という会社がございます。名前のとおり満鮮貿易でスタートした会社でございます。

その初代社長を私の祖父が務めておりまして、私が生まれる前に若くして死んでおりますので、私は、この間お亡くなられた秦野社長からそのことを教えていただいたんです。

それでそういうこともございまして、長春に向かう道すがら広大な香蘭畑を目にするとなんかこう懐かしさのようなものを自分で思う気持ちがございますし、度々お邪魔している吉林省には親しい友人もできておりまして、この交流というのは、今後とも継続していきたいな、大事にしていきたいなというふうに思っております。

そして、現状上海に行っても確認しましたが、今、知事がお話になりました天津であるとか深せんであるとかそういう若い都市がどんどん伸びているのだというお話を聞いてまいりました。

そっちへの可能性というのもはずせないものもあろうかと思います。

私は境港でございまして、かつて境の港は戦前、大陸の航路を持っておりました。

戦争で一切を失ってしまったわけであります。

今、70年かけてやっと今日を迎えているということに、大変重たい意味を感じております。

そういう意味で環日本海というのが、平和であり繁栄を求めるそういう海であってほしいという思いをずっと抱いてまいりました。

私は交流を「環日本海交流北東アジアゲートウェイ鳥取」或いは「境港」こういうふうに解釈をさせていただきたいと改めて思った次第でございます。何かございましたらお願いをしたいと思います。  

それからですね、香港便が念願の就航をいたしました。知事にはご苦労様でございました。世界のハブ港と言われる香港空港と結ばれること、この安定就航を果たしていかなければなりません。

そして、今日質問をしましたけれども、大山のためにも、蒜山も大山の公園の一部でございますので、やはり、岡山との連携、岡山空港との共同作戦というのが大事になってくるのではなかろうかなと思っております。

その意味で内田議員からもございましたが、米子道の4車線化そして元々の計画通りに境港終点これを実現することが鳥取県にとりましても喫緊の課題ではなかろうかと思っております。見通しの程をお聞かせを賜わればと思っております。以上です。                

 

 

 

○ 平井知事 (答弁)  

 

安田県議から重ねてお尋ねがございました。

 まず、境港の国際交流の位置づけということでありますが、今、議員のほうからおっしゃったこと、全くその通りだと思います。

 「環日本海交流北東アジアゲートウェイ鳥取」或いは「境港」そういうことをモットーにしてこれから基本戦略として向かって参りたいと思います。

 確かに、私たちの目の前に広がる海でございますが、今日は残念ながら台風がやってきて時化ているわけでありますが、この海こそが、大陸からこの国に文化をもたらして、ここに日本という国が生まれる礎にもなったといわれるところでありますし、先ほどおじい様のお話がございましたが亡くなられた秦野社長さんにお悔やみを申し上げたいと思いますが、その東亜という言葉のなかに隠された歴史と絆というものを私たちは大切にしなければならないのだと思います。

 そこはまず基本にあった上で、今、私たちはありがたいことに海の向こう  側にも江原道や吉林省といった、ただ会っただけでも理解し合えるような仲間ができたことは事実であります。

 これが経済交流や子どもたちの成長の糧として活用される。それもひとつひとつではありますけども実現し始めてきたわけであります。

 ぜひ、これを今後、その恵沢を将来にも向けて継承できるように、私たちも港の活性化とか、或いは航空路の活性化だとか観光交流、或いは物の動き、  荷物の動き等々も含めて、今が勝負どころとしててこ入れしてきかなければならないのだというふうに私のほうも認識する次第でございます。

 また、大山ということを考えたときに中国圏域で南北の一体化、中国山地の南と北を結ぶような形での大動脈を力強く作り、それが日本海まで抜けていくその道筋を作らなければなりません。

 そういう意味で蒜山のお話がありましたが、この度江府インターのところの3kmあまりが4車線化がなされることになりました。

 これに留まらず岡山道側もございまして、米子-岡山の横断自動車道の4車線化岡山道と米子道が動き始めたところであります。

 来月の下旬になりますが、東京で決起大会を改めてやろうと。これは国会議員の方々も来られるということでありまして、私も伺おうかなと思っておりますが。

 これが単に3kmだけで終わるんではなくて、きちんと米子までですね、4車線がいずれは繋がっていくように我々の運動を強化していかなければならないと思います。

 あともうひとつは、そこのもう少し先、米子道が延びるべきところでございます、境港方面でございますが、これについては今、地元の国交省の直轄の所長も入り、それから県や両市等も入りまして、研究会を進めております。

 その具体のどういう状況かというのは県土整備部長からお話をさせていただきたいと思いますが、例えばアンケート調査をやる。そうしてその道路の必要性について、それが浮き彫りになれば、この主張をしていくということになりますが、そういうことの基礎調査、またセンサスなんかもあります。

 そういうものの分析をしたりしてストック効果がこの道路にはあるんだということをまず立証していかないと、事業というものが現実にならないと思います。                      

 そこのフォローアップをしていかなければなりません。

 あと地域での正直な話、合意形成が必要な部分、ルートについてもあるところであります。

 今、米子のほうでも市長選挙がまた春に行われるというタイミングもございますので、そうした日程なんかも横にらみしながら、多分、これから合意形成に向けてどういうふうに動いていけるのか、いけないのかそれを見定めていかなければいけません。

 ただ、いずれにしても最後はひとつにまとめなければ、国は動かないようでありますので一致結束した形で持っていく必要があります。

 実は平成18年、私の就任する前の国幹審でありますが、その国幹審において凍結が決まってしまったわけです。

 これをひっくり返すことはなかなか容易なことではありません。

 ただ、同じ時期に凍結をされた道路が、これが今、次々と解除をされていまして、平成30年頃になりますとそうしたところが開通してくるというよなことにもなってきます。

ですから、もういよいよこっちの番だと順番を考えなければいけない時期になってますので、いつまでもどこがどうだと言っていられるかということもそろそろですね、我々もタイミングを見なきゃいけないのかもしれません。

 いずれにいたしましても道路事業のやっかいなところといいますか、大変なところは、地元が必ず協力しなければ絶対に出来ない事業であります。

 従いまして、境港・米子両市それから日吉津も関係するかもしれません。

 関係者含めてですね、合意が整えられるように、これもその研究会の場で議論をしていくということにいたしております。    

 

 

○ 山口県土整備部長 (補足答弁)

 

 私のほうからは米子-境港間の道路整備の今の状況について補足の答弁をさせて頂きます。

 先ほど、知事が申されましたように、米子-境港間の高規格幹線道路につきましては、平成18年度の第2回国土開発幹線自動車道建設会議、いわゆる国幹会議におきまして当面着工しないとして事業凍結された経緯がございます。

 従いまして、まずは、凍結解除に向けた動きこれを加速化させることが必要と認識しているところでございます。

 そのためには、関係市村及び県が一枚岩になりまして米子-境港間に高規格な道路が必要である。こういったことをいわゆる地元合意の下、道路の必要性や妥当性を具体的に訴えかけていくということが必要であるというふううに考えるところでございます。

 その為、先ほど、知事が申されましたように平成283月まで勉強会でありました、これまでのあり方勉強会これを国、県、市村で立ち上げた検討会という形で格上げいたしまして、現在、地域の目指す街づくりの方向性について検討しているところでございまして、具体的には今、3つのワーキングをおきまして圏域の目指すまちづくりの方向性を検討していく。

 また、企業アンケートなどをいたしまして、このあたりの地域全体が道路ありきではなくて、どのようなものを目指していくのか、そしてこれを踏まえまして、このなかで道路交通センサスなどを踏まえながら、この圏域が発展するためには道路がどのようなものを目指すのか。

そして、そういったことを踏まえた上で、この高規格な道路に何を望むのかこういったことの高規格な道路の必要性を浮き彫りにさせようということを考えて作業をしているところでございます。

 そして今後につきましても、こういった検討などを踏まえながら高規格な道路の活用を想定した上でいわゆるストック効果の裏づけ、こういったことをまとめておきまして、この必要性や妥当性を強く訴えかけていくと。こういった作業をとりまとめて参りたいと思っております。

 先ほど、知事が申されましたように、この凍結解除に向けた動き、非常に時期的なタイミングもあろうかと考えるところでございます。

 そのためにも一日も早く地元が一枚になりまして、この検討会のとりまとめを行わせていただきまして、強く国のほうにもアピールできるように準備を整えて参りたいと考えているところでございます。以上です。

 

 

   安田優子 (追求質問)

 

 

 4車線化、或いは米子-境港、終点境港まで頑張っていきたいと思います。

 3月に真庭の太田市長さんにお会いしてまいりました。4車線化、一生懸命頑張っておられます。

 同時におっしゃっていましたのが、うちは蒜山をかかえていると。ぜひとも大山に繋げたいと。一緒になってやりたいと。事態がこういう展開になって参りましたので、鳥取県側としてもぜひ、タッグを組んでいろんなことを頑張っていただきたいと思っております。

 次に竹内団地の夢みなと公園であります。

 サイクリングロード、福間議員もおっしゃっていましたが、みんなが楽しみにしておりまして、431で留まっていたものがそれから先、だいたい公園の中の道路が使われるような話も聞いておりまして、堤防の脇に立派な道路があるんですが、柵で止められていて、一体この道路もったいないなと常々私も思っておりましたのでぜひその道路を使っていただけば、眺めもいいし、それから、ヨットハーバーがすぐ右手に見えます。

 ヨットに加えてサイクリングというスポーツ面での賑わいも、竹内団地に加わるということで多いに期待をしたいと思います。

 大山から或いは、もっと東からのここが終点になるサイクリングロードとしては、やまなみ街道サイクリングロードとか、愛媛までの400kmコースというのも今協議中だと聞いております。そういう意味では、境港から今度は、島根のほうに向かっての起点にもここはなるところでございます。

ぜひとも、サイクルステーションって言うんですか、いろんな整備をしたりする、そういうところとして整備を進めて頂きたいということをお願いをしたいと思います。

 私も娘が学生時代、サイクリングをやってまして、日本列島を走りまくっておりました。夜は野営をして、公園にテントを張ってというようなことをやっていたようでして、今、マリーナのキャンプ場が時代に合わなくなりまして利用者が本当に減りました。

 ぜひ、この公園では、オートキャンプ場のようなことや一般にサイクリストなんかがキャンプを張れるようなそういう設備も併せていただけたらいいかなというふうに期待しますとともに、私が兼ねてより申し上げております岸壁に向かっての道路は将来を考えれば是非とも4車線化が必要であろうと。この公園の整備と併せて4車線化という計画を進めていただけたらありがたいと思いますが、この辺についてのお考えをお尋ねさせていただきます。

 

 

   平井知事 (答弁)

 

重ねて安田議員から境港のサイクリングロードや道路につきましてのお尋ねをいただきました。

4車線化のところにつきましては、これは県土整備部長のほうからお答えを申し上げたいと思います。

サイクリングは、今議会で議論がでましたけども、やはりひとつのトレンドとしてこれから若い方だけでなくて生涯学習、生涯スポーツとしてもサイクリングというのは有効でございまして、幅広い年齢層の方の旅のテーマになると思いますし、勿論地元の方もそこで、体を鍛える、健康づくりをする、そうしたこともできるようになります。

比較的安全な形で431の脇を走るような形になりますので、そういう意味で白砂青松を楽しみながら、勿論白砂青松のなかで、タワーに向けて431の動線に沿いまして、皆生から境港に向けて走るというような形になりますから、白砂青松を楽しみながら行くということになるだろうと思います。

また、これが出来ることで今後、サイクリングロードの設定も展開が変わってくる可能性も充分あると思います。

このあいだも野坂議員が米川沿いのサイクリングロードが狭い話があったと思いますけども、こちらにきちんとしたロードがつけば、またそちらを選択されるサイクリストも増えてくるだろうと思います。

これがどっちのルートでいくかわかりませんが、境水道ルートとか周って松江のほうに向けていくというようなことも充分考えられます。

その意味で、やはりひとつの基盤を作らなきゃいけないということが、実は道路建設と併せてあるわけであります。

私どもの目標としては31年の竹内の港が実際お客様が乗ってくるようになるとき、そのときを目指してサイクリングロードも開通させたいと思っています。

それがひとつの賑わい作りになると思います。その際に、企業さんだとかそうした方や場合によっては観光協会とかかもしれません。

ご協力をいただきながら、サイクリストたちをお出迎えできるようなそういう機能を持たせなければいけないわけですね。       

実は皆生であるとか、大山のあたりであるとかコグステーションといわれるものや、サイクルカフェといわれるものなど、サイクリストの皆さんにおトイレを提供するとか、或いは工具をお貸しをしていくとかですね。

そうした利便施設を作ってきております。

これはご商売もありながらですが、こういうのがないといけないわけでございますし、また、温泉が、多分サイクリストには楽しみだと思うのですね。

最後に温泉に浸かるということにもなりますし、また港に着かれた外国人はそこからスタートする。

そんな意味で着替えであるとかですね、いろんなものも必要になるのかもしれません。

その辺の実は手立てがまだ上手に出来てないと思います。

今から、港のポートステーションとも言うべきターミナルビルを造るわけでありまして、そのターミナルビルのなかにCIQ機能などが入りますが、もちろんそうですね。

それと併せて隣にある夢みなとタワーだとか近隣の施設などとかで、多少入り繰りが出てもおかしくないわけです。           

 例えば、境港の貿易関係の振興会なんかが、そちらのターミナルビルの方に入ってもおかしくないわけでありますし、そうすると部屋が空くかもしれません。

夢みなとタワーの方で使える部屋がでてくれば、そういうところで更衣室に替えられるかもしれませんし、31年度睨みでですね、その辺をよく今後、協議していって地元境港市の方とも話をしながら、進めて参りたいと思います。

 

 

  山口県土整備部長 (補足答弁)           

 

それでは私のほうからは、4車線化のほうにつきまして補足の答弁をさせていただきたいと思います。

先ほど、知事から御答弁申し上げましたように、この竹内南地区については、これから具体的な検討が地元の境港市の次期の総合計画なども含めまして具体的に色々な検討がなされていくと思います。

そのときには、実際の民間の観光団体とか、経済団体の方等を含めまして色々なことが決められていこうかと思います。

そのなかで、先ほどから出ておりますサイクリングロードについてもどうしようかと言われておりますけども、いずれにいたしましても、こういった話を含めながら、この4車線化するべきかの意思を含めまして、この竹内団地全体、どのような人が集まってくるのか、どのような賑わいづくりとしての役割を求められるのか、こういったことも踏まえつつ、また、今年実施しております境港市内のネットワーク調査、こちらの方も加味供えながら、総合的にどんな形が考えるべき道の在り方なのか、こういったなかで引き続き検討させていただければと考えているところでございます。以上でございます。

 

 

 

 

  安田優子 (追求質問)                    

 

大山については、大山振興室を設置していただけるということで、早速のご対応ありがとうございます。

林副知事におかれましては、トップにご就任をいただくということで宜しくお願い申し上げます。

その大山についてでございます。

突然話が変わるんですが、私は西部なものですから美術館というのは他ごとだと思ってよそ目で見てまいりました。

けれども、今語られているような場所を考えてみるに、これでいいのかなという気持ちがございまして、石川県の美術館に行って参りました。兼六園の道を挟んだ向かい側ですので、本当に隣接している。風致地区に立地をしておりまして、やはりそういう文化芸術ゾーンのなかにあるということは、非常に大切なことかなというふうに思いました。

それと、中に入ったら一番良い展示室に野々村仁清の雉の香炉が一対、ただそれだけ、広い部屋のショーウインドに飾ってありました。

一方は国宝、もう片方は重文の指定をうけたものです。翻って我が鳥取県にそのような財産があるんだろうかということを思いました。

池田候の、どういうんでしょうか、姿勢だったんでしょうか、幸か不幸か私どもは何も残していただいておりません。

そのような鳥取県が何をもって売り込んでいくのかということを考えたとき、私は、やはり自然、景色、やはり大山から弓浜半島に向かうあの光景はひとつの財産ではないか。これをひとつの額縁に収めて展示するというのは、足立美術館がもうやってますが、もうちょっとスケールの大きい、そういうやり方もあるのではなかろうかと思ったんです。

周辺に古い保養所がたくさんあります。芸術文化人をそこに滞在していただくというのもひとつのゾーンの形成になるのではないかと思いまして、大場館長に話しました。

今更そんなことを言ってもらっても駄目ですと一蹴をされてしまいました。

でも私は、日光国立公園は、大変、関東の人間にとってすごいところです。子どもたちの修学旅行にも連れて行く、知事もお分かりかと思います。

日光国立公園に負けない大山だと思っておりますけれども、残念ながら東照宮は無い、大山に。今の大山は大変、民間資本のお力で点としての魅力はいっぱい出来てます。

総じて私から言わせていただければ、画竜点睛を欠くという状況かなと思っております。

幸い、今後20億の国の交付金も入ってくるわけです。

県が行政として何をこの大山に果たしていくのか、考えていかなければいけないんじゃないかなとも思っています。

私はこの大山、志賀直哉が死の淵からよみがえった、感動を与えてくれたその場所、訪れる人を感動させるそういう力を多くの人に味わっていただくために県にも頑張っていただきたい。私たちも頑張ります。そういうことでございます。宜しくお願いします。             

 

 

  平井知事 (答弁)

 

   安田議員から重ねてのお尋ねがございました。

 大山につきまして、様々な観点からのお話がございました。大山は、私たちにとっていわば命の源泉となるような山であろうかと思いますし、志賀直哉の話もございましたけども文学の世界でも取り上げられるスピリチュアルなそういう聖地であると考えるのがよろしいかと思います。

 大山の素晴らしさについては、これを守ろうという方々がいらっしゃることもまたひとつであって、先ほど一木一石運動の話がありましたが昭和60年以来山頂を守ろうと立ち上がった方々がおられ、様々なボランティアによっても支えられているところです。

  私も天皇皇后両陛下を植樹祭のときにご案内をしましたとき、大山寺のほうに上がるときに天気を心配しましたが、非常に不思議なほどに綺麗に青空が出て、その山の頂を天皇皇后両陛下が遠くに見あったのを本当に見ながら、私もしみじみとしました。

  あれが大山伽羅木ですねというふうに天皇陛下がいみじくもおっしゃったことに大山という山の価値を感じたような気が致します。 

  この大山については自然のこともあり、また歴史でも僧坊が沢山あったということもあり、文学のこともあり、牛馬市などご紹介いただいたような日本遺産にまつわる様なお話もあり、いろんな魅力があるかと思います。

  これをいっきに花開かせるのが、2年後のことでございまして、平成30年のお祭りをひとつの目標として地域が結束できるそういうモーメントが作れれば流れが変わってくるのではないかなと期待しております。

  そういう意味で、先ほど副知事の話も申し上げましたが、県庁としても全庁を挙げて取り組む姿勢でやって参りたいと思っております。

  時任謙作が最後の場面で今、命を復活させるというお話がございましたが、山登りをしながら自分の人生を考えておられたんだと思います。

  そのなかで、ちょうど大山を登りかけたところで、夜明けがやってくる。そのときに光が徐々に米子の町のほうに動いてくる。影が少しずつ米子の町から上がってくるのが地引き網で引き寄せるかのようだったとつづっているわけであります。

  大山が多分、私たちの心もそして生活も私たちの豊かな今後の発展も地引き網で掬い取るように私たちを導いてくれているような気が致します。

  ぜひ、今日いいご質問をいただきましたので、体制を組んでそういう大山を機軸とした鳥取県の地域振興に向かって参りたいと思います。

 

 

 

 

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