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「世界遺産」石見銀山

  仙ノ山を地質学的に見るツアー
  横田教授を囲む仙ノ山地底物語
  主催 石見銀山地質研究会
  会長 松浦良彦氏
  講師 横田修一郎氏
  島根大学総合理工学部
  地球資源環境学科教授

 [石見銀山世界遺産センター]
  島根県太田市大森町イ1597-3
2011年6月04日(土)
世界遺産は観光面でとかく注目されがちだが、本来の銀鉱石そのものの調査などは余り公表はされていない。それもそのはず、銀は言うまでもなく貴金属であり特定の人々(国、採掘会社)が占有する土地でその情報は秘密にされ、なかなか一般人には触れる事が無い。今回、銀山に付いて詳しく聞けるのは楽しみだ。
参加者は総勢50名あまりで関心の高さが伺える。オリエンテーション室で資料を用い横田教授の銀山の講義が始まった。

講義風景

講義内容
[石見銀山・仙ノ山の地質構成とそれを利用した鉱山開発]
1石見銀山・仙ノ山の地質構成
 地形の特徴・地層と岩石・地層の分布・表層の堆積物
2福石鉱床と永久鉱床
 鉱床・銀鉱床と形成過程・鉱床の違い・鉱床の中の鉱物
3坑道の掘られた場所(地質的位置)
江戸時代の鉱脈図
鉱脈図
4清水精錬所について
□江戸時代以前の石見銀山の歴史解明 文献上の証拠・遺跡発掘による証拠
□銀山の発見と開発した人物
□銀山で用いられた技術

いや〜為に成る講義内容でした。にわかに銀山通に成った気がします。講義が終り、次に目指すは仙ノ山。
鳥瞰図
鳥瞰図は手書きですので大ざっぱです。

5班に別れガイドさんの車に乗せて頂き、本谷駐車場まで移動。途中の所々に石州瓦の原料の都野津層の白ぽい粘土が見られる。駐車場に到着。軽く足のストレッチをして、いよいよスタートだ。

都野津層 金生抗
都野津層の白粘土と金生抗
金生抗は江戸時代に掘られ、明治に蔵之丞抗とつながれて鉱石運搬に使われた。

大久保間歩
大久保間歩

江戸初期に大量に銀を産出した最大級の坑道の入り口は大変涼しく、温度計は10度を示していた。

金屋間歩

世界遺産ですよ。ハンマーで岩を叩いてはいけません。 今日はハンマーは持って来てませんヨ!

金屋間歩
金屋間歩

屋根や足場用に壁面に沢山の小穴が掘って有る。

本間歩
本間歩

入り口はガラが埋まってかなり狭くなっている。その都度、横田教授の説明に耳を傾ける。

銀鉱石
銀鉱石の露頭

銀が含まれている鉱脈だが素人にはただの岩としか見えない。

落石防止

遊歩道の真上に覆い被さる様に立つ大岩に何とも頼りない落石防止ワイヤーです。遊歩道整備の助言者・横田先生こんな事でいいですかネ? 色々意見がありまして〜私は良いと思っていませんが。 そうでしょうね。

井戸

仙ノ山頂上近くに昔の井戸が残っていた。水が有ってこそ集落が出来ました。道端にて昼食をとり、林道で山を下ります。

大森遠景 お地蔵様
大森の町並み お地蔵様は銀山の歴史を見守っています。

選鉱場趾
選鉱場趾 (明治時代)

山の中腹に広い空間が広がる。運ばれた銀の鉱石を選別する施設趾は城の様な石垣の上にトロッコ道が通る。

蔵之丞抗
蔵之丞抗

山の反対の金生抗 → 蔵之丞抗 → 選鉱場へと、トロッコで銀の鉱石を運んだそうだ。

案内板

案内板には明治の選鉱所の写真も有り、その規模の大きさに驚く。

下り坂

急勾配の木道を人間様は歩いて下るが、鉱石はシューターで滑り落とされる。

清水谷製錬所趾
清水谷製錬所趾(明治時代)

落とされた鉱石は再びトロッコに積まれ、ここまで運ばれ、この製錬所で溶かして銀を取り出す。

清水谷製錬所趾

この穴の中からドロドロ溶けた銀が流れ出たですかネ〜ダムじゃ有るまいし、大量に流れ出る訳ないでしょ!

五百羅漢
五百羅漢

最後の見学地、五百羅漢は橋を渡った岩屋の中に有りますが、有料なので素通り。周囲は久利層の岩盤でした。砂防堰堤を越えて無事世界遺産センターにたどり着きました。
ご年配が多かったですが、皆さんの健脚には感心致しました。皆さん無事故で何よりでした。今日も少し賢く成ったかな?次回も乞うご期待!

 

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