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2009ラストサマースペシャル
ミステリーゾーン探検クルージング
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9月6日(日)昼飯を食べながら妻が「天気が良いから何処か行こう」と言い出し、急遽出発進行!心地よい秋風を受けてのドライブ♪約1時間で某港に到着。駐車場から観光グラスボートが見えて、既に人が乗り込んでいる。
すぐ出航する?慌てて受付に駆け込むと出航5分前でセーフ。係の方が1時間くらいかかるのでトイレを勧めてくれた。用を足して乗船、親子連れなど約20名の観光客が乗っている。
心地よい海の風を感じて、観光船は日本海に迫り出した岬へと向かう。岬の断崖には黒い洞窟が口を開けている。
洞窟の手前100mくらいの所に在る船着き場から上陸。ちなみに、この観光船は20〜30人乗りの小型船です。船が小さいのは訳がありますが、後で解ります。
ここは何処!案内板発見!これを見ればどこか一目瞭然。島根県松江市島根町加賀の潜戸(かがのくけど)でした。
立っているのは HP 初登場の私の妻です。場所は旧潜戸の「賽の河原」に繋がるトンネルの入り口です。これよりミステリーゾーン探検の始まり始まり〜
トンネルの両側には、お地蔵さんを祀った祠がいくつか有り、お供物が供えてあります。だんだんと神秘的な雰囲気になってきました。

旧潜戸の洞口

昔使われていた船着き場がありますが津波と落盤で壊れ、現在は危険で使用されていません。コンクリートの洞門は戦時中のトーチカの様です。手前には賽の河原の石積みの塔が沢山見られます。
幅約20m,奥行き約50mの洞窟はかなり大きく薄暗く神秘的な空間です。お地蔵さんに人形、おもちゃ等がたくさんお供えしてあります。皆さん、静かに手を合わせていらっしゃいます。
[賽のかわら伝説]
太古の昔、海人族の女神達がここで子供達を産み育てた場所と云われています。幼くして生命絶えた我が子を埋め小さい石の塔を積んだのが始まりとも云われています。現在は、全国の亡き幼児の魂の集まる場所と云われています。
トンネルの出口で「早くしないと船が出るわよ」とせかされた。面白い構図だからと写真を一枚パチリ!大した事、無かったわ〜 モデルが悪い、カメラが悪い、腕も悪い。気を取り直し次は新潜戸です。
[潜戸鼻灯台]の真下にある洞窟に西入口から入ります。
見えました!高さ40m長さ200mの洞窟、三方に洞口があります。
かなり狭い入口です。それで観光船が小さい訳ですな。入口の上から清めの水も降っています。岩にぶつからない様に上手く入ってよ。あいよ!と船長
無事入ることが出来ました。左の鳥居は猿田彦命(サルタヒコのミコト)が生まれた場所だそうです。
洞窟の中は天井も高くかなり広い空間です、左側の洞口から光りが差し込み岩肌の模様が大変綺麗に見えます。
猿田彦命がここの岩戸を金の弓矢で穴を開け、勢いあまって島まで射抜き、穴が開いたと出雲国風土記に記されている。確かに、東側の洞口から見える的島に、穴が開いています。外の出るとかなり波があり廻りには奇岩が沢山見られます。
的島は猿田彦命が穴を的に弓の稽古したのでこの名が付いたそうだ。自分で島に穴を開ける程の腕前でまだ稽古する? 稽古熱心だね!

[ 潜戸鼻灯台 ]
ぐるっと岬を廻って帰路に着きます。アレーアレアレこの灯台見た事あるぞ〜?松の倒木も有るし?解りました。昔、ここで多古鼻灯台と勘違いして写真を撮ってていた、アホは私です。この下に洞窟があるなんて、想像もして居ませんでした。
今は道が荒れて陸からは簡単には行けないそうです。よほどの釣り好きか物好きしか行きません。
最後にもう一度「洞穴越しの的島」を見て帰りましょう。皆さん、ちゃんと写真撮れましたか? ハ〜イ撮れました!
どうでもよい事ですが実はこの建物の金物(ステンレス手摺、パネル等)は私が施工致しました。久しぶりの船のクルージングを妻共々大変楽しみました。その妻が下のポスターを見つけて「お父さん夕日の写真を撮りに船に乗ったら」と勧めてくれました。その内ね!
古いポスターですが今も運航しています。
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