日本海新聞ボツ投稿

 日本海新聞の「読者のひろば」への投稿で、惜しくもボツにされた投稿原稿を慰霊(いれい)するために作成しました。昔から日本には“言霊の幸ふ国(ことだまのさきはうくに)”という言葉があります。言葉には不思議な(れい)が宿っているようです。

 

目 次

■“携帯デビュー”から半年
■首相は誰がなっても同じ?
■安心と油断
■地方参政権は領土・憲法とのセットで
■「強制連行」は伸縮自在な言葉
■ノモンハン事件の真相
■ノモンハン事件の勝敗
■東史郎氏の裁判
■東京裁判と靖国参拝
■危険な民族責任論
■南京事件を考える
■公権力の行使と温泉の入浴を同列に扱うな
■慰安婦騒動は歴史への政治介入
■公共放送はCPの私物なのか?
■外国人への参政権付与は憲法違反
■それでも小泉首相は参拝する
■北朝鮮を普通の国と思う間違い
■国際社会の現実を見直そう
■国民年金について考えよう
■自衛隊のイラク派遣 成功を願う
■負けて良かったのか
■報道は「何でだろう」を追及して
■民主主義は与えることができるのか
■米国支持が国益にかなう
■ゲリラ戦術は戦時国際法に違反
■合併問題での協議を避けるな
■“五人を帰せ”論の非道
■吉田教授は“識者”に値するか
■「国交が正常化していたら…」論への疑問
■「日本海」の呼称問題
■北風と太陽と責任問題
■「弱者を狙うなんて」考
■原爆投下の真相
■コンピュータウィルス対策
■他人のふんどし
■誇り高き朝鮮人 洪思翊中将
■日本で一番辺ぴな島
■夫婦別姓のもたらす危険
■慰安婦問題 活字にされたウソ
■戦争を教えなくていいのか
■軍都なら許されるのか
■中国の歴史教科書を読んで
■教科書問題の不思議
■外国人の参政権要求は不当
■教育委員会の活性化を望む
■「らしさ」というモデル
■君が代の解釈と世論調査
■日本海新聞の読者となって

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■“携帯デビュー”から半年 (2012-08-18)


 携帯電話どころか、スマホと呼ばれる多機能携帯電話が大流行している世の中だが、やっと携帯電話を持つことになった。

 仕事の関係で普段は家にいるので、携帯電話は必要ないと思っていた。ところが、基本料金で比べると、固定電話より携帯電話の方が安くなったのと、迷惑電話が増えてきたので、今春から携帯電話に切り替えた。

 結果は大成功。携帯電話の欠点は、FAXが使えないこと。しかし、仕事では使わなくなっているので、別に問題ない。

 携帯電話の利点は多く、家族間の通話は無料になる。

 とても便利なのがアラーム機能。携帯電話には正確な時計が内蔵されており、それを使って10件までのアラームを設定できる。今までキッチン・タイマを何個も使っていたが、持ち運びに不便だった。このアラーム機能は、目覚ましにも使えるし、畑では熱中症の予防にも役立つ。

 楽しいのは動画再生機能。多少のパソコン技術は必要だが、この機能を使って15分間程度の音声を再生できる。ラジオ体操の音声を再生すれば、いつでも体操ができる。散歩のときは、胸ポケットに携帯電話を入れて、小さな音で音楽を再生する。水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」などを聞きながら散歩するのもいい。

 インターネットには加入しなかったので、Eメールはできない。しかし、携帯電話同士なら、昨年からCメール(ショートメール)を送受信できるようになった。インターネットはパソコンだけで利用している。

 ただ、携帯電話には注文もある。初心者は、ボタンを押し間違えて妙な画面が表示されると困惑する。ボタン一つで待受画面に戻る機能は必要だ。また、音声や動画の再生に制約が多すぎる。もっと開かれた環境への進化を望みたい。

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■首相は誰がなっても同じ? (2011-08-26)


 ときどき「首相なんて、誰がなっても同じ…」と発言する人がいる。この言葉を聞くたびに、私は暗然とした気持ちになる。

 首相といえば、わが国の最高責任者だ。それが誰でもいいはずがない。ましてや、今の日本には東日本大震災からの復興など、重要な問題が山積している。

 たとえば、戦時中の首相は東條英機だった。東條は頭脳明晰で、部下思いであり、軍事官僚としては優秀な人物だ。しかし、太平洋戦争という非常時に、東條首相でよかったと思う人は少なかろう。一国を担う政治家には向いていなかった。

 菅直人首相も同様だ。市民運動家や野党の幹部としては、それなりに存在感を示したが、首相になってからは悲惨だ。尖閣ビデオや放射能情報の隠ぺいをはじめとして、国益を害することの連続だ。

 首相が頻繁に交替し、日本がおかしくなってきたのは、首相としての靖国参拝をやめた安倍内閣からだ。阪神淡路大震災は社会党の村山内閣で発生し、千年に一度といわれる今回の大震災は、8月15日に閣僚が誰一人として靖国参拝をしない民主党の菅内閣で発生した。

 大震災が英霊の怒りかどうかは知らないが、次の首相には、きちんと靖国参拝してもらいたい。

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■安心と油断 (2011-08-06)


 “だれもが安心して暮らせる社会”とは、よく聞く言葉だ。しかし、この世にそんな社会はあるのだろうか。

 東日本の大地震と大津波は、日本人のこれまでの常識に衝撃を与えた。

 岩手県宮古市の田老地区には、「田老万里の長城」と呼ばれる大規模な防潮堤があった。これまでの津波には絶大な効果があった。しかし今回の大津波では、「防潮堤があるから」と安心して、避難せずに犠牲になった人も多い。

 7年前のスマトラ沖地震で発生したインド洋大津波では15メートルを超える津波が発生した。その翌年、政府の中央防災会議専門調査会は同様な巨大津波が三陸沖を襲う可能性があると指摘したが、別段の対策も講じられないまま、今年の3月11日を迎えた。

 2年前には、869年の貞観津波の研究者が巨大津波によって福島原発が被災する可能性を指摘したが、東京電力側は「学術的な見解がまとまっていない」「過剰な安全性基準はコスト高につながる」として無視した。

 太平洋はインド洋よりも広いのに、たかだか百年単位での知見をもとに、東日本の太平洋岸に巨大津波は来ないものと信じていたのだ。

 同じことは、国防についても言える。毎年8月になると、「非戦の誓い」とか「平和憲法」とか聞かされるが、憲法9条に基づく非戦とは、侵略を受けたら直ちに降伏するということなのか。尖閣諸島を奪われたら「先島諸島もどうぞ」という姿勢なのか。

 災害心理学者の広瀬弘忠氏は「20世紀は戦争の世紀、21世紀はもしかしたら災害の世紀」と述べている。世界的な経済混乱が続く中、局地的な紛争はいつでも起こりうる。

 どうやら安心と油断は、同じコインの裏表の関係にあるようだ。国防も、防災も、その基本から考え直す必要があると思う。

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■地方参政権は領土・憲法とのセットで (2010-01-28)


 日韓併合から百年になるのを機に、政府は韓国政府や民団からの要求に応えて外国人に地方参政権を与えたいという。これでは百年前に逆戻りではなかろうか。

 かつて内地にいた朝鮮人は日本国民として、地方どころか国政の参政権も得ていた。衆議院議員の朴春琴、貴族院議員の尹徳栄ら、数名の国会議員が歴史に名をとどめている。地方議員ならもっと大勢いた。

 一方で、「代表なくして課税なし」といって外国人に参政権を与えようとする人もいる。これは植民地だった米国の独立時に使われた言葉だから、まったくの屁理屈だ。朝鮮半島はすでに独立している。

 外国人が日本での参政権を失った理由は、まさに祖国の独立なのだ。韓国政府は、昭和二十四年にGHQに対して自国民の日本国籍離脱を要求してきた。

 地方参政権の付与は、国益を害する可能性が高い。明治三年にドイツで作成された地図が大阪大付属図書館で見つかった。この地図には竹島が日本領土になっている。昔から日本人が竹島や鬱陵島で漁業をしていたことを、西洋諸国は知っていた。その竹島が現在は韓国に不法占拠され、広大な経済水域も奪われている。

 その上、竹島の次には対馬が狙われている。三十万人を超える韓国人に地方参政権を与えれば、隠岐の島町や対馬市は簡単に牛耳られる。

 最高裁判決では、憲法九十三条にいう「住民」とは日本国民を意味するとされた。参政権が国民固有の、譲り渡すことのできない権利である以上、当然の判断だ。

 民主党は、先の選挙で民団の応援を受けた。票欲しさのあまり、党利党略で国民の主権を外国に売り渡してはならない。

 外国人への地方参政権付与は、後世に大きな影響を及ぼす。あとになって“間違いでした”ではすまない。少なくとも領土問題と憲法改正とのセットにして、後顧の憂いを完全に絶つことが条件だ。

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■「強制連行」は伸縮自在な言葉 (2009-02-20)


 二月十六日付の本紙に「丹波マンガンパネル展」に関して「一八九六年ごろから約九十年間、朝鮮半島から強制連行された人たちが採掘を支えた」という記事が載りました。

 日本は、日清戦争後の下関条約で、それまで清国に服属していた朝鮮を独立させましたが、その直後から「強制連行」が始まったことになります。

 「強制連行」とは、実は定義のない造語です。手元にある『広辞苑』(第五版)を見ても、「朝鮮人強制連行」という項目しかありません。「強制的に連行」といいますが、強制的でない連行(つまり自由連行とか任意連行とか)は、存在するものでしょうか。

 連行には、本人の意思とは無関係に連れて行くという意味がありますから、「強制連行」とは、「馬から落馬する」と言うようなものです。

 一般に、日本人が「強制連行」から想像するのは、吉田清治氏の『私の戦争犯罪』にある済州島での慰安婦狩りの光景でしょうか。しかし、この話には何の証拠もなく、すでにウソだと判明しています。

 ジャーナリストの田中宇氏が、丹波マンガン記念館を取材して『マンガンぱらだいす』という本を書いておられます。そこでは、朝鮮人元坑夫やその未亡人を二十人近く取材して、「国家の計画による強制連行(徴用)をされて来た人は見つからなかった」と書いてあります。

 同記念館の李貞鎬館長(当時)によれば、日本統治下の朝鮮半島で行われた土地調査のときに、両親が年貢をごまかすために申告しなかった隠し田が没収されて生活に困り、叔父から日本には仕事があると知らされて日本に渡ったことも、「強制連行」と同じだそうです。

 当時の炭坑の労働環境が劣悪だったことは事実でしょうが、何でも「強制連行」に結びつける風潮には疑問を感じます。

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■ノモンハン事件の真相 (2006-04-20)


 三月二十九日付の日本海新聞に掲載された「ノモンハン事件の真実」に反論する。どんな主張をしようと自由だが、歴史を歪曲・捏造することは許されない。

 縄氏は日本軍の敗北であるとする理由を「旧ソ連側主張の国境線まで押し出されて停戦した」と書いておられるが、基本的に間違っている。真相は次のようになる。

 近現代史の専門家である秦郁彦・日本大学教授は、『二十世紀日本の戦争』(文藝春秋)において「実態は引き分けに近かったようです」として、日本軍の方が損害が少なかったこと、および双方が領有権を主張した地域の北半分をソ連側が確保し、南半分を日本側が確保したことを挙げておられる。それが歴史家の常識的な解釈であろう。

 ソ連側の戦争目的が、単にモンゴル辺境の国境線を十数キロだけ拡張することだったとも思えない。バルト三国の例で言えば、ソ連は次々と不可侵条約を結んで相手国を油断させてから、ノモンハン事件と同時期に国境紛争を引き起こして侵略している。もし、ノモンハン事件で日本軍が壊滅していれば、満州国とて存亡の危機に立たされたはずである。日本軍は、少ない人数でよく戦った。

 日中戦争を抱えていた大本営は、前年の張鼓峰事件の時と同様に、ノモンハン事件の不拡大を指示したが、中国共産党を操っていたのは、ソ連のスターリンであった。日本は、戦う相手を間違えたのだ。

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■ノモンハン事件の勝敗 (2006-04-03)


 三月二十九日付の日本海新聞「やまびこ」欄に「ノモンハン事件の真実」と題する反論をいただいた。ここでは二点に絞って反論したい。

 第一は、拡大解釈である。私は「ノモンハン事件」という特定の事案において戦死者数を取り上げたのに、勝手に拡大解釈して、戦争全般に適用されても困る。ノモンハン事件は、結果的に国境紛争にすぎない。停戦の前に、戦線はほぼ膠着状態になっている。

 ところが、独ソ戦、ベトナム戦争、西南戦争は全面戦争であり、一方の側の軍隊が撤退・壊滅した。ボクシングで言えばKO試合である。KOに至るまでの手数も有効打も、勝敗に無関係なことは自明の理である。判定試合の国境紛争と同列に論じる方がおかしい。

 第二は、画定した国境線である。「ソ連側主張の国境線まで押し出されて停戦した」と主張されるが、自分で国境線を確認されたであろうか。結論をいえば、係争地域の北部をソ連が確保し、南部を日本が確保した。

 一九四一年に合意された国境線は『昭和史の謎を追う 上』(秦郁彦著)に図示してある。南部のハンダガヤ〜ハロンアルシャン地区では、ハルハ河寄りに国境線が引かれている。このため、モンゴルでは五百平方キロを失ったと悔しがる。

 この国境線は、停戦時における両軍の停止位置にほぼ一致する。停戦まぎわの九月八日から十一日にかけて、宮崎連隊や深野大隊などが激戦の末、ハルハ河近くの九九七高地やハルハ山を占領した成果なのだ。

 九月五日からモスクワで始まった東郷茂徳大使とモロトフ外相との会談では、モロトフの方から停戦を申し入れてきた。東郷は両軍の停止位置での停戦を主張し、モロトフは「なんで譲歩せねばならないのか」と渋っていたが、わりにあっさり譲歩して停戦となった。戦争が長引けば、ソ連に不利だからだ。

 ソ連軍は、負傷者が約一万六千名で日本軍の二倍、航空機や戦車は十倍ほども多く失った。“ノモンハン負け組”の作家・半藤一利氏ですら、今では「戦闘そのものは互角だった」と認めている。

 ノモンハン事件は、双方痛み分けで終わっており、ボクシングで言えば判定試合になる。有効打がどれだけあったかを論じるのは、当然ではないか。

 私は引き分けと判定したが、倉吉市出身の福井雄三・大阪青山短大助教授は、「ノモンハン事件は日本軍の勝利であった」と書いておられる(『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』)。日本軍の敗北だと判定する歴史学者を大勢ご存知なら、ぜひその学説をお示し願いたい。

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■東史郎氏の裁判 (2006-02-18)


 一月二十六日付の本欄「大河に見た歴史の教訓」に反論する。

 下村氏は大河ドラマの感想文の後半で、いきなり東史郎氏を登場させ、「真実を書き残された」「最高裁は国民を欺いた」と言われるが、それなら、きちんと論証していただきたい。

 東史郎氏の名前は、日本ではほとんど知られていない。しかし中国では“南京大虐殺の生き証人、トン・スーラン”として有名である。何回も訪中して、講演やテレビ出演をこなし、中国語版『東史郎日記』はベストセラーになった。

 ところが残虐行為の張本人とされた橋本光治・元伍長は、本を見て驚き、東氏らを事実無根の名誉毀損で東京地裁に訴えた。

 その結果、著作の元になった「陣中メモ」は実在しないうえ、捕虜を郵便袋に入れてガソリンをかけて燃やし、最後は手榴弾で爆殺したという現実離れした記述は「真実と信じる理由もない」と判断され、東氏は敗訴した。東京高裁と最高裁の判断も同じだった。日記の記述はウソと認定されたのだ。

 言うまでもないが、日本は法治国家である。争いごとが発生すれば、司法が双方の主張に耳を傾けて審議し、法律に基づいて裁決を下す。一回の裁決では誤ることもあるので、三審制度を採用している。その一連の結果に対して「国民を欺いた」と発言されることは、もはや公序良俗に反する行為と思えてならない。

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■東京裁判と靖国参拝 (2005-07-21)


 七月十三日付の日本海新聞「私の視点」欄の「外交面で国益を損なう靖国参拝」に反論する。

 反対派の人は、軽々しく「アジアの国々」という言葉を使うが、靖国参拝に公式に反発しているのは、反日の中国と韓国である。

 欧米はもとより、アジアでも、インド、タイ、インドネシア、パキスタンなど、多くの国の要人が靖国に参拝された。七月には、太平洋戦争の激戦地であったソロモン諸島のケマケザ首相が参拝された。

 中村氏は「A級戦犯は重大な戦争犯罪人だと認めることにより、日本は国際社会に復帰した」と主張されるが、まったくの誤りだ。

 A級戦犯とは、戦時の日本の指導者を処罰するために、連合国が「平和に対する罪」という新しい罪を作って付けた名前だ。これは事後法であり、もちろん違法だ。

 むしろ、戦争犯罪人に本当に該当するのは、捕虜虐待などの責任者であるB級戦犯、殺害を直接実行したC級戦犯であろう。常識に照らして、A級戦犯は犯罪人ではない。

 たとえば、A級戦犯とされた重光葵氏は、その後、国から勲章をもらっている。外務大臣となって国連総会で演説したときには、国際社会から拍手で迎えられた。賀屋興宣氏も法務大臣となって活躍された。東郷茂徳氏にいたっては、戦争に反対した人だ。

 東京裁判が間違いだったことは、責任者のマッカーサー元帥が、トルーマン大統領に直接述べている。インドのパール判事、オランダのレーリンク判事、さらには豪州のウェッブ裁判長までも、この裁判を反省しているのだ。

 第二次大戦後も、世界ではたくさんの戦争があったが、戦勝国が敗戦国の指導者を勝手に裁くという、中世の魔女裁判のようなことは行なわれていない。イラクでは、まもなくフセイン・元大統領の裁判が始まる。もし、米国が再び東京裁判を繰り返せば、世界中から非難を浴びることになろう。それが世界の常識だ。

 昭和二十七年の独立回復を受けて、国内では戦犯釈放の運動が盛んになり、四千万人という膨大な数の署名が集まった。翌年の国会で戦犯の赦免が決議され、連合国の同意も得て、戦犯とされた人々の名誉も回復された。A級戦犯らの合祀は、このような状況で行なわれたものだ。


<追記> 多くの冤罪を生んだB・C級戦犯の裁判

 A級戦犯が東京裁判で裁かれたのに対して、B・C級戦犯は、横浜、上海、シンガポールなど、東アジアの各地で裁かれた。

 およそ2年半の歳月を費やした東京裁判は、“文明”の仮面はかぶっていたが、一方的な、形だけの裁判であった。その証拠に、日本側の悪事を告発する証人には、偽証罪が問われなかった。つまり、法廷では言いたい放題であった。

 東京裁判に先立つ1945年12月5日付け『連合軍総司令部(秘)文書 AG000.5』のD項「証拠」には、次の規定がある。

(4) 被告が陸海軍部隊または他の集団・団体による集団犯罪に関する罪で告発されている場合、その集団犯罪に関し、以前に法廷に提出され、その部隊または団体の一員が有罪となったときの証拠は、当被告もこの犯罪について有罪であるとの、「第一級の挙証力をもつ証拠」として採択できる。

(7) 被告の自白または陳述と称されるものはすべて、自発的か否かの事前の証明なしに、すべて受理されるべきものとする。このような自白または陳述の真実か虚偽かの決定は、軍法委員会が行う。
――『洪思翊中将の処刑』(山本七平、文藝春秋)p.112より引用

 いったん「これは集団犯罪だ」といって告発されれば、以前の裁判で使われた証拠が、すべて無条件で、被告人にも適用される。おまけに、自白や陳述が、無条件で決定的な証拠となる。これでは、冤罪を生まないほうが無理というもの。

 実際、東京以外の各地で裁かれたB・C級戦犯の裁判は、それ以上に悲惨なものだった。サイト「極東国際軍事裁判(東京裁判)」には、B・C級裁判の様子が、次のように記述されている。

>裁判とは名のみで、ほとんど弁護人もなく、あっても形式だけで、はなはだしきは三、四回法廷に呼び出されたのみで死刑を宣告されるといった、ずさんな断罪であった。人違いもあり、犯罪事実に至っては、懲罰のため殴ったことがある、食事を減じた――ただそれだけで銃殺刑に処せられた兵もあった。

 戦いが終わってから、千人を超える軍人、軍属らが、このように無茶な魔女裁判によって、“戦争犯罪人”として命を奪われている。この中には、多くの冤罪があったことは確実だ。日本人はもちろん、世界の多くの人々も、そのことを記憶にとどめておく必要がある。

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■危険な民族責任論 (2005-07-12)


 六日付の本欄に掲載された「アメリカ追随は危険!」を読んで、大きな違和感を覚えた。

 「日本人全体が反省しなければなりません」という主張には納得できない。戦争を知らぬ世代にまで、何の責任を負わせるつもりだろう。

 『広辞苑』によれば、「反省」とは「自分の過去の行為について考察し、批判的な評価を加えること」とある。反省とは、自分の過去の言動について考えることなのだ。他人のしたことを、反省することはできない。

 石垣氏の主張は、日本民族としての連帯責任、あるいは民族としての罪といった考え方につながる。これは平和への道であろうか。

 民族としての罪という概念を正当化し、民族の責任を追及するならば、ボスニア・ヘルツェゴビナやルワンダのような凄惨な民族紛争になる。昔、あの民族にやられたから、次には仕返しをするのだ。法律面から見ても、まったく無茶な主張である。

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■南京事件を考える (2005-02-21)


 二月十七日の日本海新聞「私の視点」に載った縄勝文氏の「南京虐殺は存在した」を読み、南京事件について考えてみた。

 平成十年四月の『図書』(岩波書店)には、いわゆる“大虐殺派”に属する笠原十九司・宇都宮大学教授(当時)によるお詫びが掲載された。その理由は、岩波発行の『南京事件』に掲載した写真と「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」という説明が、虚偽であることが証明されたからである。

 笠原教授が参考にしたのは、中国国民党政府が昭和十三年に発行した『日寇暴行実録』という本であった。この本では、昭和十二年に発行された写真誌『アサヒグラフ』の「我が兵士に護られて野良仕事より部落へ帰る日の丸部落の女子供の群」という熊崎特派員による写真が、驚くべきことに、まるで逆の意味に改竄されていたのであった。

 南京は、昭和十二年十二月に陥落した。注目すべきは、その翌年に、国民党政府は史実を改竄した本を発行していることである。

 昭和四年には、中国で「田中上奏文」という偽書も出現した。日本が世界を征服しようとするなら、まず中国を征服せねばならないという、とんでもない内容である。この偽書は、その後の国際政治に重大な悪影響を与えており、中国では今も高校の教科書で教えられている。

 このような行為は、中国一流の謀略宣伝の一環であると考えざるを得ない。中国は、今も昔も偽造大国なのだ。そう考えると、当時の南京に滞在していた欧米人たちの不可解な体験の謎も解けるのではないか。

 南京安全区の委員であったマギーは、東京裁判で次のように証言している。「日本の兵隊が家屋に侵入してきた場合、私達がそこに行くと、すぐ兵隊達は逃げたのです。これはいつも、どういう訳で自分達が行くと逃げるのだろうと思って、不思議がったのです」。同様な体験は、安全区委員長のラーベも日記に書いている。

 民家に押し入って、強盗や殺人を働こうという凶悪な軍人が、中国人の通報を受けてやってきた丸腰の欧米人を見て、いつも逃げ出すというのは奇妙な光景だ。本当に日本の軍人だろうか。日本人と中国人を瞬時に識別できたのだろうか。

 前出のマギーであるが、日本軍による殺人などの不法行為を多数証言した後、犯罪の現行犯を自分で見ましたかという質問に対して「わずか一人の事件だけは、自分で目撃しました」と答えている。あとはすべて中国人からの伝聞だったのだ。

 その一人の事件というのも、日本兵に呼び止められて逃げ出した人が射殺されたというものであり、虐殺とは言えない。

 北村稔・立命館大学教授による研究では、英国紙「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員として南京事件を世界に報道したティンパーリーは、実は、国民党の中央宣伝部顧問を兼務していたことが明らかになった。国民党から資金をもらって、記事や著作を発表していたのだ。それで公平・中立な報道ができるのだろうか。

 私は南京での虐殺の存在を否定するものではない。しかし、中国の言う三十万人という途方もない大虐殺には同意できない。いずれ中国が民主化されて、情報公開がなされるようになれば、さらに真相が明らかになるであろうが、当分は、果てしない論争が続くであろう。

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■公権力の行使と温泉の入浴を同列に扱うな (2005-02-03)


 一月二十八付の日本海新聞に掲載の「国際化の要請に逆行」と題する有道出人氏の識者論評を面白く読ませていただいた。

 まず、北海道小樽市の温泉にかかわる有道氏の訴訟を、私は全面的に支持する。温泉施設が、外国人の入浴を断るということ自体が乱暴な話だが、実際には外国人かどうかを顔を見て判断するというから、白人差別とも言える。今どき、こんな差別は許されない。

 それでも、東京都の管理職訴訟に対する有道氏の考えには賛成できない。公権力の行使と温泉の入浴を同列に扱うことはできないからだ。

 有道氏は「なぜ国籍が人を選別する条件になるのか」と疑問を呈されるが、生まれながらにして米国籍を保有し、現在は日本国籍を取得された人には分からないだろう。恵まれすぎた立場だ。

 イラク戦争では米軍も多くの犠牲者を出しているが、その米軍の二割弱は“グリーンカード兵士”と呼ばれている。彼らは永住権を持つヒスパニック系やアジア系の兵士である。兵士として危険な任務に従事することで、市民権(国籍)を得ようというのだ。国籍には、それだけの価値がある。

 国籍について、有道氏は先進国は出生地主義だと主張されるが、日本は他のアジア諸国と同様に属人主義を採用している。これはこの地域の伝統である。移民の国と混同されては困る。

 また、当人の意思を無視して「日本生まれの外国人」という現象が起きる先進国はないとも主張されるが、これも誤解だ。すでに帰化の制度は整備されており、在日外国人を続けることは、自らの意思である。

 地方公務員といっても、その担当分野は広く、権限も大きい。各種業務の許認可、工事の発注、税金の徴収、教育政策の立案実施、安全保障や治安など、地方分権に伴って国家公務員との差は縮小しつつあり、就職難の時代に国民の人気も高い。それがなぜ外国人なのだろう。

 公権力の行使には重大な責任が伴う。最高裁が「外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは、本来我が国の法体系の想定するところではない」と判決を下したのは、憲法の国民主権の原理に基づいて当然のことである。

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■慰安婦騒動は歴史への政治介入 (2005-02-01)


 一月三十日付の日本海新聞「私の視点」に掲載された「歴史の事実を子どもたちに」に反論したい。

 扶桑社の教科書を「歴史認識が事実と反している」という奇妙な理由で不採択にしたという話は聞かない。いったいどこの採択協議会だろう。

 一つの事実に対して、認識の方法はいくつもある。有名な例でいえば、住民に靴を履く習慣がない地域を担当した営業マンが、ここの住民は靴を履かないから靴は売れないとマイナスに認識してもいいし、他社との競合がないから靴の販売を独占できるとプラスに認識してもいい。「歴史認識が事実と反している」などという硬直した社会に発想の自由はない。

 『新しい歴史教科書』以前の中学校歴史教科書は、徹底的なマイナス思考だった。マスコミの誤報に端を発した近隣諸国条項によって、事実として怪しげな内容でも教科書に書かれている。それを読んだ子供たちは、自分の国が嫌いになり、精神面の安定に必要な自尊心すら奪われる。いったいどこの国が、子供を育てるのにマイナス面に焦点を当てるだろうか。

 「つくる会」は、中学校歴史教科書すべてに“従軍慰安婦”が記述されるという異常事態を一つの契機として、平成九年に設立された純粋な民間団体だ。幸いにも各界からの賛同を得て、年間六千円の会費にもかかわらず、全国に一万人近い会員がいる。鳥取県内でもその活動が見られて当然である。

 “従軍慰安婦”とは戦後の週刊誌と小説家による造語であり、軍属として正規の身分であった従軍看護婦、従軍記者などと同列には扱えない。

 慰安婦の実態について、昭和十九年にテニアン島で米軍の捕虜になった朝鮮人、リー・パクドらは、尋問に対して次のように述べている。

 「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦(prostitutes=売春婦)は、すべて志願者か、両親に売られた者ばかりである。もし女性たちを強制動員すれば、老若を問わず朝鮮人は憤怒して立ちあがり、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」

 誇り高い朝鮮人が、自分の娘を奪われるという屈辱を受けて、黙っているはずもない。しかし実際には、独立を求める暴動は多数発生したが、娘を返せという暴動は一件も記録されていない。

 平成五年の河野談話が発表された当時の官房副長官であった石原信雄氏によれば、平成四年ごろは、元慰安婦と称する人々とその支援団体が連日のように内閣外政審議室に押しかけ、通常の業務に支障をきたす状況だったという。その中には社会党・共産党の議員がいたため、強制排除もできなかったという。石原氏は次のように語っている。

 (本人の意に反する形での募集について)「資料面ではそれを裏づけるものはなかった」「韓国側はいわゆる元慰安婦と言われた方々の名誉のためにも、そこはぜひ日本政府が認めてほしいということを再三再四言っておりました」

 何のことはない。慰安婦騒動とは、左翼系の団体と韓国からの政治圧力だったのである。それを大学の研究テーマとしてならともかく、中学校で教える内容とは思えない。

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■公共放送はCPの私物なのか? (2005-01-14)


 NHKの番組制作局CP(チーフ・プロデューサー)である長井暁氏が、「制作現場への政治介入を許した海老沢会長や役員、幹部の責任は重大です」と内部告発して話題を呼んでいる。

 その政治介入の中身は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」というのだから、これは放送法第三条の二項を守れというのに等しい。たとえて言えば、自動車の運転者に「道路交通法を守りなさい」と指摘するようなものだ。

 番組の内容は、慰安婦問題をテーマとする、被告人も弁護人もいない民間の裁判ゴッコである。公正中立とは、程遠い。それを教育テレビで放送することは適切なのか。

 長井氏は、偏向番組をそのまま放送できなかったことが、よほど悔しいようだ。しかし、NHKは公共放送である。現場のCPが自由に制作したものを、上層部の人がチェックできないほうがおかしい。増上慢もたいがいにしろと言いたい。

 国民の代表者から「偏った内容だ。公正な番組にするように」と指摘されて困るような番組を制作していながら、何の責任も問われず、反省の言葉もないことが異常である。

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■外国人への参政権付与は憲法違反 (2004-09-22)


 九月十五日付の日本海新聞に「永住外国人の参政権検討 鳥取市単独で推進実行委」という記事が載った。竹内市長は「この問題は国レベルの法律整備を考えなくてはならないが、草の根的に地方からの声も必要」と積極的な姿勢を示されたが、勇み足ではなかろうか。

 ここでは、日本国憲法と最高裁の判例という観点から、外国人への参政権問題を論じてみたい。

 まず、憲法前文で「主権が国民に存する」とされ、第十五条で「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とされている。ここまで、外国人の入り込む余地はない。

 ところが、地方自治については第九十三条2項で「その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」とされているから混乱を招いた。「外国人も住民ではないか」というのである。まさか外国人が日本の参政権を要求してくるとは、憲法制定時点では想定していなかったのだろう。

 日本国憲法には英文がある。英文には住民という言葉は使われておらず、自治体内の直接の「popular vote」で選びなさいと規定されている。これは「一般投票」と訳される語であり、米国の有権者が大統領選挙人を選ぶときに使われる。もちろん、永住権(グリーンカード)の保有者ではなく、市民権(国籍)の保有者が対象になる。日本でいう“永住外国人”は対象外である。

 このことは、平成七年二月二十八日の最高裁判決でも明らかだ。これは、選挙人名簿に登録されていない外国人が異議を申し出た裁判であり、最高裁では棄却された。その理由として、地方自治体は国の統治機構の不可欠の要素であり、「憲法九十三条2項にいう“住民”とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味する」とされたのだ。

 もはや議論の余地はない。外国人には、地方選挙についても参政権は存在しない。

 ところが、この判決文の後半には、主文とは無関係な裁判官の意見、つまり傍論が書かれている。それが、地方自治体の「選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」「右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄」という部分だ。

 しかしそれでは、憲法十五条で「日本国民のみをその対象とし」と認め、九十三条の“住民”を日本国民とした判決理由とは矛盾する。傍論が“暴論”となる所以である。

 最高裁判決の傍論部分を錦の御旗のように掲げて、外国人への参政権を要求することは、時間の無駄ではなかろうか。憲法違反につながるだけだ。

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■それでも小泉首相は参拝する (2004-05-06)


 四月二十一日の日本海新聞には、山田氏の「それでも参拝か小泉首相」と疋田氏の「首相は言動に責任を持て」という二つの投稿が載った。いずれも、7日の福岡地裁判決をもとに、首相の靖国神社参拝を非難する内容だ。事実誤認も含まれているので、まとめて反論しておきたい。

 第一に、福岡地裁判決についてだが、この“違憲判決”には効力がない。

 判決の主文では、「原告らの信教の自由を侵害したものとはいえない」「賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったものということはできず、本件参拝について不法行為の成立を認めることはできない」となっている。

 これによって、宗教家や韓国・朝鮮人らで構成される原告側の請求は、いずれも棄却された。しかし、全面敗訴にもかかわらず、原告側は今回の判決に満足して、控訴しなかった。まことに奇妙なことだ。

 原告側が控訴しなかった理由は、福岡地裁の亀川清長裁判長が、この判決の理由欄に憲法問題を持ち出したからだ。「当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え…」との考えから、さしたる理由もなく、首相の靖国参拝を違憲と断定した。

 法的な拘束力のある主文とは異なり、理由欄に書かれた事件の解決に必要のない意見は、傍論として扱われる。特に今回のように、主文と関係のない個人的な意見の表明は、本来が無用のものである。

 このような傍論の政治利用については、靖国参拝に反対する浦部法穂・名古屋大学教授ですら、「法律的には、傍論は裁判官の独り言にすぎない」と批判する。傍論の乱用は司法への不信感を招くものであり、厳に慎むべきだ。

 また、勝訴した側は、「控訴の利益を欠く」ために、控訴できない仕組みになっている。したがって、国側は、傍論に不満でも主文で全面勝訴したから、控訴できなかった。疋田氏の「不服なら控訴すべきだ」という主張は、無理な注文なのである。

 第二に、首相の靖国参拝が宗教活動に該当し、憲法の政教分離原則に反するのならば、同じ小泉首相によって行われた三十日の熊野本宮大社参拝にも、五月一日の川崎大師へのお参りにも、恒例化している伊勢神宮参拝に対しても、訴訟が起きてよさそうなものだ。実際には、中国・韓国が内政干渉する靖国参拝だけが、ことさら注目されている。

 山田氏は「領土問題などで国際紛争の最中、相手諸外国に日本の主張を退ける格好の口実を与えるのは利敵行為」とまで、靖国参拝を非難された。まったくの逆ではないか。

 中国は、尖閣諸島周辺に石油資源が存在する可能性が報じられるや、にわかに自国の領土だと言い出した。最近では、わが国の最南端にある沖ノ鳥島に対して、排他的経済水域の対象外となるよう「島ではなく岩だ」とまで主張している。

 韓国は、日本が敗戦によって占領されているどさくさに、竹島を占領した。最近では、「『日本海』の呼称は、日本の植民地時代に広がった」などとウソを言ってまで、世界地図から『日本海』を抹消しようと画策している。

 彼らにとって、日本を非難する口実など、いくらでも創作できるのである。一つ譲れば、次には二つ、三つを要求してくる。反日国家に追従して、日本の伝統・文化を破壊しようとする行為こそ、利敵行為と呼ぶにふさわしい。

《参考》
傍論(obiter dictum)
 オビタ・ディクタム。ついでの発言という意味であり、判決理由以外の意見。これは判決の際の判事の付随的意見・感想であって、法的拘束力はない。そもそも判決文中に、事件の解決に必要のない意見を書くことは、社会の混乱を招くことがある。

判決理由(ratio decidendi)
 レイシオ・デシデンダィ。判決において、その主文、つまり結論を導くために必要不可欠な部分であり、その後の事件に対して法的拘束力を持つ。判決文の中から、判決理由と傍論を見分けることが必要になる。 本文戻る

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■北朝鮮を普通の国と思う間違い (2004-03-01)


 二月二十日の日本海新聞「やまびこ」欄には、「家族の帰国を最優先すべき」という池永氏の投稿が載った。一見まともらしいが、実は、北朝鮮の術中にはまるだけの話であろう。

 北朝鮮は、拉致議連の平沢勝栄氏らに対して、「五人を一度北朝鮮に戻すべきだ。その際、拉致議連やマスコミ同伴でもよい。“家族を迎えに行く”と発表しても良い」と言っただけのことで、“必ず帰す”とは言わない。

 その一方で、「北朝鮮は個人の意思を尊重する国だから、当局が家族に日本に行けと命令はできない」などと言っている。これがポイントだ。

 もとより、拉致被害者たちは、“個人の意思を尊重”されて拉致されたのではない。北朝鮮では、個人の意思など、吹けば飛ぶようなものだ。

 日本からは見えないところで、どんなに悪質な洗脳工作、脅迫行為がなされているか、知れたものではない。日本と違って、人権尊重の国ではないのだ。

 マスコミ同伴で平壌に行ったはいいが、テレビカメラの前で「北朝鮮がいい。お母さん早く帰ってよ」と泣かれたらどうする。親が子供を無理に飛行機に連れ込めば、それこそ“拉致だ”と非難されよう。子供たちにそんな演技をさせるぐらい、朝飯前の国だ。

 池永氏は「家族の帰国を最優先にするべきでないだろうか」と言われるが、そんなことは誰よりも切実に感じている被害者の家族が、北朝鮮を信用せず、出迎え論に反対されている理由を少しは考えてほしい。

 もし、北朝鮮に家族を帰す気持ちが本当にあるならば、ことは簡単だ。新潟との間を往復している万景峰92号への乗船切符を配給すればすむ。だが、それをしない。

 武力行使のできない日本が、北朝鮮に拉致問題の解決を促すには、カネ、モノ、ヒトの流れを止める経済制裁が効果的だろう。期限を切って、それまでに家族を帰せと交渉してほしい。日本の家族は高齢化している。そんなにいつまでも待てないのだ。

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■国際社会の現実を見直そう (2004-02-23)


 二月二十三日の日本海新聞には、日本のイラク支援について「主要な貢献国となっており、自衛隊の人道復興支援に果たしている役割に感謝している」という、アナン国連事務総長の発言が掲載された。国連安保理は、イラク戦争の実施については団結できなかったが、イラクへの人道復興支援に反対する国はない。

 ところが、同じ日のやまびこ欄には『「国民めくらまし派遣」打破を』と題する投稿が掲載された。いつものように、自衛隊のイラク派遣を非難するばかりで、日本が世界の平和と安定のために何をするかという観点が欠落している。

 矢畑氏は「戦争行為を永久に放棄したはずの日本は、再び武装して戦地へ赴きました」と言われるが、自衛隊は戦争をしに行くわけではない。復興支援に行くのだ。サマワでは、たまに事件はあるが、戦闘状態にある地域ではない。現地では、自衛隊が大歓迎されている。

 「イラク派遣の真の目的は、北朝鮮の脅威に対し米国の協力を得ることと、イラクでの石油利権獲得が最大のもくろみ」だから、これを打破すべきと主張される。百パーセントの善意以外は、拒否する姿勢である。

 もう少し現実的に考えられないものだろうか。米国の協力なしに、どうやって北朝鮮の脅威に対抗するというのか。拉致被害者をどうやって救い出すのか。石油にしても、日本が太平洋戦争に突入した直接の原因は石油だったことを思い出してほしい。それほど重要な資源なのだ。産油国と友好関係を結ぶことは、日本の国益にかなっている。

 それに、イラクを現状のまま放置して、たくさんの人が苦しめば、人々の不満を温床にしてテロリストが増殖する。テロが多発する世界をお望みだろうか。

 現地で自衛隊を指揮することになる番匠幸一郎・一等陸佐は、「五十年、百年後の日本人に胸をはれる仕事がしたい」と語った。立派に任務を遂行し、全員無事に帰国されることを願おうではないか。

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■国民年金について考えよう (2004-01-18)


 私は自営業者だから、国民年金に加入している。妻の分と合わせて年額三十万円ほどの保険料を払い込む。その負担は感じるが、将来は夫婦で年額百六十万円ほどの年金が支給されるはずだ。

 よく指摘されるように、国民年金だけでは生活できない。私の友人は国民年金基金にも加入している。自助努力で不足分を補う必要はあるが、年金が老後の生活設計の中心であることは間違いない。

 国民年金のいいところは、一生涯にわたって支給されることだ。これなら安心して長生きもできる。

 もう一つの長所は、物価へのスライドが行われることだ。今は超低金利が続いているが、将来はわからない。国債の発行高が増えていくと、やがて信用が失われ、買い手がつかなくなる可能性もある。そのときには金利が上がり、物価も上がるだろう。

 さらに、障害年金と遺族年金も含まれている。つまり、ちょっとした生命保険とも言えるのだ。障害年金の最高額は、年額百万円ほどになる。

 そんな国民年金なのだが、近年、保険料を滞納する人が増えていると聞く。理由として、全国的に納税組合の制度がなくなったこと、および若年層を中心として年金制度への無関心と不信感が広まったことが挙げられる。

 年金への不信感として、“将来の年金は崩壊する”とか“支給開始が八十歳になる”などと無責任なことを言う人がいる。

 民主主義のこの時代、そんなことをすれば政府は必ず倒れる。そんな政治家は必ず落選する。だから、国が倒れないかぎり、年金が崩壊することはない。冷静に考えれば、国民年金が一番信用できるのだ。

 統計によれば、保険料の未納者と納付者には、所得面での大きな差はないという。年金を未納のままで、生命保険や個人年金に加入するのはおかしいことに気づいてほしい。

 ただ、年金制度には改善すべき点もある。保険料を支払わなくてもいい第3号被保険者という不平等が存在する。今の賦課方式では少子化の影響を大きく受ける。徐々に積立方式への移行が必要だ。

 若死にしない限り、誰でも老人になる。国には、制度の改善、徴収強化、および制度のPRを続けてもらいたい。

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■自衛隊のイラク派遣 成功を願う (2004-01-08)


 自衛隊のイラク派遣について、日本国内では、依然として感情的な反対論を述べる人が多い。これはまさに一国平和論であり、国際社会と協調しようという姿勢に欠けている。お隣の韓国ですら、すでに七百人の部隊を派遣しているし、さらに三千人の増派も予定している。

 自衛隊を派遣しなくても「イラク人道支援の方法はいくらでもある」と主張された方もおられたが、具体的な方法については何一つ言及されない。

 自衛隊が現地で予定している活動は、給水、医療、学校建設などの人道復興支援である。そして、その活動を妨害しようとするテロリストから身を守る必要がある。

 イラクが日本国内並に安全な場所なら、何も自衛隊を派遣する必要はない。これまでテロの犠牲になったのは、軍人やイラク人だけでなく、日本の外交官、国連職員、フランスや韓国などの民間人である。テロの危険性があるからこそ、そのための訓練を積んだ自衛隊が行くのである。

 派遣先であるサマワの市民は、日本の自衛隊に大きな期待を抱いている。商店街には、何か月も前から自衛隊を歓迎する横断幕が掲げられているが、待ちぼうけ状態だ。かつて、サッカーのW杯でカメルーン・チームの到着を待ち続けた、大分県の中津江村に似ている。

 サマワを管轄する教育委員会のシャリーブ・アブドゥル委員長は、「これまで米軍やオランダ軍に不発弾撤去や改築を要請したが、『資金不足』だとして受け入れてもらえなかった。日本が整備してくれることを望みたい」と語り、自衛隊に学校の再建を期待する。

 サマワでは、ライフラインの復旧整備もさることながら、当面の課題は雇用対策である。今回の派遣には外務省の職員も協力し、日本のODAの一部を充当し、公共事業によって失業率の低下をはかるという。日本の得意分野だ。

 旧フセイン政権で駐日臨時代理大使を務めたカーシム・シャーキル氏は、現在、イラクに帰国されている。その元大使が、日本の報道関係者に「電話復旧でも、道路整備でも何でもいい。復興が目に見えれば必ず情勢はよくなる」と強調された。

 イラクの隣国であるイランのハタミ大統領は、川口外相に対して自衛隊のイラク派遣を取り上げ、「イラクの平和と安定のための日本の支援に喜んで協力したい。イラク国内の日本の存在が、早期の主権移譲につながると期待している」と大きな期待を寄せられた。

 アラブ首長国連邦のハムダン副首相も、川口外相に対して「十分理解している。自衛隊が必要とするなら、港、空港の提供も含め協力したい」と語り、自衛隊派遣を全面的に支持された。

 テロリストの活動を抑えるには、民生の安定が第一だ。サマワの人口は約四十万。物価の安さは、日本とは比較にならない。日本からの援助を活用すれば、復興は十分に可能だ。あらゆる準備と訓練を行い、復興支援を成功させてほしい。

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■負けて良かったのか (2003-08-11)


 先の大戦について、「日本は負けて良かったのだ」という人がおられる。このような意見を初めて聞いたのは、私がまだ十代のころだった。そのときは、「勝っていたらと思うのが普通なのに、世の中にはすごい人がおられる」と素直に感動したことを思い出す。

 今は違う。日本人は、有史以来の大敗北を喫し、七年間にわたって外国軍隊に占領されるという屈辱を受け、誇りも自信も失ってしまった。戦争で直接に多くの人命を失っただけでなく、敗戦によってさらに無辜の人命が奪われた。どさくさにまぎれて、国後島や竹島といった領土も奪われた。「負けて良かった」などと聞けば、今では怒りを覚える。先の大戦は、なんとしても避けるべきだったのだ。

 歴史的に戦争慣れしている大陸系の民族とは異なり、日本人には対外戦争の経験が圧倒的に少ない。島国に生まれて、長い平和を享受してきた。日本の敗戦は、白鳳時代の白村江の戦い以来のものだった。

 敗戦の記憶に乏しい日本は、日清・日露の戦争で勝ったものだから、わりと気軽に太平洋戦争に突入したように思えてならない。昭和十六年九月の時点で、参謀本部は「米国の屈服を求むるは先ず不可能と判断せらる」と言っている。日本の力で米国に勝てないことは、分かっていたのだ。

 それでも開戦した理由は、私も合理的には説明できないが、同盟国であったドイツの力を過信したからだと思われる。

 さらに、見落としてならないことは、米国には開戦への強い意志があったことである。日中戦争の仲介をしないばかりか、一方的に中国軍を軍事支援し、日本の命運を左右する石油輸出を禁止し、戦争回避を望む近衛首相との日米首脳会談も拒否した。

 米国からの事実上の最後通牒は、十一月に手交された「ハルノート」であった。非戦論の東郷茂徳・外相でさえ、「日本は今や、長年の犠牲の結果をすべて放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を捨てることを求められたのである。これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、自らを護る唯一の残された途は戦争であった」と述懐した。

 米国のこのように強硬な態度は、今も基本的に同じである。北朝鮮問題では、まもなく六カ国協議が始まるが、なんとしても戦争を回避して朝鮮半島の非核化と拉致問題の全面解決を図るべく、最大限の努力を傾注してほしい。

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■報道は「何でだろう」を追及して (2003-04-28)


 四月二十五日の本紙「東風西風」欄は面白かった。お笑いの「何でだろう」を扱ったものだ。“「何でだろう」の視点を持てば、見えなかったものも見えてくる”という考えに賛成だ。その方針に沿った取材を期待する。

 同日の社会面には「戦後補償の解決促す」という見出しで、旧日本軍兵士に乱暴されたという中国人女性と遺族が日本に賠償を求めて敗訴したことが載っていた。

 東京地裁は被害の事実をほぼ主張通りに認定したとされるが、被疑者は誰だったのだろう。女性たちを乱暴したとされる旧兵士たちが、被告席に座ったのだろうか。六十年も前の事実関係は、どうやって特定されたのか。裁判に関与した弁護士は、どんな素性なのか。高額なはずの弁護料、渡航費、滞在費は誰が支払ったのか。

 平成十年の関釜裁判で慰安婦らが勝訴したときには「原告らの体験に関する供述は、高齢のため明確ではないが、反証はなく、これをすべて採用」して判決が下された。反証しない被告側も怠惰だが、いかにも安易な事実認定だ。結局、今年の三月、最高裁で原告側の敗訴が確定した。この種の訴訟には「何でだろう」と思うことが多い。

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■民主主義は与えることができるのか (2003-04-06)


 四月四日付の本欄、「戦争反対、平和への意思表示をしよう」に反論する。

 荒井氏は「日本の民主主義は与えられた、お仕着せの民主主義で、真の民主主義ではない」と主張された。“真の民主主義”とは何だとお考えか。そして、それは具体的にどこの国に存在するのか。

 そもそも、民主主義を“与える”ことは可能だろうか。

 ブッシュ大統領は、イラクを制圧した後、第二次大戦後の日本やドイツをモデルにして、イラクの民主化を図るという。しかし、この計画には相当な困難が予想される。その理由は、イラク国民は、これまで民主主義を体験したことがないからだ。

 民主主義を実施すれば、国民が主権をもつことになる。その結果、支配者と被支配者が同じになり、国民自らが、自由権や参政権などの基本的人権を保障する必要が生じる。日本国憲法第十二条にあるように、国民には「不断の努力」が求められるのだ。

 日本の民主主義でいえば、その源流は、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」で始まる五箇条の御誓文である。これに基づいて憲法と議会が生まれた。そして大正デモクラシーの時代には、平民出身の原敬が首相に就任した。その後、普通選挙も実施され、衆議院での政党政治によって内閣が組織される、「憲政の常道」と呼ばれる慣習が生まれた。日本には、このような歴史がある。

 ところが、民主主義を実施する土壌が育成されていない国に、いきなり民主主義を持ち込んでも、国民はそれに対応できず、うまく機能しない。発展途上国では、よく武力による政変が起きている。

 したがって、イラクに対して、戦後の日本やドイツをモデルにすることは、誤りである。別の方法を考える必要がある。日独両国には、独自の伝統に基づく民主主義が存在していた。だから、戦後、米国流の民主主義にも容易に対応できたのだ。

 一方、共産主義や独裁主義を採用することは、きわめて簡単だ。現在の北朝鮮やイラクを見ればわかるように、支配層が国民を軍の力で押さえつければいい。

 日本の民主主義がお仕着せであるかのような、極端な自己否定はやめよう。

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■米国支持が国益にかなう (2003-04-01)


 三月十九日付の本紙で「北朝鮮問題に悪影響」と述べられた、加藤尚武・鳥取環境大学長に反論する。

 日本が独仏にならって米国を支持しなかった場合、北朝鮮問題で米国の協力が得られなくなるという論理に対して、加藤氏は「仮に日本が米国を支持しなかったことで、日本への面当てで北朝鮮の戦火を米国が黙って見過ごした場合、米国の威信は地に落ちる」と主張された。

 この主張には大きな落とし穴がある。北朝鮮の戦火を“黙って”見過ごす国は、おそらく少ないだろう。たいていの国なら、北朝鮮を非難するはずだ。しかし、それは口先のこと。誰にでもできる。問題は、体を張って、血と汗を流す覚悟で、日本を守ろうとするかどうかだ。

 中国の兵法書である孫子には「兵は国の大事。死生の地、存亡の道、察せざるべからず」とある。北朝鮮と戦火を交えることは、米国にとっても大きな犠牲を伴う。イラクの比ではない。それを「威信は地に落ちる」程度の薄弱な理由で、他国のために体を張って守ってくれるだろうか。

 独仏がそうする可能性はゼロに近い。中国やロシアはゼロだろう。それどころか、火事場泥棒を働く可能性すらある危険な国だ。

 小泉首相が述べたように「米国は『日本への攻撃は米国への攻撃とみなす』とはっきり言っているただ一つの国」なのだ。そして、この言葉を裏打ちするだけの軍事力と経済力を持っている。その米国との信頼関係を破壊して、どうするというのだ。

 戦争が始まる前までは、いろんな議論があっていい。国益にかなうとの見通しさえあれば、「もっと査察を続けろ」と主張してもいいだろう。

 しかし、いったん戦争が始まった以上、米英両国の足を引っ張る言動を高めることは、友好国のすることではない。目的を達成して、早期に戦争が終結するよう、できることを協力していくことこそ、友好国の責務ではないか。「困った時の友こそ真の友」と諺にもある。それが世間の常識であろう。

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■ゲリラ戦術は戦時国際法に違反 (2003-03-31)


 イラクの戦場では、「サダム・フェダイーン」と呼ばれる組織が、卑劣なゲリラ戦術をとっているという。

 軍服を着用せずに、民間人を装いながら米英軍を歓迎するポーズを見せ、油断させて近づく。そして、相手のすきを見て、隠し持っていた武器で襲う。あるいは、民間人の車が故障したと思わせて、善意で近寄ってきた米英軍の兵士を自爆攻撃で巻き添えにする。

 このような戦術がとられると、戦場の兵士は、民間人に対しても、極度に警戒するようになる。その結果、民間人をゲリラと間違えて殺すケースも増えてくる。同じようなゲリラ戦術には、かつて中国大陸で戦った日本軍も、さんざん悩まされた。

 戦時国際法であるジュネーブ第三条約(捕虜条約)では、このような戦闘員を、捕虜となる資格がないものとして定めている。

 つまり、「遠方から認識することができる固着の特殊標章を有すること」「公然と武器を携行していること」などの条件を満たさない戦闘員は、違法な戦闘員であり、捕虜となる資格がない。

 米国防総省のクラーク報道官は、このような戦闘員を「ルール知らずの殺人強盗集団」と呼び、捕まえたら戦争犯罪人として扱うと述べている。

 そもそも軍隊とは、国家とは、何のためにあるのか。国民の生命・財産を守るのが最大の存在理由のはずだ。ところが、ゲリラ戦術では、その守るべき国民の生命・財産を盾として利用して身を隠す。国民を犠牲にして、自らの存在を守ろうとするのだから、まるで逆だ。

 報道によれば、バグダッドから疎開する市民の数が極端に少ない。その原因は、バース党の武装集団らが、市民を“人間の盾”として市街戦に利用するつもりで、人質にとっているからだという。

 そして、フセイン政権はイラクの全民族にゲリラ戦を呼びかけた。もはやイラクには、まともな政権は存在しない。米英軍が戦争目的を達成し、早期に戦争が終結することを望む。

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■合併問題での協議を避けるな (2003-02-16)


 境港では市民の有志が立ち上がり、合併協議会の設置を求める署名活動が行われた。私もその趣旨に賛同し、仕事の合間をぬって署名を集めた。大半の人には快く署名していただけたが、当然ながら署名されない方もおられた。

 反対の理由は主に二つあった。一つは、とにかく合併に反対であり、協議の場を持つこともできないという意見。もう一つは、合併によって不便になることを心配し、協議会は合併を前提としたものだから反対という意見だった。

 私は、まだ市民には問題の重要性が認識されていないと思う。昨年実施された市民アンケートの回答率五十一%という数字は、その現状を物語っている。

 なぜ合併問題の重要性が認識されないのか。その理由は二つある。

 第一に、合併後の将来像が見えていない。これは本来、合併協議会で話し合うことである。市議会は協議会の設置を拒否した。その理由として、協議会は合併の意思をもって参加するものであり、いったん協議会を開けば合併せざるを得なくなる、という奇妙な理屈が使われた。

 議員とは、言論をもって戦う民主主義の闘士ではないか。それが、協議すること自体に反対するのである。あきれた。

 協議会を開けば、金も時間もかかると言う人もいる。しかしそれは、民主政治に必要なコストというものだ。

 協議会で合併後の将来像を議論し、その結果として「米子側は傲慢であり、一歩も譲らない。これでは境港市民の生活を守れないから、協議は決裂した」ということにでもなれば、まだわかりやすい。多くの市民も納得する。先のアンケートでも、回答者の六十四%が協議会の設置に賛成しているのだ。

 第二の理由として、市の財政がいよいよ行き詰まっても、最後は国が面倒を見てくれるという楽観論がある。このような考え方は以前にもあった。“親方日の丸”と揶揄された、JRの前身、かつての国鉄である。これは自治の放棄につながり、亡国への途にほかならない。

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■“五人を帰せ”論の非道 (2002-12-21)


 十八日付けの「日朝交渉の再開を願う」に反論する。山根氏の主張は、現状認識を間違えると結論も間違えるという好例だ。

 二十四年ぶりに帰国した五人を北朝鮮へ帰すのが人道的だと言われる。しかし、この五人は、実際には自らの意思で日本への滞在を望んでいる。

 十九日に公開された寄せ書きに、地村富貴恵さんは「本当に日本に帰れてよかったなあとつくづく思います」と書いたし、新潟県庁での会見では、五人が政府決定よりも前に、日本で家族を待つ意思を決めていたことを明らかにした。

 帰国後の五人は、表情が温和になり、顔つきもふっくらして、女性は見違えるほど美人になったことは、誰の目にも明らかだ。地村保さんは「羽田でタラップを降りてきた保志を抱きしめた時は、背中はガリガリで、骸骨を触っているようやった」と述べている。

 五人の被害者やその家族の意思を踏みにじって、北朝鮮に送還する行為は、もはや非道と呼ぶほかない。

 山根氏は「北に留守居の子供たちにとって親に優る保護者はいない」と言われるが、それは普通の国での話だ。北朝鮮は、密告者の網を全国に張り巡らせた恐怖政治の国だ。法や裁判によってではなく、密告者の中傷によって、簡単に収容所に入れられる。そこでは人権無視の悲惨な生活が待ち受ける。

 北朝鮮は、親が子供を保護できるような社会ではない。現に、千八百人と言われる日本人妻の問題では、そのほとんどが消息不明であり、差別・虐待を受け、収容所ですでに死亡したと伝えられる。

 北朝鮮は、自国の外交官を出すときにでも、家族を同伴させずに人質にとっておく。それが常套手段だ。ましてや、日本人の家族を簡単に帰すとは思えない。

 日本政府は、山根氏の言う“強硬の外交”を行っているわけではない。まだ北朝鮮への渡航制限や経済制裁すら実施していないのだ。拉致という国家犯罪に対して原状回復を要求するという、ごく穏健な外交を行っている。

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■吉田教授は“識者”に値するか (2002-11-29)


 三省堂の『新明解国語辞典』では、識者を「大所高所から物を見、正しい判断の出来る人」と定義する。しかし、誰が「大所高所から物を見」ているかは、実際にはよくわからない。わかるのは「正しい判断の出来る人」かどうかである。

 さて、朝鮮半島問題の識者として、吉田康彦・大阪経済法科大教授がよくマスコミに登場する。私は疑問に思うのだが、吉田教授は“識者”に値する人物なのだろうか。

 拉致に関して、吉田教授は次のように主張された。「私は拉致疑惑事件は韓国公安機関の安全企画部による謀略ないしデッチあげ、と信じる」(『アエラ』臨時増刊九七年七月五日号)。

 核開発については、こう主張された。「北朝鮮の核開発は人畜無害である。誰もその実害をこうむってはおらず、国連が制裁するのは筋違いだ」(『サンサーラ』九四年六月号)。

 「北朝鮮が日本に宣戦布告をしてきたらどうなるか読者諸氏はご存じだろうか。憲法九条は国の交戦権を否定しており、憲法に忠実に従うかぎり、日本国民は北朝鮮軍のなすがままに身を任せ、座して死を待つほかないのである」(『新潮45』九四年七月号)。

 だから、今は次のように発言される。「被害者家族らの反発はもっともだが(死亡とされる人たちが)やはり生きていたといった新事実は出てこないだろう。もしそうだとしても解明には相当の困難が伴うし、すぐには無理。日本政府もこれ以上もめずに、正常化交渉を進めていくのが国益にかなう」(日本海新聞、十月十日)。

 北朝鮮に経済協力して大金を支払い、それと同時に拉致問題の解決を約束させるという主張だが、北朝鮮がこれまで何度ウソを言ってきたことか。

 「誠意を持って調べたが、新たな事実はなかった」と言われれば、それまでだ。お金を取られるだけで、拉致も核も、まったく解決しない可能性が高い。吉田教授は、識者どころか、まったく信用できない、非常識きわまる人物と思わざるを得ない。

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■「国交が正常化していたら…」論への疑問(2002-09-30)


 境港市議会では、北朝鮮との国交樹立促進を求める意見書を可決した。水沢健一議員は「国交が正常化していたら拉致や不審船問題は起きていない」と述べておられる。

 これは水沢議員の単なる憶測なのか、それとも金正日総書記がそう言明したのだろうか。前者ならば、なぜ拉致や不審船問題は起きていないのか、論証していただきたい。

 そもそも、いつの時点で国交が樹立できたとお考えだろうか。一九六五年の日韓基本条約では、韓国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」であると確認して国交を正常化した。その足で北朝鮮と国交を結べば、韓国が猛反対する。

 三年後の一九六八年には、北朝鮮ゲリラによる韓国大統領官邸への襲撃未遂事件が起きている。その後には、よど号ハイジャック事件、韓国大統領夫人の暗殺事件、日本人拉致事件などが続く。

 十一回も訪朝したと言われるが、政治家として拉致問題を追求したことがおありなら、ぜひ教えていただきたい。

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■「日本海」の呼称問題(2002-09-26)


 『Scholastic Children's Dictionary』という学習事典がある。米国の小学生向けの本で、いろんな単語が豊富な図解と共に、わかりやすい英語で説明されている。この分野では広く読まれている本だという。

 この本には簡単な世界地図があり、日本海は「Sea of Japan」と記載されている。つまり、米国の子供にとっても、この海は「日本海」であり、決して「東海」ではない。

 このことは、地理的にも明らかだ。頭の中で、世界地図から日本列島を消してみよう。日本海はどうなるか。太平洋の一部になってしまう。つまり、日本列島が存在すればこそ、この海は一つの独立した名前をもちうるのだ。その名前は「日本海」以外にない。

 韓国が主張する「東海」という名前は、単に自国の東側にある海というだけの意味で、日本列島の存在をまったく無視した独善的な名前だ。最大の沿岸国である日本とロシアにとって、この海は決して東の海ではない。

 さらに、韓国の主張は支離滅裂だ。「公海に国名を冠した名前はふさわしくない」というが、南シナ海やメキシコ湾などについては何も言わない。「日本海の呼称は、日本の植民地時代に広がった」というが、実際には、十九世紀の世界地図で、日本海の名前はすでに定着したものだ。

 韓国が国内的に何という名前を使おうと自由だ。しかし、国際的に広く定着している日本海という名前を、難癖をつけて葬り去ろうとする態度はよくない。「東海」との併記に成功すれば、次のステップでは「日本海」の削除を要求してくる。

 わが国には、韓国を訪問すると「東海」という名前を使ってゴマをする政治家や、「緑海」などという新名称を提唱する学者もいる。一つ譲れば、次には二つ、三つを要求される。韓国や北朝鮮との間に互譲の精神は望めない。日本政府は、毅然とした態度で「日本海」の名前を守るべきだ。

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■北風と太陽と責任問題(2002-09-19)


 「北風と太陽」は、イソップ物語に登場する有名な話だから、皆さんご存知だろう。旅人のコートを脱がせたのは、強い北風ではなく、暖かい太陽だった。読者は、相手を力で屈服させるよりも、優しく説得するほうが効果的なことを学習する。

 ところで、太陽政策というのがある。この物語にならって、韓国の金大中大統領が実施している、北朝鮮への対話と援助の融和政策のことだ。日本でも、野中広務、加藤紘一、山崎拓、河野洋平、中山正暉らの有力議員は、拉致問題と切り離しての食糧支援を推進した。朝日や毎日といった新聞もそれを支持した。

 政府は、偽造旅券で入国した金正日総書記の長男、金正男についても、優しく国外退去ですませた。しかし、このような太陽政策は、何か実を結んだであろうか。

 残念ながら、北朝鮮はイソップ物語に出てくる“旅人”ではなく、むしろ山賊に近い存在だった。日本や韓国からの厚情に感謝するのではなく、拉致問題ではしらを切り、警備艇による銃撃戦、工作船による麻薬密輸などを行った。太陽政策は失敗だった。

 もっと悲しい例もあった。北朝鮮と朝鮮総連は、拉致問題をでっち上げだと主張してきた。拉致を口にすること自体が、共和国に対する冒涜だという。

 それに同調したのが外務省の阿南惟茂・アジア局長で、平成九年十月の懇談で「拉致疑惑は亡命者の証言以外に証拠がなく、慎重に考えないといけない。韓国に捕まった工作員だから何を言うかわからない」と発言した。

 現在のシンガポール大使である槙田邦彦氏も、「たった11人のことで、日朝国交正常化交渉が止まっていいのか」と拉致問題を軽視した。

 学者でも、吉田康彦・大阪経法大教授は「日本政府は少女拉致疑惑や日本人妻帰還問題などを理由に、支援をしぶっているが、私は拉致疑惑事件は韓国公安機関の安全企画部による謀略ないしデッチあげ、と信じる」と主張した。

 今回、北朝鮮が拉致を認めたのは、国内経済の破綻、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言、小泉首相の「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」との発言によるものである。政策を誤り、世論を欺いてきた人たちの責任は大きい。

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■「弱者を狙うなんて」考(2002-08-25)


 八月二十一日の山口県宇部市で、三歳から九歳までの子供三人が襲われる事件が起きた。凶器が包丁と鉄製ハンマーであったことを思うと、命に別条なかったのは不幸中の幸いだった。

 犯人は「最初は老人を殺そうと思ったが、子供も抵抗しないので切りつけた」と供述している。

 ところで、私が変に思うのは、一部のマスコミによる「弱い者だけを狙うなんて」という報道。その論法でいけば、「弱い者を狙うなんて卑怯だ」「もっと強い者を狙うべきだ」となる。こんな無意味な文句を使うことは、もうやめたらどうだろうか。

 犯罪者とて人の子。我が身はかわいい。強い者を狙えば、逆襲されて、自分が負傷する危険性を考える。だから、弱い者が狙われるのは当然のこと。犯罪者は何も、道場破りの武者修行をしているわけではない。

 大事なのは、「弱い者は狙われやすい」と自覚して、それなりの対策を講じることではないか。備えあれば憂いなしである。

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■原爆投下の真相(2002-08-02)


 また八月六日がめぐってきた。昭和二十年のこの日、人々が活動を開始する午前八時すぎ、史上初の恐怖の爆弾が投下された。

 戦争にもルールはある。軍事施設をねらうならともかく、広島と長崎では、市街地の中心部に原爆が投下された。最初から民間人の無差別殺戮が目的だった。

 先月、徳山高専の工藤洋三教授らは、第三の原爆投下の準備命令も下されていたことを電文の発見で実証した。これは東京に投下される可能性もあった。

 米軍は用意周到であり、何度も協議を重ねて、直径4.8キロの円が描ける広さの市街地があり、空襲による被害の少ない都市を物色していた。原爆の効果を正確に把握できるようにである。

 東京書籍の中学生用教科書では、広島が被爆した原因は“軍都”であるからとなっている。しかし、マンハッタン計画の資料によれば、原爆の効果を調べるための立地条件に加えて、連合軍捕虜の収容所が置かれていないことが挙げられている。

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■コンピュータウィルス対策(2002-07-21)


 ネットワーク社会の到来とともに、コンピュータ・ウィルスの被害も増えてきている。ウィルス対策の要点をまとめてみる。

 第一は、ウィルス対策ソフトの購入だ。年間で数千円の費用はかかる。しかし、個人ができる対策としては、最も簡単で効果が高い。新しいウィルスが発見されるたびに、対策ファイルを自動的に更新してくれる。

 さらに、最近のソフトには、パソコンを外部からの不正アクセスから保護する、ファイアウォール機能も備わっている。

 第二は、コンピュータを動かす基本ソフトであるWindows自体の更新だ。ウィルスは、Windowsの弱点を狙ってくることが多い。Windowsの開発元であるマイクロソフト社では、その弱点が見つかるたびに、自社のホームページで更新サービスを提供している。定期的に、プログラム・メニューからWindows Updateというサービスを利用するとよい。

 第三は、ウィルスに対する一般常識を持つことだ。まず、ウィルスは電子メールの添付ファイルという形で広まることが多い。知らない人から添付ファイル付きのメールが届いたら、ためらわずに削除する。これはネットワーク社会の常識だ。

 最近では、知人からの添付ファイルも危険になっている。ウィルスがその人の名前を勝手に借用する場合があるからだ。少しでも不審な点があれば、差出人に確認するまでは、メールを開くべきではない。

 最後に、デマ・メールについて。ネットワーク社会には、善意の人ばかりが参加しているわけではない。「…というウィルスが流行しています。コンピュータの中に…というファイルがあったら、それがウィルスです。次の手順で削除してください」などと、親切を装ったウソが流布されることがある。そのとおりに操作すれば、コンピュータの動作に必要なファイルが削除され、動かなくなってしまう。

 不審なことがあり、自分では解決できない場合には、コンピュータ販売店の人など、詳しい人に相談することが大切だ。

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■他人のふんどし(2001-11-07)


 東京の石原知事が提唱するホテル税に対して、片山知事が「他人のふんどし」で相撲を取るようなものと批判して話題を呼んだ。その理由は、都民からではなく、外部の人間から税を徴収するからだという。

 ホテル税は、外国人向けのガイドマップ作製など、観光振興のための目的税であり、ニューヨークやパリなどで導入されている。

 対象となるのは宿泊費が一万円以上の客と聞いて、私には関係ないと思った。私もたまに上京するが、一万円もする高級ホテルには泊まらない。都内には二千軒余りのホテルがあるが、課税対象のホテルは百件程度にすぎない。

 ところが、県の条例によれば、東京での片山知事の宿泊料は一万四千八百円。一般の職員でも一万九百円である。高すぎないか。

 片山知事も、「会議なんかはもう東京都でやらないようにしてもらいたい」などと批判するのではなく、非課税枠に収まるよう宿泊料を見直してほしい。これも県民の税金である。

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■誇り高き朝鮮人 洪思翊中将(2002-07-09)


 かつての日本陸軍に、洪思翊(こう・しよく)という名前の中将がいたことを、若い人は知っているだろうか。朝鮮半島出身の人で、当時のエリート校であった陸大に進学し、終戦時には南方軍総司令部の兵站(へいたん)総監を勤めていた。戦後、捕虜虐待の罪を問われてフィリピンで刑死した。

 日韓併合の後、朝鮮半島を支配していた李王家の貴族は、日本の華族に列せられたが、洪中将は李王家の縁戚でもなんでもない。それでも中将にまで出世した理由は、身分や家柄とは関係なく、ひとえに個人の能力であった。

 その才能は並大抵のものではなく、四書五経から英語にまで精通し、戦史・戦術の専門家であった。

 まだ大尉であったころ、息子の洪国善が近所の悪童から「チョーセン、チョーセン」とからかわれたとき、大英帝国に虐げられても誇りを失わないアイルランド人の例をひき、「どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言いなさい。決して『朝鮮人の』を略してはいけない」と諭したという。

 そんな信念の人だったから、日本風の姓に改名などしていない。当然、周りからは「あなたから率先垂範してほしい」などと勧められたようだ。

 洪中将が捕虜を虐待したという事実はない。現地で行われたB・C級戦犯の裁判は、東京裁判と同様、被告に不利な証言だけが証拠として採用された。はじめから結論ありきの、戦勝国による"復讐"裁判だった。

 山下奉文大将に続いて、絞首刑の判決を受けた後、しばらくして周りの人に「絞首合格だったよ」と語り、平然として処刑台に向かったと言われる。もちろん、徴兵検査の「甲種合格」にかけた言葉である。

 辞世の歌は「昔より冤死せしものあまたあり われもまた これに加わらんのみ」であった。朝鮮人であることに誇りを持ち続けた洪中将が、独立後の韓国の指導者になっていたらと思うことがある。日韓関係も、今とは違ったものになったかもしれない。

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■日本で一番辺ぴな島(2002-03-27)


 この三月、日本で一番辺ぴな島を訪れた。東京都小笠原村の父島である。東京から南に約一千キロ離れた小笠原諸島は、三十ほどの島々で構成される。

 東京の竹芝桟橋から出航した「おがさわら丸」は、荒波のなか、二十七時間もかけて父島の二見港に着いた。立って歩くこともできない大揺れに悩まされ、酔い止めの薬を飲んでいても、船酔いしてしまった。

 小笠原に空路はない。緊急時に自衛隊の水上飛行機が飛ぶだけだ。週に一回の「おがさわら丸」だけが島と内地を結んでいる。日刊の新聞もない。当日のテレビ番組は、専門の雑誌を読んで知る。

 父島の人口は約二千人。主な産業は観光と漁業。平地が少なく、土壌の関係もあって農業には適さない。

 とても不便な島なのだが、そのぶん自然は豊かだ。波が穏やかなら、桟橋から見下ろす海は、数メートル先の底まで透き通って見える。熱帯魚などの珍しい魚が泳ぐさまは、まるで水族館にいるようだ。

 観光客に人気があるのは、ダイビング、鯨やイルカの観察、釣りなど、実に多彩だ。自転車やバイクを借りて、亜熱帯の島内を走り回ることもできる。

 小笠原の歴史には、黒船を率いたペリー提督、通訳の中浜(ジョン)万次郎、朝鮮の革命を企てた金玉均、二見湾上空で撃墜されたジョージ・ブッシュ(元大統領)など、錚々たる人物が登場する。いまだに戦跡も残されている。

 小笠原諸島は、日本の領土の最南端と最東端を占める。明治の元勲である三条実美は、小笠原を「南海門」と呼んだが、まさに海洋国家・日本を象徴する存在だ。

 小笠原の領有は容易ではなかった。江戸から明治にかけては、英国との領有権争いがあった。戦後の本土復帰には、八十六回にもおよぶ米国との交渉を要した。

 現在の小笠原は、"東洋のガラパゴス"と称されるほど、固有種の宝庫として注目されている。豊かな島々を残してくれた先達に感謝せずにはおられない。

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■夫婦別姓のもたらす危険(2001-12-07)


 私が初めて「ああ、結婚したんだな」と実感したのは、妻に朝ご飯を盛ってもらったときだ。次にそれを実感したのは、妻が私と同じ姓を名乗っているのを聞いたときだ。

 姓は不思議な力を持っている。英語で言う"ファミリーネーム"を名乗ることによって、自分がその家族の一員であることを感じさせてくれる。

 姓は、いわば家族の象徴である。その象徴がなくなった場合を想像してほしい。五輪やW杯で「ニッポン」の声援を送れない状況に似ている。

 内閣府による今年の世論調査では、「夫婦別姓を認める法改正をしても構わない」と答えた人が四二%に増えた。その一方で、通称の使用を含めて「夫婦は同性を名乗るべきだ」という人が五三%いる。

 さらに、「別姓だと子供に好ましくない影響がある」と答えた人が六六%であり、夫婦別姓を危惧する人は多い。それでも夫婦別姓を認めてよいと答えた人は、おそらく他人のことに無頓着なのだろう。

 しかし、夫婦別姓を認めれば、必然的に親子も別姓となり、世の中は確実に悪い方向に向かう。自分だけが良くても、社会全体が悪くなれば、結局は自分も困るのだ。

 長い家庭生活には、山もあれば谷もある。家族を個人に分解することによって、離婚もしやすくなり、崩壊する家庭が増えていくだろう。相続や贈与でのいざこざも発生するだろう。

 夫婦別姓を許した北欧の国スウェーデンでは、離婚と犯罪が増加していると聞く。再婚した妻の連れ子が新しい夫と不仲になって家出する。家出した子供は、犯罪に巻き込まれたり、ホームレスになることもある。

 夫婦の同姓は、明治の近代化に伴って法制化された。およそ百年の伝統をもつ。それを今になって別姓にすることは、中世封建社会への逆戻りである。

 どうしても旧姓を必要とする人のためには、すでに多くの組織で実施されているように、通称として旧姓を使用できる仕組みを普及させればよい。これなら問題はない。

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■慰安婦問題 活字にされたウソ(2001-11-27)


 授業参観には、できるだけ行くようにしている。先日行った学校では、"従軍慰安婦"についての発表があった。

 発表した生徒は、冒頭「とても人間のすることとは思えませんでした」と、当時の日本人を非難した。自分の祖父の世代のことを、そこまで悪く言えるものかと驚いた。

 「強制的に従軍慰安婦にされた」「食べ物も十分にもらえず」と、まるで見てきたかのように悲惨な話が続く。種本は『「従軍慰安婦」にされた少女たち』(岩波ジュニア新書)だった。

 この本にはウソが多い。例えば、金学順さんの「日本の警官が部落の人と一緒にきて、挺身隊に行けばお金がもうかる…」という証言が載っている。

 ところが、同じ金学順さんが東京地裁に出した訴状によれば、十四歳の時に四十円で身売りされてキーセン養成所に入り、三年後にその買主に連れられて中国に行ったとなっている。それに、挺身隊と慰安婦は無関係だ。支離滅裂な証言なのだ。

 この本には、済州島で慰安婦狩りをしたという、吉田清治さんの体験談も出てくる。しかし、その証拠は何もないし、これが作り話であることは、地元の済州新聞や秦郁彦教授の現地調査によって、すでに明らかにされている。

 少し考えればわかるはずだ。祖先や家族を大事にする誇り高い朝鮮民族が、娘を奪われて黙っているわけがない。確実に暴動が起きる。

 実際には、独立を求める運動は多数あったが、「娘を返せ」などという運動は皆無だった。百年交渉とまで言われた、あの日韓交渉でも、慰安婦問題は一度も議題に上がっていない。

 その他にも、この本には「世界に類例のない慰安所」「朝鮮民族の種を絶滅」など、驚くような言葉が何の証拠もなしに書かれている。

 特に若い人の場合には、活字にされた情報をそのまま信用する傾向がある。与えられた情報は信用できるかどうか、自分の頭で考えてみる必要がある。ウソで祖父の世代を貶(おとし)めた大人の責任は重い。

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■戦争を教えなくていいのか


 先月の教科書展示会に行き、鳥取県内の公立中学校で使われてきている東京書籍の歴史教科書を読んでみた。一番興味をもって調べたのは、太平洋戦争にいたる過程の記述である。

 なんと、あの有名なハル・ノートが出てこない。これでどうやって戦争を教えるというのか。

 インターネットの普及とともに、最近ではコンピュータ・ウィルスが話題になる。今年は「サーカム」というウィルスが猛威を振るっている。コンピュータ・ウィルスを防ぐにはどうすればいいか。ウィルスによって大きな被害が出ることを宣伝すれば済む問題ではない。ウィルスの性質、感染の手口、検査と駆除の方法を具体的に知らねば何もならない。

 戦争の防止も基本は同じだ。「戦争は悲惨だからいやだ」という精神論だけでは、竹槍で米軍に立ち向かえと指示した無能な指導者と大差ない。

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■軍都なら許されるのか


 教科書展示会に行ったところ、広島原爆を取り上げた教科書があった。そこでは「どうして広島市が被爆都市となってしまったのか」という疑問をかかげ、「その原因の一つは、戦前の広島市が軍都として発展してきたことにある」と結論づけている。

 「原因の一つは」という文句とは裏腹に、それ以外の原因については何も書かれていない。これを読んだ中学生は、広島には基地があったから原爆を投下されたのだと誤解する。

 広島が選ばれた理由は、原爆の威力を試すのに適切な規模の都市だったからだ。長崎については、造船の町にすぎないが、当日の天候のせいで北九州市の身代わりにされたと聞く。

 東京裁判では、人道に対する罪を「一般市民に対する非人道的行為」と定義した。東京などへの焼夷弾攻撃、広島・長崎への原爆投下こそ、人道への罪にふさわしい。原爆投下を、軍都だったからと正当化するような記述は、被爆者の霊を冒涜するものと思う。

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■中国の歴史教科書を読んで <2001-05-31>


 中国や韓国の教科書は、明石書店から『世界の教科書シリーズ』として日本語版が発行されている。その中の『わかりやすい中国の歴史』という、小学校用の教科書を読んでみた。

 日本の教科書とは違って、中国の教科書は面白い。歴史が人物中心に語られており、古代から現代にいたる英雄、豪傑、偉人が続々と登場する。さすがは『三国志演義』の国。これなら歴史嫌いになる子供は少ないだろう。

 私が受けた歴史教育は、年表式に年代と人名を暗記することが中心だった。昔、「砂を噛むよな味気なさ」という歌の文句があったが、歴史はその典型だった。

 中国の教科書の面白さは、日本も積極的に取り入れたらいい。しかし、内容は別である。この教科書には史実の歪曲や戦争・核兵器の賛美が含まれており、日本人として容認しがたい。

 例えば、日清戦争を扱ったくだりでは、「一八九四年九月のある日、わが国の北洋艦隊がちょうど鴨緑江口の黄海の大東溝を航行しているとき、日本艦隊の襲撃に遭い、迫られて応戦した」とある。いかにも日本が悪いとの印象を与える。実際には、両国はすでに八月一日に宣戦布告している。

 その黄海海戦については「日本軍は形勢不利と見て、腰を抜かして艦を操って逃走し」とか、「日本艦はついにはあわてふためいて逃走した」となっている。史実とは逆だ。清国の北洋艦隊は、この海戦でほぼ壊滅した。歴史は講談本ではなく、面白ければいいというものではない。

 中国の教科書では戦争の場面が異常に多く、自軍はいかに勇敢に戦い、敵軍はいかに卑劣かを強調するパターンだ。さらに、中国が原子爆弾を持つことは「世界平和の擁護に重要な意義を持つようになる」とし、開発した科学者を「ふたつの爆弾の父」と絶賛する。

 その中国と韓国が、日本の教科書の変更を要求している。自分たちの気に入るように書き直せと主張するからには、中韓両国の教科書の点検も必要になろう。

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■教科書問題の不思議


 中国の王毅・外務次官は、検定中の新しい教科書を指して「いかに修正したところで、でたらめな歴史を伝えようとしている点は変わらない」と非難した。韓国の金大中・大統領は、日本側に「正しい歴史認識」を持つよう要望した。新しい教科書に対する非難の嵐が吹き荒れている。

 ところで、中国の教科書はどう書かれているのだろう。『小学課本・歴史』という教科書では、南京では日本軍によって三十万人以上の中国人民が殺害されたと記述している。これは中国政府の公式見解でもある。

 しかし、日本では三十万人以上の虐殺を指摘する学者は少ない。安全区国際委員会の委員長であったジョン・ラーベが『南京の真実』に書いたように、南京戦が始まった当時、南京の人口は二十万人であった。確かに民間人に対する虐殺はあったろう。しかし、三十万人などという途方もない数ではない。

 この教科書の、朝鮮戦争に関する記述も問題である。朝鮮戦争は、米国の扇動によって起こったもので、米帝の侵略に対し、中国は北朝鮮を助けたとなる。まるで史実の逆である。

 不思議なことに、こんな中国の教科書に対して、韓国が厳重に抗議したという話は聞かない。なぜ韓国は中国に「わい曲是正」を要求しないのか。国土を蹂躙され、南北に分断されても、中国には謝罪を要求しない理由は何だろう。  検定中の新しい教科書に対して、中国は「侵略を美化」していると非難する。しかし、チベットを侵略しておきながら「解放した」と強弁しているのは中国である。日本は五十数年前に侵略から足を洗った。もう、たとえ頼まれても、朝鮮半島を併合したり、中国大陸に兵隊を駐屯させることはない。これは大多数の日本人の意思である。

 中韓両国が日本の教科書に異常なまでの圧力をかけるのには、それなりの理由がある。日本はすぐに謝罪するから安心して叩けるし、教育を通じて日本人に罪悪感を与えておけば、将来にわたって外交的な優位を確保できる。  国内に不平不満の声があるとき、為政者の常套手段として、他民族にその原因を求めて攻撃する。スケープゴートを作り出して国内の不満を鎮めるのだ。

 今度の新しい教科書が万全なものとは思わない。不備があれば史実に基づいて正せばよいが、政治圧力によって変更するのでは曲学阿世のそしりは免れない。教科書問題への適正な対応は、日本の二十一世紀を占う試金石となろう。

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■外国人の参政権要求は不当(2000-10-26)


 十月二十五日付けの「永住外国人に地方参政権を」に反論します。国籍とは、そんなに軽いものでしょうか。実際には、ペルーのフジモリ大統領も、米国の国会議員になった二世にしても、その国の国籍を持っておられます。彼らは日系ではあっても、日本人ではありません。多くの国々では永住権と選挙権とは別なのです。

 シドニー五輪は終わりましたが、在日外国人の場合、仮に優れた運動能力があっても、日の丸をつけて五輪に出ることはありません。それぞれ自国の代表として出場されます。それが世界です。「国際化」の呪文を唱えれば無理が通るわけではありません。

 憲法第十五条には「公務員を選定し…することは、国民固有の権利」とされています。この権利が外国人にもあるのならば、"国民固有"の権利とは言えません。日本での選挙権は人類一般の権利ではないのです。

 参政権が必要ならば、国籍を取るのがスジだと思います。何を恐れるのですか。

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■教育委員会の活性化を望む


 教育委員会は、五人または三人の教育委員によって組織されている。現在の制度は、昭和三十一年の「地教行法」によって確立されたものであり、人格高潔で、教育などに識見を有する人が委員に任命される。

 教育委員会の基本理念は、レイマン・コントロール(素人統制)と呼ばれる。つまり、現場のプロ教師ではなく、一般市民に教育を監督させようとするものだ。自衛隊でも、制服組の暴走を抑えるためにシビリアン・コントロール(文民統制)を採用しているが、それと似た考え方である。

 最近、そのレイマン・コントロールが形骸化している事実を見せつけられた。社会科の教科書の採択を例にとり、教育委員会の活性化を提言してみたい。

 教科書の採択権は、法的には教育委員会にあるのだが、現実には現場の教師で構成される調査員に丸投げされている。調査報告の内容もお粗末なものだ。

 鳥取県の東部地区では、教科書の候補が数冊あるうち、調査員が勝手に二冊だけを選んでランク付けしていた。西部地区では、三冊だけを選んで希望の本を一番上に書いていた。これらは採択権の侵害行為である。そして、調査員の狙いどおりの本が採択されている。

 現場まかせにすると、どうなるのか。一般市民の大多数を代表するとは思えない勢力に操られることになる。  県内の公立学校では、小学校の社会科と中学校の歴史は、少なくとも十数年前から一社だけの独占体制が続いている。東・中・西の三地区がそろって同じ本を採択し続けるのは、自由な競争が行われていない証拠だ。教科書会社の"地盤"という声も聞かれるが、賄賂や談合も存在するのではないか。類似の現象は他の教科でも見られる。

 平成二年の文部省通知では、教科書の採択は教育委員会の仕事のうちで「最も大切なことの一つ」と指摘されている。その仕事を教育委員会の手に取り戻すには、調査員として教育委員を任命することだ。あるいは、教育委員で構成する、教科別の採択委員会を設ける方法もある。

 各地区には総勢四十名程度の教育委員がいる。一人が少なくとも一教科を担当して、良識ある市民としての判断をくだせばよい。議事録も公開する。

 現在の教育委員会は、機能不全の状態に陥っている。これを"寝たきり"のままで放置してはならない。教育委員が「名誉職」とか「お飾り」などと呼ばれてはならない。勇気を奮って"リハビリ"に挑戦してほしい。

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■「らしさ」というモデル


 文化的・社会的につくられた「男らしさ・女らしさ」といった性差は、ジェンダーと呼ばれている。これは人間の長い歴史・伝統に基づくものだから、物理的な事象とは異なり、確たる根拠はもともと存在しない。

 しかし、そのような根拠がないことを理由に、これまでの文化を否定する姿勢は短慮というほかない。「男らしさ・女らしさではなく、自分らしさを」という声を耳にするが、男らしくなく、女らしくもない個性とはいったい何物なのだろう。

 数年前に豪州を旅行したとき、シドニーのガイドが「この町にホモが多いのは、女が強くなりすぎて優しさを失い、男が伴侶として男を選ぶようになったからです」と分析していたのを思い出す。エゴむき出しの自分らしさではいけない。

 磁石はS極とN極に分かれて互いに引き付け合い、生物の多くも雄と雌に分かれている。人間でいえば、男らしさとは男性としての魅力であり、女らしさとは女性としての魅力であろう。それには、心のたくましさや優しさなど、共通する部分もあるはずだ。

 「らしさ」は社会的文化であるから、国によっても違うし、時代とともに少しずつ変化もする。したがって、具体的な内容については各家庭などで判断すればいい。

 「キスは長く続かないが、料理は続く」とは、夏目漱石に大きな影響を与えた、英国の作家ジョージ・メレディスの言葉である。母親が娘に料理を教えるのも、その方が娘の幸せな将来につながることを知っているからだろう。

 女子柔道界にはヤワラちゃんこと田村亮子選手がいる。彼女の人気が抜群に高い理由は、強くて女らしいからではないか。

 人間を育てるには、良質なモデルが必要になる。インドには狼に育てられた少女の事例がある。その後の懸命な養育努力にもかかわらず、九年たっても人間社会に復帰できなかったという。モデルの影響は大きい。「男らしさ・女らしさ」というモデルは、最善ではないのかもしれないが、魅力ある男女を育てるために必要だと思う。

 日本には昔から「守・破・離」という伝統がある。「守」とはモデルの学習である。学習の段階を通過すると、今度は「破」という壁にぶつかる。それを苦しみながら乗り越えて、はじめて「離」という段階に到達する。自分の個性が開花する段階である。「守」の段階で、つまり型にはめられたぐらいで、消えるようならば、もともとたいした個性ではないのだろう。

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■君が代の解釈と世論調査


 十月十七日付けの本欄で、中村氏が日本世論調査会の調査を「いつごろのこと」かと尋ねておられた。これは今年の七月に実施されたものだ。日の丸と君が代を国旗・国歌として制定することに七一%が賛成した。

 中村氏が示された賛成三六%というのは、毎日新聞が七月に実施した全国電話世論調査である。これは"今の国会"で君が代を国歌として制定することについての質問であり、法案には賛成だが次の国会にずれ込んでもかまわないという人は含まれていない。

 五月三日付けの毎日新聞でも、君が代を国歌と制定することに六一%が賛成した。つまり、世論調査の数字に大きな差が出たのは「とらえた時点の違い」ではなく、質問自体が異なるためである。

 国会での審議が不十分だったとの批判もある。国旗・国歌を新しく制定するならば、たしかに審議期間は短すぎる。しかし、前提が異なる。以前から慣習として存在していた国旗・国歌を、法的に再確認しただけなのだ。

 次に、君が代の解釈である。元の歌詞は、『古今集』の元永本などにある「わが君は 千代にましませ…」が原形と考えられる。敬愛する人の長寿を願う歌である。

 一方、『古今集』の真名序には、この歌に関連して「陛下ノ御宇」という言葉があり、早くも天皇が意識されている。江戸時代の薩摩琵琶歌である『蓬莱山』には「君が代は…かほど治まる御世なれば」という文句があり、ここでの「君」は天皇を意味する。

 このように、「君」の意味は、一義的には「敬愛するあなた」であり、二義的には「天皇」である。歴史上、この二つの意味で矛盾なく使われてきた。

 現在の君が代でも、「君」を「敬愛するあなた」と解釈していい。式典では、参列するすべての人が、自分から見れば「あなた」である。しかし、国歌として考えた場合、個々の「あなた」の集合は日本国民であり、その統合の象徴が天皇であるから、「君」を「天皇」と解釈することもできる。

 「君が代」を「天皇の国」とし、国民主権の原則に反すると言われる。しかし、「天皇の国」という言葉に"主権"は含まれていない。もし主権が含まれるならば、「私の国では…」と言えば、私が主権を持ってしまう。

 さらに、憲法第一条により、天皇は日本国の象徴であるため、「天皇の国」は「日本の国」と同義になり、日本の国が永久に続く歌になる。君が代が憲法違反であるとの主張は、憲法を無視したものだ。

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■日本海新聞の読者となって


 我が家では、長年にわたって全国紙と地方紙を一紙ずつ購読してきた。しかし、今年の二月ごろに、全国紙はインターネット版の電子朝刊に、地方紙は本紙に、それぞれ切り替えた。

 本紙に切り替えたのには理由がある。以前から、地元の詳しい情報は本紙でしか得られないことがあるのは知っていたが、これまでの付き合いや惰性で、ずっとそのままにしてきた。切り替えた直接のきっかけは、特定の側に立つ記事や意見しか載らない新聞に、もう我慢できなくなったからだ。

 本紙の特徴の一つは、毎日の充実した読者欄だ。私は読者欄から先に読む。読者からの千字分もの投稿が、同時に何件も掲載されるような新聞は、全国でも少ないと思う。

 最近の国旗・国歌問題でもわかるように、本紙では、たとえ論説委員の考えと異なる意見であっても、幅広く読者の意見を取り上げてくれる。私はこの点を高く評価している。

 新聞は社会の木鐸(ぼくたく)とも言われる。これは確かに新聞の重要な側面だが、同時に危険な側面でもある。新聞が社会正義を振りかざすとき、その正義にとって不利になりそうな情報は、その存在すら報道されない可能性がある。

 例えば、近隣諸国との友好問題である。友好が大切なことは言うまでもない。しかし、新聞が「この情報は友好を損ねる恐れがある…」と独自に判断し、報道にフィルターをかけたらどうなるだろうか。

 その新聞社好みの報道で埋め尽くされてしまう。読者は、幅広い情報を得てから自分で判断するという、本来の機会を奪われてしまう。これは一種の洗脳状態だ。

 新聞の果たすべき役割の一つは、公平な報道にあると思う。裏のとれた良質な情報を幅広く提供し、多彩な意見を戦わせる。最終の判断は読者にゆだねればいい。本紙の長所は、地元の情報に詳しいことだけではない。新しい読者の一人として、そのことを指摘したい。

 苦情と希望も述べておく。テレビ欄の深夜番組は枠が小さすぎる。例えば、日曜夜の「世界遺産」という番組では、今週のテーマがわからない。編集後の確認体制にも一層の充実が望まれる。

 今夏の旅先で見た『山梨日日新聞』では、お悔やみ欄に葬儀の場所や日時まで載っていたので驚いた。これは読者にとって役立つ情報だ。結婚式の情報までは不要と思うが、本紙でも検討していただきたい。

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