掲載される投稿とは


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    ■“一粒で二度おいしい”という例
    ■“おきて破り”でもいいという例

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■“一粒で二度おいしい”という例


 私のような“ボツ投稿”の常連が、「掲載される投稿とは」というテーマを掲げること自体、きわめて皮肉なことだ。むしろ「ボツにされる投稿とは」というテーマがふさわしいかもしれないが、それでは誰も読んでくれない。そこで、実際に掲載された投稿を調査してみた。

 驚くなかれ、2002年だけでも“一粒で二度おいしい”という事例が二つあった。

 2002年5月11日(土)の日本海新聞に「惑わされる ゆとり教育」と題する投稿が載った。著者は米子市のHさんという常連だ。ゆとり教育は、建前を先行させた不可解な週休二日制であると批判した内容だ。ベテランらしいこなれた文章で、掲載されるのは何の不思議もない。

 私はうかつにも見逃したのだが、その翌日、つまり5月12日(日)には「ゆとり教育 幻想では?」が載った。新聞も、著者も、そして内容もまったく同じ。違うのは見出しだけという珍妙な事態が生じた。本当に「惑わされる」のは、読者の方である。

 さらに、2002年8月30日(金)の日本海新聞に「住基ネットの扱いは慎重に」と題する投稿が載った。著者は境港市のYさんという常連だ。住民コードはクレジットカードと同じくらい重要だから、カードの郵送と同じように、相手の印鑑をもらえる方法で送るべきだとの主張。面白い着想だと記憶に残った。

 その投稿が、およそ半月後の9月17日に「住基ネットは慎重さ持って」と題する投稿で復活した。新聞も、著者も、そして内容もまったく同じ。違うのは見出しだけ。

 私のようなボツ投稿の常連からすれば、「どうして?」と言いたくなる。部外者の私には、その理由はわからない。ただ、どちらも日本海新聞の学芸部にとって、よほど好みの投稿だったことは推測できる。

 二つの投稿に共通するのは、政府の政策を批判した文章ということだ。どうやら、日本海新聞の学芸部さんは、政府を批判する姿勢がお好きらしい。

 だから、掲載される投稿の第一は、政府を批判する投稿ということになる。

 ところで、優れた投稿が採用され、劣った投稿がボツにされるかというと、必ずしもそうとは言えない。これまでに、ずいぶんとずさんな、低レベルな投稿を見てきた。

 今までの経験から推測すれば、投稿の採用・不採用は、あくまで「学芸部のデスク」と呼ばれる人物の考えで決まるようだ。そして、まったくの推測なのだが、ときどきは、もっと上の人物の意向が反映されることもあると見ている。

 いずれにしてもこの世界、外部からは、まったくの闇の中、ブラックボックスである。世の中では情報公開が当たり前になってきたが、投稿の採否に関しては、いまだに真っ暗な世界が続いている。

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■“おきて破り”でもいいという例


 おきて(掟)とは、守らなければならない社会の決まりのこと。普通、おきてを守らないと、罰則が適用されたりする。つまり、投稿の世界に当てはめれば、即座にボツにされるということ。しかし、それは一般社会での話。新聞投稿の世界は、少し違うようだ。

 今回取り上げるのは「回避すべきイラク攻撃」という、鳥取市のN氏の投稿。2003年1月17日の日本海新聞「私の視点」に掲載されたものだ。

 長文である。なんと、文字数を計算してみたら1,631字(行頭の空白含む)。

 日本海新聞によれば、「私の視点」の字数は800字程度となっている。規定の倍ではないか。これも“800字程度”の許容範囲内だろうか。そんな規則なら、ないのと同じだ。

 このN氏、“おきて破り”は文字数だけではない。年齢と職業も記載なしで、ときどき顔を出される。年齢と職業の記入は、ちゃんと規則に明記してあるのだが...。守るかどうかは、本人の自由らしい。

 一歩譲って、“おきて破り”でも掲載する必要のあるほど、抜群に優れた投稿なのだろうか。もしそうならば、規則に目をつぶってでも掲載したい気持ちになることは、理解できないでもない。

 ところが、中身もひどいもんだ。この文章の冒頭は、次のようになっている。

 「ある憲法学者は言った。アメリカという国は〜」

 ある憲法学者って誰なんだろう。普通、他人の言説を引用するときには、その人の名前ぐらい書くだろう。それが礼儀ってもんだと思う。この人は、まるで気にしていない。次の文章も出てくる。

 「別の学者(国際関係論)は言っている。最大の〜」

 自分の文章に箔を付けるために、他人様の意見を利用しておきながら、名前も紹介しないのか。よほど、表に出してはまずい人物らしい。

 「ある憲法学者」さんの意見とはこうだ。アメリカには「自由な民主国」という顔と「世界の憲兵」としての顔という二つの顔がある。前者とは友好国とみなせるが、後者とは、はっきり手を切り批判するという。

 アメリカに二つの顔があることは、それは私も認める。二つより多いかもしれない。しかし、後者と手を切り、前者とだけ友好関係を持つことなど、どうやってやるんだろう。そんな器用な方法があれば教えてほしい。空理空論ではないか。

 以下、「」内がN氏の主張で、→ 以降は私のコメント。

 「最初から何が何でも攻撃ありきのアメリカ」 → 実際にはずいぶんとチャンスを与えた。フセインは、自分のために国民を犠牲して平気な人だった。

 「無謀なアフガニスタン攻撃が何になったのか。 <中略> 治安は悪化しつつある。アメリカの攻撃がテロをなくすることには全く役立たずで、むしろ世界の平和を破壊するもの」 → そう断定する根拠はあるのか? 少なくとも、良い方向に向かっていると思うが。

 「要は戦争さえしなければすむことだ」 → さすがは反戦・平和の塊。テロだらけの世界がお望みらしい。

 「このイージス艦をアフガンが落ち着いた今、なぜ派遣するのか」 → 少し前に、「治安は悪化しつつある」って書いたのは誰だ?

 (バグダッド攻撃で)「中東全体を巻き込んだ大戦争と混乱が起こる」 → 起きなかった。

 「テロリストは日本に注目し、次は日本をターゲットにする」 → インドネシアやフィリピンはテロにやられた。アメリカを批判しておけば、テロの標的にならないと思っているようだが、テロリストに、そんな“仁義”は期待しない方がいいと思う。

 これ以上は、もう付き合いきれない。

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 この他にも、類似の投稿がある。「戦争反対、平和への意思表示をしよう」という、大山町のA氏の投稿。2003年4月4日の日本海新聞「私の視点」に掲載されたものだ。

 文字数は1,125字。800字を325文字も超過しているが、これも「800字程度」に入るようだ。

 上と同じように、いくつかコメントしてみる。

 「由良高校新聞部が同校生徒七十二人に聞いたアンケート結果が紹介されていた。多かった回答をつなぐと <中略> とまとめてあった。私も全く同意見である」 → あなたも由良高校のアンケートを独自につないで、まとめてみたんですか。同校にお勤めですか?

 「けんか両成敗という言葉がある。けんかで先に手を出した方も悪いが、けんかさせられた方にも何らかの原因があって悪いところがある」 → そうやって日米戦争も、日中戦争も、日本の立場を弁護してくださるんですね、きっと。

 「なぜアメリカに対してだけテロが起きるのか」 → 何でアメリカしか見ないんでしょう。インドネシア、フィリピン、イスラエルは、国と思ってないんですか。

 「憲法によって戦争をしない国でありながら、アメリカの戦争を支持するということは間接的に戦争に参加するということである。精神的な憲法違反をしている」→ 自衛のための戦争も認めないんでしょうな、この人。右の頬を打たれたら、左の頬を差し出すというのは、個人的には立派かもしれないが、罪なき同胞がそうされていても、知らん顔しそうなところが怖い。

 「やまびこ欄でさまざまな人が反戦・平和の声を挙げられるよう新聞もとりあげてほしい」→ そうなってます。

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 まとめてみよう。(おそらく、日本政府を批判する内容ならば)おきて破りの投稿であっても掲載される。特に、それが反戦・平和を唱えるものなら問題ない。

 この事実を発見してから、私も、文字数にあまりこだわらないようにしている。今まで、規定の文字数に抑えるために、何度も書き直していた時間は、無駄だった。

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