2:口腔乾燥症がもたらす諸影響

 口腔乾燥や唾液分泌低下があると、自浄作用の低下や粘膜の潤滑作用がなくなるために、 虫歯や歯周炎の発症、粘膜障害、義歯の不安定などいろいろな症状が見られるようになります。
 口腔内だけでなく、味覚異常や嚥下障害などを引き起こし、全身状態にまで影響を及ぼすことも多くあります。

A:歯への影響
 虫歯や歯周病は、唾液の自浄作用や粘性亢進などが大きく影響しています。
 特に高齢者では、根面う蝕の発症や、歯周炎の増悪と密接に関連しています。

@口腔乾燥症と虫歯
 一般的にむし歯の発症には「虫歯菌」、「歯の抵抗性」、「砂糖などの基質」が深く関与することは知られていますが、唾液の役割も見逃すことができません。
 1)唾液による酸への抵抗性
 細菌が炭水化物を代謝することで産生される「酸」によって歯質が脱灰され、初期の虫歯が発症するといわれています。
 口腔内では食事の度にpHが下がって脱灰されますが、唾液の緩衝作用によって再石灰化のプロセスが進行してpHは戻ります。
 エナメル質が溶け出す臨界pH5.5〜5.7以下になる時間帯が短ければ再石灰化は十分図られますが、食事回数が多い、唾液の流量が少ない場合には脱灰のプロセスが進行し、虫歯発症の危険が高まることになります。

 2)唾液による歯の表面の保護
 歯の表面は唾液由来の糖タンパクであるペリクルで覆われています。
 ペリクルは細菌の産生する酸による脱灰を遅らせる働きをもっています。
 唾液の分泌が減るとペリクルが形成されなくなり脱灰が進み、虫歯のリスクが高まります。

 3)唾液による洗浄作用
 虫歯の発症と関連する重要な因子として、唾液分泌速度があります。
 本来なら唾液の自浄作用によって口腔内の細菌が取り除かれますが、唾液の分泌速度が遅いと細菌数が増加することが知られています。

 口腔乾燥症の患者さんでは、こうした唾液の重要な機能が低下していると考えられますので、虫歯の発症という観点でリスクが高くなると思われます。

A口腔乾燥症と歯周病
 1)歯周病発症への唾液の影響
 唾液の機能の一部として物理的な希釈・溶解・洗浄作用があげられます。
 一方で、唾液内の高プロリンタンパクや高プロリン糖タンパクは、歯周病原性細菌どうしの凝集や異種どうしを凝集させるので、形成された凝集塊は嚥下されて結果的に菌が排除されます。
 すなわち、唾液は浮遊した細菌を口腔内からの除去することに関与しています。
 2)歯周病に対する抵抗力に及ぼす唾液の影響
 唾液内には、免疫グロブリン、リゾチーム、唾液ペルオキシターゼ、ラクトフェリンなどの多くの抗菌性物質が含まれています。
 これらの成分はバイオフィルム外の浮遊している菌に対しては抗菌作用を及ぼします。
 唾液は機械的・物理的・化学的洗浄を十分果せる口腔内では、歯周病発症時の初期のプラークに関して防御の機能を果します。


B義歯不適合・違和感

 義歯の安定にも唾液が必要です。
 唾液分泌が改善されることで、義歯の安定感や違和感が改善される臨床例も多くみられます。
 唾液分泌の低下した口腔乾燥症の患者さんでは、義歯のトラブルが多くみられます。
 唾液に粘着力や接着力が低下して、口腔粘膜の保湿度が低くなることで総義歯の維持力が低下するからです。

 1)唾液による義歯の維持
 義歯に対する接着剤の機能を果たす唾液が少なくなると、義歯は不安定になり脱落しやすくなることと、乾燥により義歯が変形しやすくなるとも考えられています。
乾燥した粘膜は物理的な刺激に弱いために、義歯による外傷性潰瘍が引き起こされることもしばしばあります。
 唾液は口腔粘膜を物理的刺激から守り保護する被膜(薄膜)を作ります。
 この薄膜を維持・機能させるためにも唾液の生成は欠かせません。
 また、唾液は微生物に対する抗菌作用や免疫作用があることから、分泌が少なくなると感染症による潰瘍形成や粘膜の脆弱化で痛みを生じ、義歯の使用が困難になります。

 2)咀嚼機能と唾液
 一般に総義歯は、天然健全歯列の約1/4程度の咀嚼能率とされています。
 これに全身状態低下や口腔環境の問題が加わると、さらに機能が低下します。
 高齢者は唾液の分泌が低下するので舌や粘膜を動かしにくく、義歯の咬合はこれらの状態に応じての調整が必要です。
 また全身状態の低下している場合は口腔清掃不良などで粘膜が傷つきやすくなっていますので、咬合状態の回復とともに、口腔ケアを行うことが必要です。

 3)口腔乾燥症の義歯ケア
 口腔乾燥症の患者さんが義歯を使用することで、しばしば「発音がしにくい」「咀嚼や嚥下が困難」「味覚が狂う」など、通常の生理的機能を果たすのに困難を要することがあります。
唾液分泌低下による口腔乾燥では、粘膜が弱くなるため、適合のよい義歯でも痛みや不適合が生じます。
 粘膜を湿らせるために、生体内保湿成分であるヒアルロン酸ナトリウムを含んだ洗口液を粘膜に塗布します。
また医薬品として人工唾液のスプレー製剤もあります。
 一方、不適合な義歯も唾液分泌低下の原因になります。
口腔乾燥症の患者さんの義歯はより正確な調整とケアが必要です。

     


B:口腔粘膜への影響
@舌の発赤・舌乳頭萎縮・平滑舌
 乾燥により舌粘膜の乳頭萎縮や発赤が生じ、平滑な舌もみられるようになります。
 また気道の感染が生じやすくなることで、舌先端部が赤くみられることもあります。

A舌痛症・口腔粘膜の症状
 唾液分泌低下で舌粘膜や口腔粘膜の摩擦力が亢進し、微小外傷が生じやすくなり痛みや潰瘍などがみられるようになります。
 アフタの治癒遅延や再発、義歯による粘膜の痛みや違和感なども増加します。

B舌苔
 口腔乾燥が生ずると、口腔内で十分に咀嚼できないために胃腸障害にまで及ぶことがあります。
 このような症例では舌苔が増加したり口腔内の水分低下などで、舌苔が黄色くなります。 舌苔は全身状態と関連しています。
 無理な力で除去すると傷がつきやすいので、軽い力での清掃や保湿を中心として口腔ケアを行うことで改善します。

C口腔粘膜の菲薄化・口角びらん
 口腔乾燥や唾液分泌低下に伴う消化管への影響で消化吸収の低下が生じ、口腔粘膜における血液の栄養力低下で粘膜の再生力か低下したり、摩擦力亢進で粘膜上皮が薄くなることがあります。


C:口の中全体への影響
@口腔乾燥感
 口腔内の乾燥感は口蓋部や舌に現れやすく、唾液が口腔内に貯留していても舌上や口蓋にうまくいきわたらない場合や、舌乳頭萎縮で唾液を貯留しにくい場合と考えられます。
 口呼吸でもこの症状が強くなります。

A唾液の粘稠感
 交感神経優位の状態やストレスの多い状況下では、漿液性唾液である耳下腺唾液が少なくなるために、粘性亢進が生じやすくなります。
 そうなると食物残渣が口腔内の粘膜に付着して残留しやすくなります。

B口腔内灼熱感
 口腔粘膜が乾燥したり保湿度が低下すると、微小な外傷が生じやすく、また粘膜上皮の保水量低下により灼熱感を生じやすくなります。
 水分低下による発熱との関連もありえます。

C味覚異常
 唾液分泌低下や口腔乾燥があると、水分に溶けるべき味分子が舌乳頭部の味蕾に到達しにくくなります。
 そのため、味覚障害を生じやすくなります。
 食べ物を口にすると唾液と混ざり合い溶解され、味を感じる器官である味蕾の味細胞に達します。
 味蕾は、舌・口蓋・咽頭・喉頭に存在し、部位によって神経支配が異なります。
 味細胞では味物質との相互作用が味細胞膜の電位変化に変換されて、味覚神経のインパルスが発生し、神経伝達によって大脳の味覚野に伝えられ、味として感じるようになります。
 また味覚は生体恒常性維持にも関係し、中でも塩味は、水および電解質代謝のマーカーと考えられています。
 たとえば、塩味の強いものを食べると、口渇感をおぼえて水を飲み、逆に発汗などで水とナトリウムの欠乏が生ずると、水とともに塩味のある食物を好んで摂取するようになります。
 1)唾液と味覚の相互関係
 味覚と唾液は密接な関係にあり、唾液のイオン価が血清と比較して低いことや、亜鉛と結合している唾液タンパク(ガスチン)の存在などが味覚にとって重要であると考えられています。
 味蕾は唾液を含む口腔内のあらゆる液体の味にすばやく順応します。もし唾液が血漿と同じ塩濃度(高濃度)であれば、低い塩濃度は感じることが出来ないでしょう。塩味(塩化ナトリウム)以外に、甘味(グルコース)、酸(緩衝能)、苦味(尿素)についても同じです。
 2)口腔乾燥と味覚異常の関連
 唾液の分泌が低下した状態では、味を示す分子が味蕾に到達しにくく、味覚が鈍ります。
 また、唾液の粘性が亢進している場合も食物が溶解されにくいため味物質が味蕾に到達しにくいと考えられます。
 さらに唾液による浄化作用、潤滑作用も低下し、舌苔が付着しやすくなり味孔が閉鎖する可能性もあります。
 このような味物質到達障害が口腔乾燥症に多く見られる味覚障害の一因となっているでしょう。

D口腔乾燥症と口臭
 口臭の発症原因はおもに3つあります。「歯周病」「舌苔」「口腔乾燥(ドライマウス)」です。
 これらの要因が単独もしくは複数関与して口臭を発生させます。
 重要なことは、唾液分泌が低下している口腔乾燥症の患者さんは、唾液の自浄作用が低下し、唾液タンパクの機能低下もみられるため、歯周組織の易感染性や易炎症性が起こり、歯周病の重症化につながるということです。


D:食べる機能への影響
 唾液にはさまざまな役割がありますが、嚥下の大きな役割である食塊形成があります。
 嚥下の準備段階で嚥下しやすいように唾液を混合して飲み込みやすい大きさと形にすることです。
 嚥下は咽喉頭部が保湿されて感覚と正常であることが必要です。
 正常な嚥下反射には唾液が不可欠で、口腔乾燥のある高齢者では、唾液分泌低下と関連した症状が多くみられます。

@食物摂取困難
 粘膜が乾燥や摩擦力亢進で、食物摂取が困難になります。
 舌や頬粘膜、口唇などが自由に動かせないことで、咀嚼しにくくなります。

A嚥下障害
 咽喉頭部粘膜の乾燥や唾液による食塊形成が障害されることで、嚥下障害が生じやすくなります。
 また食事以外における空嚥下の回数が減少すると、嚥下運動の準備が不十分になり経口摂取時に誤嚥しやすくなります。
 そのため高齢者などでは食前のうがいや歯磨き、口腔ケアが誤嚥の予防に有効です。

B感染症と誤嚥性肺炎
 唾液分泌低下があると口腔内に長期間、食物残渣などが残留しやすくなり、カリエス発生や感染症を増加させます。
 口腔乾燥は咀嚼障害や嚥下障害にも影響があることから、特に要介護高齢者ではグラム陰性桿菌の残留で肺炎を誘発しやすくなります。


「咀嚼・嚥下機能と食物形態」
 咀嚼機能の障害や口腔状態に問題があると、嚥下機能にも影響します。また片麻痺などがある場合には、口腔領域の麻痺も生ずるために、咀嚼機能や嚥下機能も障害され、むせたり、噛みにくくなったり、咬めなくなったりします。
 このような場合には食事そのものが経口から経管栄養になる症例も多いのです。
 経管栄養はストレスなど心理的因子だけでなく、咀嚼機能低下からコミュニケーション障害を生じさせることも多く、全身状態を急激に低下させる原因となります。
 また、口腔への適度な刺激がなくなることが唾液分泌を低下させて、口腔乾燥をきたし、さまざまな機能障害を併発することになります。

「口から食べる」
 唾液が少なく粘性が高まると、口腔内や粘膜に食物残渣などが付着しやすくなり粘膜の感覚が低下することが考えられます。感覚低下は味覚や嚥下機能に影響を及ぼして口腔機能障害や誤嚥を生じやすくします。誤嚥やむせが起こると嚥下障害と判断されて経管栄養になる原因となります。口から食べなくなると、さらに唾液分泌量が減少して、口腔粘膜や舌が乾燥しやすくなるので、注意が必要です。
 栄養摂取の形態としては「口から」が基本です。特に意識レベルの高い患者さんでは、経口摂取できるよう医学的管理や歯科医学的管理が必要です。麻痺がない場合など、口腔粘膜の保湿や唾液分泌の改善のみで経口摂取できるようになった症例も多くみられます。

「経管摂取患者さんの義歯」
 食事をしない患者さんでも、昼間の義歯装着により発音機能や嚥下機能を維持すると、脳血流への好影響があります。義歯装着がないと正しい咬合高径を保持できないために、嚥下の際に舌が正しい位置に固定できず誤嚥しやすくなり、また口腔内に適度な刺激が加わらないために唾液の分泌が低下して、口腔乾燥や味覚障害などの原因となります。
 予防する意味でも義歯の装着は大切です。


E:その他の影響
@口腔乾燥と舌苔
 舌苔は、口腔内細菌(おもに嫌気性細菌)、唾液成分(粘性成分であるムチンなど)、食物残渣、剥離上皮細胞から構成されます。
 一般に安静時の舌における唾液の流れは顎下腺と舌下腺が中心となると思われます。
 顎下腺の開口部は舌下部にある舌下小丘であり、舌下腺には導管がなく舌下ヒダから分泌されますので、舌の付け根に近い後方部は唾液による洗浄作用がうまく行われません。
 唾液の流れが十分でないと酸素濃度が低下するため、舌乳頭部、とくに舌背後部は嫌気性環境となって、口臭に関連する細菌の増殖にとって好都合となります。
 舌の後方部ほど有郭乳頭などの大きなくぼみが多く、嫌気性細菌の増殖しやすい環境といえます。
 こうしたことから舌苔は舌の後方部から付着し始め、前の方に展開すると考えられます。
 舌尖部にはほとんど付着しないわけです。
 唾液には「サラサラタイプ」と「ネットリタイプ」があり、口腔乾燥症の患者さんは唾液の曳糸性(ネットリタイプ)が亢進していて、舌苔が舌表面に強く付着しています。
 このようなタイプは舌苔の量が多くなくても、除去が上手くいかないことがしばしばです。
 このことが口臭を助長していると考えられます。

Aカンジダ症
 カンジダは低いpHで発育を繰り返す能力があり、唾液量低下による酸性化と関連していると思われます。

B口腔乾燥症と感染症
 1)口腔内の微生物の働き
 口腔内には多種にわたる微生物が常在し、一定の常在微生物叢を形成しています。
 すでに定着している常在微生物叢は外来菌の定着を阻止し、宿主の外来菌に対する感染防御機構の一端を担い、ビタミンの供給やリンパ組織の発育促進など宿主に有益に働いて共生関係を保っています。
 しかし、唾液の性状の変化や分泌量の減少により唾液の防御作用が損なわれると、口腔内微生物叢のバランスが崩れ、虫歯や歯周病などの口腔感染症が引き起こされます。
 2)口腔内感染症の代表例
 口腔の感染症は身体の中でも発症頻度が高いといわれています。
 それは微生物、特に細菌にとって生理的(温度、湿度、pH、酸素分圧)や栄養学的に口腔がきわめて好条件だからです。
 口腔感染症には口腔常在菌が原因となって起こる「内因感染」と外来性の病原菌によって起こる「外因感染」があります。
 一般的に内因感染と考えられている感染症には、虫歯や歯周病、カンジダ症などがあげられ、外因感染としては、梅毒、結核などによる口腔症状やその他のウイルス性疾患があげられます。
 口腔感染症のほとんどが内因感染ですが、その中でもカンジダ症は高齢者でよくみられる感染症の1つです。
 免疫抑制や内分泌障害、栄養不良、薬剤、唾液の性状変化などの影響で、おもに粘膜に常在するCandida albicansが過剰に増殖することで発症します。
 3)口腔内細菌で起こる全身感染症
 一般に、高齢者などの感染を起こしやすい患者で見られる感染症は日和見感染症とよばれ、コレラや赤痢などの致死性の高い感染症とは区別されています。
 健康な成人では死ぬことがほとんどないのですが、抵抗力の落ちている人ではこのような感染症でも死に至る確立が高くなってきます。
 わが国では肺炎で死亡する患者のうち9割以上が65歳以上の高齢者だといわれています。
高齢者、要介護者の場合、嚥下反射、舌運動機能および咳反射が低下して、口腔や咽頭に生息する細菌が唾液とともに肺に侵入し肺炎を起こすことがあります。
 近年、臨床の現場から口腔ケアが誤嚥性肺炎の予防につながるという報告がなされています。