「活きるとは?」    2002年10月

開業して、間もなく6年が過ぎようとしています。
6年間という歳月は、長かった様でもあり、瞬く間であった様でもあり・・・。
40歳を越えて、少し衰えたかもしれない体力に、これも少し弱りかけた精神力が何とかムチを打ってくれるおかげで、開業当初の理念を崩さずに今日も変わりなく過ごすことが出来ている次第です。

しかし、周囲の風景の変わり様が、やはり月日の流れを感じさせてくれたりもします。
同時に、患者さん方の身の周りにも、何がしらかの変化が見受けられる様になりました。
以前は車いすで歯科治療に通われていたAさんが、やがて寝たきり状態になってしまいました。
Aさんは、重度の嚥下障害で、今では胃瘻が造設され、経口摂取は一切出来ません。
しかし、義歯を入れていた方が唾液の嚥下がし易いということもあって、適宜往診を行っておりました。

とある往診日、体温調節能の衰えた私の体を、蝉の鳴き声がこれでもかと逆撫でてくれるような昼下がりでした。
浮き輪を自転車に積んだ親子連れが、両手に得体の知れない荷物を抱えた変なおっさんを横目でにらみながら通り過ぎて行きます。
そんな時でも、御高齢の方々は、あまり冷房というものをを好まれないのかもしれません。
時として、私の額を伝う汗が患者さんのお口の中にポトリと言う事態も生じかねません。
そんな日の往診には、必ず首からタオルをぶら下げて不測の事態に対処します。
これも一つの危機管理。
しかし、義歯の調製やら、口腔ケアやらをしていると汗が額を競うように流れて参ります。
すかさず首から頭にタオルをうつし、棟梁に七変化します。
が、時既に遅し。
(ひえーーー!やってしまった)
額よりも、瞬時にして心の中が冷たい汗にまみてしまいます。
Aさんのお口の中には、私の汗が1滴ならずも2滴、3滴と吸い込まれてしまったのです。

それでもあえて何食わぬ顔のAさん。
その優しさに甘えるわけにも行かず、「うがい、しましょうか」と、紙コップを差し出す私。
笑いながら、ペットボトルで作った即席ガーグルベースを使ってうがいをするAさん。
「年を取りますとなー、汗も出んようになるに、先生はまだ若いな−」
「はい」とも言えず、ただ黙って義歯の研磨を続けます。
「先生らは、こんな日にはやっぱりビールで一杯かなー?」
「いえ、僕は全然飲めませんので・・・」
飲めないのは本当なのですが、とてもAさんの前で飲食物の話は出来ません。
「わしも、若い頃はよー飲んだが、もう駄目ですわー」
暗さのないその言葉に、返ってこちらの言葉が詰まります。
「今はね、先生・・・」
「はい・・・?」
「ビールを飲みたいと言うような贅沢は一切思わんですけどね・・・」

急に苦手なムードが漂います。
「ただこんな日には、冷たいコップ一杯の水を、自分の舌と喉で味わえれば、どんなに幸せなことか・・・」
さらに言葉に詰まり、ただひたすら手を動かすことしか出来なくなってしまった次第です。

診療を終わって返る道すがら、先ほどのAさんの言葉が
私の乾いた喉にひっかかっていました。

「活きるとは、美食などではなく、ただ一杯の水を、自分の舌で味わうこと」、なのかも知れません。
シ(水)を舌
で味合う・・・。シ+舌・・・。
それが、「
活きる」という事なのでしょうか