「魑魅魍魎」


 ふた昔以上前の事になります。
和式トイレにしゃがんでいて浮かんだ一つの疑問。
何故和式なのか。どうして日本式と呼ばないのか。
考えてみれば、和式に準ずる言葉の多いこと。
和風、和室、和服、和食、和船、和歌、和裁、和菓子、等々。
どれも、頭に日本と付ければ良さそうなものなのですが。
洋式に対しては日本式でしょう、と思いながらも、暫時の沈思。
足のしびれと暑さに耐えきれず、思考は中断。
以後、10年間の忘却を経て、やっとその答えを見つけたのは30歳を過ぎた頃でした。
大和式、略して和式
 ならば、洋式という概念が入る前、すなわち、維新以前は、日本はまだ和国であったということなのでしょうか。
 ここからは、何の学問的根拠もない憶測の世界に入ります。
最初に言葉ありき。当時の人々は、自らの国をと発音していました。
それを聞いた漢人陳寿?と記載します。
漢語で、わという音を倭と書くのか否かはやや疑問もありますが・・・
 その後、字義に不満を持つ聖徳太子がと改めます。
さらに和国は、大を冠してついに大和が誕生します。
ここでさらなる疑問。
何故に「大和」と書いてやまとと発音するのか
これにはそれなりの持論もありますが、紙面の都合上割愛
まるで1万円と書いて聖徳太子と読むくらいにかけ離れた感じがしないでもありません。
 一七条憲法の冒頭、和を以て貴しとなしとあります。
これは人間関係の調和を説いただけの、そんな単純な文句ではないというような気がしてなりません。
当時の政策上の重要事項であった2条と3条を差し置いて、最初に和という言葉が綴られているのには、それなりの深い意味があったと思われます。
 当時はまだ中央集権制が確立されておらず、氏族間の合議制の上に体制が成り立っていました。
氏族間の争いは、政治システムの崩壊をもたらします。
 ここで注目すべきは、氏族の頂点は長ではなく、氏神であったということです。
集権制に意義を唱える有力氏族の鎮圧を行おうとすれば、同時にその氏神の抹消を為さなければなりません。
しかし、この行為は氏神の恐ろしい祟りを招来しかねません。
そこで太子は仏教の導入を画策し、その力を借りて鎮魂を図ろうとしました。
和を説いて平和路線を導くその反面で、非常時の危機管理も怠らなかったのです。
 祟りの存在など、非科学的といえばそれまでです。
しかしこの考えはつい最近まで、日本人の心のどこかに粛々と宿っていたのではないでしょうか。
子供の頃、むやみに生き物を殺すと化けて出ると驚かされました。
悪いことをすると神様のバチが当たると教えられたのは私だけでしょうか。
勿論、この年になって、100%神仏を信じ、観念論の世界に浸っているわけではありません。
科学的根拠に基づいた歯科治療を目標として、「カリエスのリスク判定」という本も買いました。
倫理的、論理的方法で生命の尊さを説く事は重要です。
しかし、科学的論拠ばかりを並べつらうのは、やや片手落ちな感が拭えません。
われわれ歯科医にはこの概念がやや不足しているようにも感じますが・・・・
往時の日本人の心の中には常に畏れの念がありました。
老・病・死に対する畏れ、天変地異に対する畏れ、闇に対する畏れ、そして八百万の神々に対する敬い慕った畏れ、等々。
太子の心の中にも、物部の誇る十種の神器に対する畏れが根強く残っていたのかもしれません。
われわれ歯科医の畏れとは何でしょう。
医療ミス?、経営不振?、あるいは厚生省の個別指導でしょうか。
畏れの本性を解明する事が、まさしく進歩と言えるのかもしれません。
20世紀の科学は膨大な畏れを解明し、われわれに多くの自由を与えてくれたのは事実です。
しかし、畏れを失した心は暴挙を生みます。
物騒な世の中になりました。
些細な事で人を刺し、理由もなく殺してしまう。
理性に基づいた科学的手法と、豊かな感性のバランスこそが、まさしくの神髄なのかもしれません。
科学は、今後ほっといても進化を続けるでしょう。
それと同時に、心のどこかに畏敬の念を留め置くことが肝要であると思います。
 しかし今の世の中にどんな畏れが残っていると言えるでしょう。
 不治の病も克服し、生命の誕生さえ操作される世の中です。
 この際、道真、将門を上回る大怨霊にでも登場してもらいましょうか。
出でよ妖怪!目覚めよ化け物!
 最近のあまりに理不尽な殺傷事件の多さに憤りを隠せず、この様にとりとめのない文字を並べ連ねてしまいましたが、彼らの復活と、それによる赤き心の再興に淡い期待を寄せたいと思います。