風の伝説〜ターフを駆け抜けた栄光と死〜 広見直樹 著
マガジンハウス
その年、注目された3頭の馬たちがいた。
競馬が好きである。
勝馬投票券に拘りはない。最近ではまったく買っていない。だが競馬を見るのは今でも好きだ。単に走る馬を見るのが好きなのである。
わたくしに競馬を教えてくれたのは、「天馬」トウショウボーイであった。皐月賞に出てきたトウショウボーイを見て、なんて美しい馬だろう、と思ったのが小学生のときである。美しい馬が美しく勝ったそのレースを見たことは幸せなことだった。続くダービーでもトウショウボーイを応援するめりい少年だったのだが、祈りは届かずクライムカイザーがスッと。競馬に絶対はない、ということをこのとき学んだ。
この年に競馬と知り合えたことも幸運としか言いようがない。3強といわれたTTGの年だったからである。トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス。わたくしに競馬を教えてくれた3頭である。しかもテンポイントは競馬の哀しさまで教えてくれた。
多くの馬を見てきた。
プレストウコウ、シャダイカグラ、ラッキールーラ、キタノカチドキ、ホワイトフォンテン、ギャロップダイナ・・・・もちろんミスターシービーやシンボリルドルフも見たクチである。
1頭の馬を追いかけるのは楽しい。
タマモクロスをずっと追いかけた。「タマモ」という冠号にも愛着があったが、トウショウボーイの血を引くことにも惹かれた。大器晩成を絵に描いたような馬だった。
1頭の馬を追いかけ続けることは、ときにひどく哀しい。
マティリアル。
今でもこの馬を思い出すのはつらい・・・・
好きな馬を3頭挙げろ、と言われれば、トウショウボーイ、タマモクロス、そしてマティリアル、と答える。
マティリアル。シンボリルドルフに続く、いや「皇帝」をも超える逸材としてシンボリ牧場が送り出した馬。牡馬には必ず「シンボリ」を冠するこのオーナーが、敢えてそれをしなかったのは世界を狙うという気持ちがあったからだ、といわれる。
どうしてかわからない。この馬を初めて見たとき、「ガラス」という言葉が頭に浮かんだことを憶えている。そのときは「きれいな」というイメージだったのだが。
鞍上はルドルフとも組んだ名手岡部。周囲の期待を背負ったこの馬、期待に応えはしたが圧倒的な強さは見えてこなかった。みんな、あの日までは「?」だった。それがたった1レースで多くの人の心を掴んでしまったのだ。
スプリングステークス。それまで優等生的な競馬をしてきたマティリアルが最後尾につけた。あ、だめだ。誰もがそう思ったのだが。
このレースは今でも見ることができる。「競馬 追い込み馬列伝」のようなビデオには必ず収録されている。ミスターシービーといえば追い込み馬の代表だが、このレースのマティリアルほど凄まじい追い込みをした馬はいない。中山の直線ラスト200メートルから、いやほとんどの馬を抜き去ったのはラスト100を過ぎてから。テレビを見ながら思わず声が出た。鳥肌が立った。このレースを知る人は皆言う。
「間違いなく、他の馬は止まっていた。」
レース後、岡部騎手は「ミスターシービーしちゃった。」とコメントし周囲を笑わせたが、この勝ち方は彼の本意ではなかった、という。
このレースで出走権を得たマティリアルは皐月賞へと進む。圧倒的な人気を背負って。
そして彼は勝てない馬になってしまった。
この年、注目された3頭の馬たちがいた。
マティリアル、ゴールドシチー、サクラスターオー。
この中から三冠馬が誕生するのでは、それがなくともクラシックはこの3頭で独占するだろう。そう思った人が多い。たしかにサクラスターオーは記録に残っている。二冠馬。
「サクラ、サクラ、菊の季節にサクラが満開」
杉本清氏の名ぜりふをご記憶の方もいらっしゃるだろう。
TTGはテンポイントだけが悲劇に見舞われた。しかしあとの2頭は無事引退し、幸せな余生を送った。
マティリアル、ゴールドシチー、サクラスターオーの3頭には、皆、悲劇が待っていた。
「風の伝説」はこの3頭の誕生から最期までのドキュメントである。ドキュメントながら、ややセンチメンタルに書かれてはいる。
高田馬場のある書店でこの本を目にした。時間を忘れて読み耽ってしまった。ごめんなさい、立ち読みです。買わなかったのである。読み耽りはしたのだが、読めば読むほどつらくなった。そのまま本を置いて書店を後にした。
だが。今はつらくても、いつか読みたくなる日がくるに違いない。やはり買っておこう。数日後、その書店を訪れ、この本があった場所に行くと・・・・ない。売れてしまっていた。ここで気づいた。書名を憶えていなかったことに。注文のしようもないではないか。
「幻の1冊」となったこの本を求めて行脚は続いた。都内の書店に行くと競馬関係の本のコーナーを探す。手がかりは白い表紙のハードカバーで、内容はこの3頭について書かれているということだけ。問い合わせすらできない。
渋谷に「プラザエクウス」というJRAの施設がある。さっさとここに行けばよかった。国内の競馬関係書物のほとんどがここには集めてあったのだ。ただし販売はしていない。それでもわたくしはこの本と再会することができた。ようやく注文もでき、入手した。初めてこの本を手にしてから10年近い月日が流れていた。それだけの時間が経てば、もう落ち着いてこの本を読むこともできる。
マティリアルは記録には残らなかったが、記憶には強烈に残った馬である。たった1度の追い込みで。きっとまたあの足を見せてくれるに違いない。勝ちから遠ざかっているが、きっと今度こそはあの足をバクハツさせてくれる。そう信じて「応援」し続けた。もちろん「応援」は馬券を買うことでも示したものだ。
だがバクハツはなかった。それでも、裏切られ続けながらも、信じ続けた。たった1度のあの足を。魅せられたものの弱みである。
迎えた京王杯オータムハンデ。春と秋の違いはあるものの、「あの」京王杯だ。今度こそ。
驚いたことに、マティリアルは先行した。先行というより逃げた。え?え?
そのまま決まった。マティリアルはさも当然のように勝った。華麗な復活!ここからこれまでの鬱憤を晴らす快進撃だ。
・・・・これがマティリアルの最後の勝利で、最後のレースとなった。
ガラスはきれいな反面、脆いものである。ゴール直後、彼の脚の骨は折れていた。慌てて馬を下りて困った顔をしている岡部、1本の足を決して地面につけようとはしないマティリアル。あんな哀しい光景は二度と見たくない。
1989年9月14日。マティリアル永眠。
しかしわたくしの記憶にまだマティリアルはいるし、この本がある限り、マティリアルは語り継がれる。
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