差別用語の基礎知識’96  高木正幸 著  土曜日美術社出版販売

sabetsu.jpg (22191 バイト)罵詈雑言の多くが差別用語である以上、差別用語のなんたるかを理解する必要があるだろう。そこで正確には辞書・辞典とはいえないが、本書を紹介する。

「何が差別語・差別表現か?」と副題がつけられたこの本、部落差別・身体的差別・性差別・人種差別・職業差別などにわけて、これまでに起きた差別用語に関する事件・騒動を細かく解説してある。

決して興味本位ではない。なぜこの言葉を使ってはならないのか?この言葉のどこが悪いのか、理解する必要があるはずだ。いくら個人サイトとはいえ、インターネット上で文章を公開している立場としては差別表現にあたる言葉を使ってはならない。別の「もっとちゃんとした言葉」に言い換えねばならない。それが「書き手」として最低限成すべきことである。

そんなこと思ってもいない。

この本を買ったきっかけは、筒井康隆氏の「断筆宣言」である。この本自体も「断筆宣言」をうけて全面改訂をしている。
非常にデリケートな問題である。わざわざ「差別語」を選んで使うのは間違いである。できるかぎり「読み手」に不快感を与えない文章を書くべきだ。かといってそのために言葉を抹殺することが正しいのかどうか。
表現上、「差別語」を使いたい、というときがある。あなた、どうするか。わたくしは迷わず使う。確信犯である。プロだからアマチュアだから、芸術だから趣味だから、で区別されることではないはずだ。傲慢と言われようが使う。ただし使うからには批判をちゃんと受け止める覚悟はある。相手の主張を聞き、自分の主張を相手に聞いてもらい、きちんと話し合うだけの覚悟をもって使う。

確信犯ならよい。怖いのは、わからずに使ってしまった場合だ。そのために正しい知識を持つ必要がある。この本の出番だ。ちゃんと「差別語索引」もある。

差別をするために「差別語」を使うのは間違いである。部落差別に関する差別用語はわたくしも決して使わない。病気や遺伝で肥満している人に「でぶ」というのはいけないことだ。しかし自堕落な生活ゆえに太った人間に「でぶ」と言ってなにが悪いものか。蔑視のあらわれとしての差別用語と罵倒のあらわれとしての差別用語は根本的に違うと思う。いちばん大事なのは、言葉を使う側の「気持ち」にある。蔑視を隠すための美辞麗句と、親愛の情をこめた差別用語。間違っているのはどちらか。

それをすべて1つにまとめて闇に葬ってしまおう、とする連中がいる。
言わずと知れた「マスコミ」だ。「人権に配慮して」と言ってはいるが、各種団体からの抗議・圧力が怖く、その対処が面倒くさいので事前にフタをしてしまえ、ということだ。
今、もっとも差別用語を知り、かつ蔑視の意味でそれを使っているのはマスコミである。
筒井氏の「断筆宣言」は、てんかん協会に抗議してのものではない。言葉を抹殺されても黙っている作家に対して、それ以上に次々と抹殺しようとしているマスコミへの抗議であった。しかし大部分の作家やマスコミにとっては警鐘にすらならなかったのではないか。

この本の巻末には「マスコミの言い換え」が載っている。わたくしも新聞社に勤める友人から「取り決め集」なる本をもらった。正論ぶったことが書いてあるが、いかにマヌケか。
「浮浪者」はよろしくない。言い換えは「ホームレス」である。
「浮浪児」もよろしくない。言い換えは「ホームレスの子供」である。
「子供のホームレス」が正しくはないか?