20世紀死語辞典  20世紀死語辞典編集委員会 編  太陽出版

最初の言葉は「ああ言えば上祐」である。
お、あったな、そんな言葉。主に1960年代から90年代の言葉が槍玉に挙げられている。
「あきすとぜねこ」、「カウチポテト」、「ゲームブック」、「スキゾ/パラノ」、「タンマ」、「DINKS」、「てんぱいぽんちん体操」、「なめたらいかんぜよ」、「バッハハーイ」、「ぱんつーまる見え」、「冬彦」、「ボイン」、「マイコン」、「メートルを上げる」、「矢ガモ」、「ロケット鉛筆」・・・・さあ、あなた、全部わかるか?

「言葉」は生き物である。多くの言葉が生まれ、多くの言葉が死んでいく。この辞典は「死んでいった」言葉を懐かしむための時点である。
言葉を生み出すのも自由だし、使うのも自由、殺すのもまた自由。「これを表現するためにはこの言葉を使わなければならない」ということはないはずだ。しかしなんでもかんでもというわけにはいかなか。言葉がコミュニケーションの道具である以上、自分と、最低もう1人はその言葉の意味を知っていなければならぬ。知っている人が少なければ「隠語」となり、多ければ一般的な言葉となる。
毎年、多くの言葉が生み出され、そのいくつかは「流行語」としてもてはやされる。流行語のごく一部はいつの間にか一般的な言葉と化す。「ブタもおだてりゃ木に登る」が昔からのことわざだと思っている人も少なくないだろう。しかしこれは特殊な例で、ほとんどの「流行語」はすぐ「死語」というジャンルにシフトするのである。最近はそのサイクルの速いこと速いこと。

それなりの年代の人間が、自分たちの仲間内だけで通用する言葉を遊びで作る。それがなにかのひょうしでマスコミにとりあげられる。流行語の発生である。流行語の誕生はあくまでマスコミに取り上げられたその瞬間である。ところでこの言葉、仲間内だけで通用する言葉なわけで、同じ感性を持つ人間でなければわからない。そういう言葉が溢れ出すと、いつしか「流行語辞典」やら「若者語辞典」という本が出版されるようになる。そんな本、読むヤツいるのか?と思うのだが、出版される以上、需要があるということなのだ。いまだに「新人類」などという言葉を使うような人がこういう本を買って「勉強」し、ワカモノをリカイしようとする。よし、ワカモノのキモチがわかったなどと悦に入り、その辞典に掲載されている言葉を自身満々で使う姿は、見ていて寒気がするほどだ。もちろんそのころには「辞典掲載語」は死語になっている。
この手の辞典は、ああ、あんな時代があった、と懐かしむのが正しい使い方なのである。

ちなみにこの辞典、多分、日本で一番「ん」の項目が充実している辞典なのではないか。3項目もあるぞ。