並木藪蕎麦

ジャンル:そば
場所:東京都台東区雷門
「やぶ」といえば言わずと知れたそば屋の屋号。その中でも三やぶと呼ばれる名店がある。神田、池之端そして並木。
並木藪蕎麦は別名「雷門藪」と言われるように、浅草の雷門のすぐそばにある。浅草寺様の反対側、ビルの谷間にこの1軒だけ時間が止まっているような風情で建っている。
初めて入ったとき。頼んだのはもちろん、もり。東京一濃いといわれるそばつゆはどんなものか、とワクワクして待つ。待っている間、店の中をチラチラと。奥に酒樽が鎮座。歴史を感じる真っ黒な柱。なにやら木箱に入ったものを頼んでいる人がいるが、あれはなんだろう?(後で知ったが、「焼き海苔」であった。2段になった木箱の上の段に海苔、下には炭が入っている。)
しばらくしてもりが来た。そのそばの美しかったこと!裏返しにされたざるに盛られたそばはうっすら緑がかった色で、つやつやと光っていた。作り置きのそばを水洗いしたのではない。茹でたてをすぐ洗いすぐ出してきたそば。間違いなく、そばが笑っていた。猪口につゆを入れるのももどかしい。そのままで食べてみる。甘い。ほのかな甘さがある。そばつゆは確かに濃い。ほんのちょっとだけつければよい。そばにアクセントをつけるぐらいの量でいい。

そばの老舗に言われることとして「量が少ない」ということがある。たしかに並木のもりも量は少ない。だが適量だと思う。ケチってこの量だから、ではない。そばはもともとおやつであり、呑んだ後にちょっと食べるものだったはず。それならばこの量でよい。場末のそば屋がマネをしてまずいそばをちょっとだけ出して高い金をとるのは論外であるが・・・

並木は種物もよい。特に冬限定の「鴨なんばん」がよろしい。鴨肉、鴨つくね、そして伝統どおりねぎ。きざみねぎではない。ちゃんと筒切りのねぎだ。冬場はここの鴨なんばんか、同じ浅草の「尾張家」のあられそばと決めている。
さらによいのが、実は酒である。板わさ、焼き海苔、卵焼きと「あて」もそろっている。酒は菊正宗。正直、この酒をバカにしていたが、ここの樽酒は違う。それになにより酒を頼むとついてくる「そば味噌」が絶品。江戸甘味噌にそばの実のぬきや唐辛子を練りこんだもの。これだけで酒がどんどんすすむ。事前に電話しておけば小売もしてくれる。

十分満足して帰る。お勘定は昔ながらの帳場があり、おばあさんが座っている。まだまだお元気だ。そう言えば初めて行った頃はまだ先代がお元気だった。亡くなったときには皆心配したものだが、味は変わらなかった。そばの端境期の夏にうまいそばを、とタスマニアのそばを輸入しておられる。すべてはおいしいそばのために。

昼時は行列である。ゆっくりお酒でも、という雰囲気ではない。ガイドブックを持ったバカカップルがまだ席が空かないかとジロジロ見ている。5人ぐらいのおばさん連中(これもガイドブック持ち)が2組ぐらい待っている。この人たちは他人を追いたてて自分たちは長居をするという恐怖の軍団だ。馴染みのおじいさんたちも負ける迫力。
酒を呑んで、ちょっとつまんで、もりを1枚仕上げに、なんてことをしたければ3時ごろを狙って行くのが吉。

わたくしの夢は、この店で「抜き(あたま、とも言う。種物のそばからそばを抜いたもの)」を頼み、それで1杯やること。それが似合うような人間になることである。