霊峰大山

『出雲国風土記』に大神岳(おおみをのたけ)と書かれた大山は中国地方第一の高峰であり、

古くから山岳仏教の開かれた霊峰である。

たくさんの伝説のある大山だが、ここでは代表的なものから二つ紹介したいと思う。

まずは韓山との背比べ伝説を・・・。

韓の国の神が自分の国の自慢の山を持って日本へやって来た。
“高さ”を誇るためにである。
しかし、雲間から高い峰をのぞかす大山の雄姿に驚き、山を置き去りにして
慌てて逃げ帰った・・・。
その置き去りにされた山が考霊山(高麗山)となったといわれている。

つづいて、天狗の伝説を。

むかし、伯耆(ほうき)の国の大智大権現をまつる大山は、恐ろしい神が住んでいるという評判で、
夜はもとより、昼でも申の刻を過ぎると、修行僧でも山を下るという深山であった。

その大山のふもとに若者宿があって、村の若者たちが集まっては酒を飲んだりしていた。
その日も、8人ばかりの若者が酒をくみかわしており、その中に村一番の暴れん坊で力自慢の大蔵がいた。
若者たちは、酒を飲むほどに他愛の無い自慢話に打ち興じていたが、大山の烏天狗が悪さをするという話が出たのを
きっかけに、若者の一人が大蔵に言った。

「お前は日頃から、力自慢をしておるが、こんな時雨の宵に、大山の社に1人で行く度胸があるかや。
お社には天狗が出るっちゅう話だけど、それでもええかや」

半ばからかい気味の言い方に、大蔵はむっとして、

「あたぼうよ。雨が降ろうと、矢が降ろうと、何ぼでも上がるわい。
天狗の1匹や2匹は、張り倒して、ひねりつぶしてやるわッ」

「なら、お社に上がった証拠に、賽銭箱を持って戻るかや」

「よし、わかった。それぐらい朝飯前だわい」

そう答えて大蔵は、雨のしょぼ降る夕暮れのふもとを出て、大山に登り始めた。
大山寺まではかなりの道だったが、ここまではふだんから通り馴れた参道である。しかし、夜闇が
この聖域の静寂を不気味なものにしている。

大山寺からお山の奥の宮にたどる道は、雪どけ水の流れが道になった急坂である。
大蔵は山道に四苦八苦しながらも、天狗や妖怪に会わずに宮の社前まで来た。

「おれの度胸に天狗どんも肝を冷やいたもんかのう。ちょっと気抜けがするわい」

とつぶやきながら賽銭箱に手をかけた、まさにその時、一陣の大風が吹いたと思うと、賽銭箱の両横から、
大きな腕がニョキニョキと伸びて、大蔵の体を宙につり上げた。
大蔵はびっくりして気を失ったが、その間、大蔵の体は大山寺の空を越え、日本海の上を北へ向かい、やがて
隠岐島上空に来て、由緒ある神社の境内に落とされた。

そのショックで大蔵は目を覚ました。夜が開け、神社におちたことに気が付いた。

神主とその妻女が話しながら大蔵に近づいてきた。

「天から人が降ってくるなんて、えらいこっちゃ。神様も、あきれた粋狂をなさるもんじゃ・・・。
もしもし、そこのお方、気づかれたかのう?」

そう言いながら神主は大蔵の顔をのぞくようにして見た。大蔵はぶるぶる震えながら、

「おらぁ、伯耆大山のふもとのもんですじゃ。おらぁ、大山に登って、権現さんの賽銭箱に手をかけたばっかりに、
罰があたったんじゃ。賽銭箱に手を出した拍子に、襟首をつかまれて、ここまで飛ばされたんじゃ」

と、わめくように喋った。

「ふーん。伯耆大山から隠岐島までのう」

神主夫婦はあきれて、この天からの授かりものを見つめていた。

「神主さん、人助けと思って頼まれてえな。おらには、伯耆の里に両親もおりますんじゃ。
何とかして、おらの里に帰らせてつかぁさい」

大蔵の話を聞いた神主は、天狗か何か知らないけれど伯耆大山の権現さんの神通力は凄いもんだと思った。
そして、島の役人に話して、他国者である大蔵の出国手続きを済ませ、大蔵を船に乗せ伯耆へ帰らせた。

大蔵はさすがに懲りたかと思えば・・・

また若者宿に皆が集まって賽銭箱の話に及ぶと

「おらぁ、烏天狗の背中に乗って、天狗の鼻を舵取りにして、隠岐島まで飛んで行ったんじゃ。
知らぬ他国の物見遊山が出来て良かったわい。
ま、大山の天狗をあやつるもんは、おらの他にはあるまいのう」

と、大蔵はどこまでも怪気炎をあげていたという。

天狗はこの地には根付いており、郷土玩具に烏天狗の土鈴があることからでもうかがえるだろう。


また、大山町の仁王堂公園に巨大な天狗の像が平成9年5月に出来ている。

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