人柱地蔵
(所在地:倉吉市大原)


↑人柱地蔵の祀られているお堂

倉吉市内から三朝町方面へ天神川の右側をさかのぼって倉吉市大原へ行くと、
川沿いに人柱の伝説も列挙されている大きな石碑が建っており、その近くの道を
集落へ入っていくとコンクリートブロックの堂内に安置される人柱地蔵が祀られている。

この人柱地蔵は、享保6年(1721年)閏7月15日の大洪水で天神川が決壊した時、
堤防の補修工事の犠牲になった人夫の霊を慰めたものである。

東伯郡の山奥から流れ出る天神川は、しばしば氾濫して人家や田畑を押し流す事があった。
この年の大暴風雨は、倉吉や米子など伯耆の各地に大きな災害をもたらし、
大原の里も甚大な被害を受けた。
鳥取藩では年貢の棒引きと交換に堤防の完全な補修を厳命したのだが、
誰いうとなく人柱をたてる事になった。

その時人柱には働きの悪い者を選ぶと決まったが、容易に選定ははかどらない。
中に一人、草と藁で編んだ、かしわ蓑を着けている人夫がいて、
結局はその男が人柱にされてしまった。
人柱地蔵は、その男との約束を守って建てられ、以後この村ではかしわ蓑を
恐れて絶対に着ないようになったという。


↑人柱地蔵

人柱地蔵は高さ80cm余りの大きさで、赤や桃色の衣装で着飾って、線香や供物、
千羽鶴などが置かれている。土地の人に守られて今も信仰が厚いそうだ。

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