弘法ヶ渕
(日野郡江府町)


弘法大師の名号石

米子から岡山へ国道180線で向かっていくと、道沿いに日野川が見えてくる。
日野郡江府町一反の山際にトタン葺きの覆屋があり、その中に祀られている
高さ1.5mの自然石がある。「南無阿弥陀仏」と辛うじて読み取れるほど風化がひどく、
ひび割れもおきているが、その自然石=弘法大師の名号石は、
日野路を行く旅人たちが脚を休め仰ぎ見たことだろう。

そんな弘法大師の名号石であるが、次のような伝説が残っているので紹介しよう。


弘法大師の名号石

昔、一反には「カワコ渕」と呼ばれる渕があり、そのこには河童が棲んでおり、
人馬の足を引っ張って川底へ引きずり込むと言われ、よほどの目的や用事がない限り人々は
あまり近づかなかった。しかし、交通の要所でもあるため、命がけでこの道を通ったという。
そこへ折りよく通りかかったのが山陰を巡錫中の
弘法大師だった。
大師は大岩に六字の名号を秘法で墨書きし、更に法力を使って渕の底にいる河童を呼び出し、
「先程、岩に墨書きした六字をお前の怪力で消し取るがよい。もし消し取ることができなければ
この渕に棲むことは断じて許さぬ。万一この渕に潜んでおろうものなら、たちまち身体は腐って
一歩も動く事が出来なくなるであろう」と大声で叫ばれた。
驚いたのは河童である。渕底で眠っていたところに急に怒鳴られたのだから。
流石に河童も怒り、飛び出そうとしたか、どうしたことか身体に力が入らない。
河童は夜になるのを待って、六字の名号が刻まれた大岩によじ登り、一生懸命に消し取ろうとした。
墨書きされた六字が次第に消えていく。河童は小躍りして喜んだ。
ところがどうしたことか五体はまったく感覚失ったままで、大岩にさばりついているのがやっとであった。
その内夜が明けた。河童は自分がさばりついている大岩の表面を見て驚いた。
「南無阿弥陀仏」の六字を見事に消したはずなのに、逆にその文字は深く線刻されていた。
さすがの悪戯者河童も、この渕には棲めぬと観念して日野川から去っていった。
村人はいつしかこの渕を
弘法ヶ渕と呼んで弘法大師に感謝したと言う。

昔は弘法大師の名号石も、とても有難い碑だったのだろうが、
現在では国道を疾駆する自動車に、いたずらに砂塵をあびるだけになっている。
まったくもって悲しい限りであるが、碑が残っているだけでも良しとせねばなるまい。

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