湖山池


湖山池は周囲16キロで池の中に5ツの島があり、潟湖(せきこ)ともいわれる。
湖山池は、湖山長者が羽振りをきかせていた頃水田であったという伝説がある。以下がその伝説である。

高草郡湖山(現在の鳥取市湖山町)の里に、赤坂の長者が住んでいた。
この長者は齢50を過ぎても子宝に恵まれなかったので、大日如来さまに祈願した。
そうして長者の妻は懐妊し、玉のような女児を産んだ。大日如来さまに授かったというので、玉姫と名付けた。

月日は過ぎ、玉姫が8ツにもなった頃。
その年の春のこと、西日本に名高い山椒太夫が、塩と人買いの交渉に三男・三郎を湖山の里によこした。
湖山長者は塩の件は承諾したが、人買いの件では断った。大日如来さまに玉姫を授かったばかりであったし、
玉姫と同じ女子を人買いの山椒太夫に売る気になれなかったのである。
三郎は塩の買い入れを約束して船で帰っていった。

そのうちに季節はかわり、田植えを始めねばならなくなった。
毎年の慣しで、国中から早乙女をかり集め一千町歩もの広大な水田を1日で植え終わらねばならなかった。
田植えは順調に進んでいたのだが、日輪が西の山に沈むにはまだ間があるはずなのに、どういうわけか
その日輪がゆっくりと黒く欠け始め、あたり一面が暗くなっていった。

「どうしたことじゃ。このままでは田植えが済まんぞ」
長者は水田を見つめながら松明を燃やしてでも田植えをさせようかなどと思案していると、ふと、
とんでもない事を考えついたのだった。
「そうじゃ。おてんとうさんを呼び戻そう。さ、早く家宝の金の扇を持って参れ」
すると妻が抑えるように長者へ言った。
「旦那さま。金の扇は先祖代々の我家の宝。めったなことに使ってはなりませぬ。おてんとうさまを招き戻すなどという
大それた事をなさっては、摩尼寺をお建てになったり、橋をかけて衆生の難儀をお助けになった旦那さまの、
折角の行いが水の泡になってしまいます。・・・罰があたってしまいます」

妻が止めるのも聞かず、湖山長者は高殿の屋根に上り、大きな身振りで、やや西に傾き暗くなった太陽を金の扇で招いた。
するとどうだろう。日輪を暗くしていた影が左から右へと逃げていき、水田が少しずつ明るくなった。
広い水田で喚声があがり、残りの田植えが進められた。
「そーれ見ろ。湖山長者の力は、まだまだすたれぬぞ」
長者は胸を張り力説した。
そうして、一千町歩の水田の田植えは無事に一日で終了した。

その晩の事である。月が隠れ、塩浜の空が黒雲におおわれたと思うと、西から吹いてきた烈風が、伏野の砂浜を
吸い上げるようにして螺旋状に舞い上がると、黒い竜巻となって長者館を撫でるように過ぎ去った。
その時玉姫は竜巻にさらわれ、空高く辰巳(東南)の方へ連れ去られたのである。
それから間もなく、すさまじい豪雨と雷鳴が、湖山の村里を包みこんだ。

暴風雨の一夜が明けて太陽が昇ったころ、村人が外へ出てみると、湖山長者の水田は、一本の早苗も見えぬ
池になっていたという。人々は長者がおてんとうさんを呼び招いた罪で大切な水田が池に変えられたのだと、
噂するようになったとのことである。

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