竜宮の釣鐘


竜宮の釣鐘がかかる竜宮門

鳥取駅前からまっすぐ山手にのびる道を行くと県庁に突き当たるが、その途中、
袋川にかかる若桜橋を越えて右に200m程歩くと、寺院の建ち並ぶ一郭がある。
この寺町のなかほどにある、浄土宗本願寺には、次のような縁起が伝えられている。

天正年間(1573〜92年)のこと、和田範元(わだのりもと)という浪人が、塩俵を馬に乗せて
伏野の浜にさしかかると、突然海中から小さな鐘を小脇にかかえた女が現れ、この鐘を
鳥取城下の本願寺まで届けて欲しいと声をかけた。範元は馬の荷も重いし、自身も疲れているからと
断ったが、女は一向に引き下がろうとしない。そして、女は「自分はこの下の竜宮に住むものだが、
本願寺の阿弥陀が海中におられたとき魚や貝にいたるまで慈悲をお施しになられたので、
いまお礼にこの鐘を差し上げたい」と言う。
これを聞いた範元は、心に深く感じるものがあって引き受けたが、鐘は手にすると思いのほか軽い。
ところが、驚いたことに鐘を本願寺に届け、床に置いたとたん、その小さな鐘はたちまち
重さ130貫の大鐘に打ち変わった。以来、鐘は本願寺の寺宝とされ、
竜宮の釣鐘と呼ばれている。

実際の鐘はそんな大鐘でなく、簡素なつくりの古鐘である。
また、鐘を撞くと大水が出るという言い伝えもあり「鳴らずの鐘」とも言われているが
戦時中「げんのう」で激しく叩いたためにひび割れ、現在は撞く事はできないそうである。

寺の住職に言わせると、日本で一番古いと言われている鐘よりも古い鐘だろうという。
細工もほとんどない簡素な鐘で、素人目に見ても歴史を感じさせる。
ただ、鐘に関する記述が伝説レベルのものしか残っていないので、
鐘の歴史を立証できないのだそうだ。

住職に「鐘が見たい」とお願いすると、ハシゴを持ってきてくださったので、登らせていただき、
鐘を拝見させていただいた。鐘付き堂の中が狭いため鐘の全体像を撮る事ができなかった。
残念・・・・・。

本願寺の阿弥陀「汗かき阿弥陀」とも呼ばれ、次のような縁起が伝えられる。

秀吉の鳥取城攻略で新しい城主となった宮部善祥房(みやべぜんしょうぼう)は、もと但馬の国豊岡の
城主だった。この時、かねてより帰依していた久美浜本願寺の幻身を招いて来迎時を再興したが、いままた
鳥取城主となり、再び幻身を招き、久美浜本願寺の
内持仏を移し、鳥取本願寺を興そうと企てたが、
は舟で運ばれる途中で波底に沈んでしまった。
その少し後、丹後宮津の海底に夜目に輝くものがあり、大騒ぎになっていた。
引き上げてみると、それは一体の
阿弥陀仏だったので宮津の城主は厚くこれを供養した。
噂は善祥房らの耳にも届き、早速返還が申し入れられた。宮津では惜しいと思ったが、
破損してたところを丁寧に補修までして返した。
その後、本願寺に安置された
は、毎年梅雨時になると全身に塩のような汗をかいたという。

現在はもう汗はかかないが、これは海底に沈んでいたのが原因だろうと言われている。

「汗かき阿弥陀」を撮影させていただけないか、と住職にお願いしたが、「本尊ですけぇねぇ」
と丁寧に断られました。丁度何か都合の悪い所だったようです。・・・残念。

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などと、上記のようにページにアップしていたら、住職の目にこのページがとまったらしく、
後日、住職よりご丁寧なメールをいただきました!
メールには「いつでも、来て下さい」のような内容が!

そこで!「鳥取オフ会」などと称して妖怪馬鹿5名で「釣り鐘」「阿弥陀」様を拝ませていただきました。

 

スチールをご覧になれば、お分かりいただけるだろうが、実に綺麗な顔立ちの阿弥陀様である。

また、本願寺には一生に一度願を聞いてくれるという「義賊 桜田作一郎 の墓」もあり、
それも合わせてみせていただき、お話も聞かせていただいた。


義賊 桜田作一郎 の墓

ご住職にはもちろんのこと、一緒に伝説めぐりに付き合ってくださった方々に感謝m(_ _)m

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