退休寺
(西伯郡中山町退休寺)
↑退休寺山門
西伯郡中山町退休寺の聚落の南のはずれに金竜山退休寺がある。
退休寺は、南北朝の中頃、玄翁玄妙(げんおうげんみょう)によって開かれた古刹で、
菊の紋も鮮やかな山門は承応2年(1653年)再建の勅使門といい、
また後小松天皇(ごこまつてんのう)の勅額を掲げている。
↑退休寺
玄翁は、地中の母の胎内から生まれたと言う通幻と同じ能登総持寺の峨山紹碩(がざんじょうせき)に
学んだ高僧だが、退休寺を本拠に国人領主のづ氏の帰依を受けて曹洞(そうとう)禅を広めた。
寺伝に次のような退休寺の縁起を伝える話がある。
玄翁がこの郷を通った時、城主のづ敦忠は、病死した妻が怪火の中で悪鬼に
苦しめられている夢を見て、通りがかりの僧を頼んでは千僧供養を続けていた。
玄翁は638人目の供養僧だったが、墓前に塔婆を建て呪文を誦えると、
怪火は鎮まって奥方の亡霊は成仏した。
すると今度は中山から赤碕町の沖合いにかけて火の玉が飛ぶと言う。
玄翁が占ってみると、それは南の山奥の池から飛び立っていた。
尋ねると、はたしてそこに池があった。玄翁は傍らの石に上がって座禅を組んだが、
池の中から大蛇が現れ、玄翁の読経で今度は美女に変じた。
そして玄翁に向かって仏の功徳を得た礼だと述べて
一体の観音像を手渡し、金竜となって天に昇ったという。
↑座禅石
退休寺の筋塀の内に本堂と鐘楼、地蔵堂が建ち、その前庭に高さ50cm程度の座禅石、
現在は干上がってしまっている竜の棲んだ池がある。
座禅石には碑文が刻んであるが風化して読めくなっている。
↑竜の住んだ池
聚落に隔てられて奥まって建つ退休寺は江戸時代まで伯耆国でも有数の大寺として
知られていたが、過去n2回の大火事ですっかり勢いが衰え、
かつての寺格が高さを偲ばせる勅使門が、ひときわ孤独な影を濃くしている。