鳥取城址
(鳥取市久松山)


↑鳥取城内濠

かつて鳥取城の天守閣がそびえていたのが、鳥取駅真向かいに見える久松山(標高264m)のふもと。
最初は、天文14年(1545)に山名誠通が築いた山城であったが、江戸時代以降、明治12年(1879)に
取り壊されるまで池田藩の中心として栄えた。
現在は石垣や渡櫨門跡、内堀などが鳥取城址として残っている。
頂上まで登れば、市外は勿論、鳥取砂丘や湖山池まで見渡すことができる。

さて、そんな観光地である、鳥取城址にいくつかの伝説が残っているので、2ツ程紹介しよう。

まず、1つ目に「慶蔵坊狐」の伝説を。

 
↑中坂神社

昔、鳥取城に「慶蔵坊」という、たいそう賢い狐がいました。
すばらしく足が速く、鳥取から江戸までの百八十里の道のりを、わずか3日間で往復していました。
殿様は、
「慶蔵坊」にいつも密書を持たせて、あちこちへ使いに行かせていました。

ある日のことでした。「慶蔵坊」は、殿様の使いで江戸へ行くことになりました。
見るからに立派な若侍に化けた
「慶蔵坊」は、懐に密書を入れて城を後にしました。

「慶蔵坊」が鳥取を発って播州の三日月という所に差し掛かった時でした。
畑のすぐそばで、老百姓がせっせと仕事をしていました。
「お爺さん、せいが出るのう。一体何をしているんじゃ」と、若侍は声をかけました。
「これはこれはお侍様で御座いますか。なあに、実はこの辺りに住んでいる悪戯狐が近頃畑荒らしをして困るので
焼き鼠を罠にしかけている所で御座いますよ」と言いました。辺り一面には焼き鼠の匂いがプンプン
漂っています。侍とはいえ、もともと狐です。
焼き鼠と聞いただけで、欲しくて欲しくてたまりませんでしたが、大切な殿様の用事を思い出し、
じっと我慢してそのまま江戸への道を急ぎました。
けれども畑の焼き鼠の匂いが頭から離れませんでした。さて、その帰り道のことです。

やっぱり三日月の所を通りかかると、焼き鼠のナントモ言えない匂いがプンプンしてきました。
見るとさっき焼いたと思われるような美味しそうな鼠が、罠にかけてありました。
もう我慢の出来なくなった狐は、それに喰い付くとどうなるかを知ってはいましたが、
思い切って罠の鼠にかぶりついてしまいました。
その瞬間パチンという大きな音と共にバネがはじけ、狐の体は頑丈な罠に挟まれてしまいました。
狐は鼠を咥えたまま死んでしまいました。それを聞いた殿様は、たいそう哀れがり、二の丸に
狐の亡骸を懇ろに葬ってやりました。それが
「慶蔵坊さん」とみんなに
親しまれている中坂神社です。

さて、2つ目「おさごの手水鉢」

 
↑おさごの手水鉢

鳥取城二の丸の三階やぐらの建っている石垣の真中辺りに、丸い穴の開いた奇妙な石がぽつんと
一つだけ嵌め込んであります。それを
「おさごの手水鉢」と言い、次のような話が残っています。

今からおよそ400年も前の話です。鳥取城を立派な山城として整えたのは、慶長5年(1600)、
関が原の戦いの軍功によって因幡の国六万石の城主としてやってきた池田備中守長吉という人です。
当時は城としての構えは大体出来ていましたが、その規模は小さく、多くの武士を住まわせるには
大変狭い城でした。そこで彼は、普請奉行に言いつけて鳥取城の拡張工事をすることになりました。
この大掛かりな工事は慶長7年から9年まで3年間続けられました。
仕事は三交代で行い、朝早くから夜遅くまで、数千人の人夫が汗水たらして働きました。

最初の頃は、人夫も張り切って働いていましたが、工事が長引くにつれて、次第に動作も鈍り、
要領良く働く人夫も少なくありませんでした。
「こんな調子では工事は長引くばかりだ。なんとかしなくては」と、普請の役人は心を痛めました。
役人達は町や村のお寺から大小様々の釣鐘を集め、それをげんのうでガンガン打ち鳴らしては
人夫達を励ましていましたが、釣鐘は次々と壊れてしまいました。

そんな時でした。池田長吉の息子の内室に着いて来たおさごという女の人は、なんとか自分の力で
人夫達を奮い立たせようと決心しました。彼女は、髪をおおふきわけに結い、うっすらと化粧し、
派手な小袖に、綸子の袴を履き、脇差をさして工事現場に出て行きました。

「さぁみなさん、町を守るための大事な城作りです。良い城が出来るかどうかは
みなさんの心意気にかかっているのです。頑張ってください」

彼女は毎日毎日、工事現場を廻り美しい声を張り上げて人夫達一人一人を励まして廻りました。
時には石を運び、鋸引きもしました。

人夫達はおさごを見ると疲れを忘れ、城作りに励むという具合に、仕事ぶりがにわかに変わってきました。

「女ながらにあっぱれな振る舞いじゃ」

殿様は、おさごの城を愛する熱意に感謝し、いつまでもそれを忘れないために
おさごの使っていた手水鉢を石垣の中へ嵌め込んでやりました。
それから長い年月が経ちました。
おさごの使っていた手水鉢は今もなお、
黙って鳥取市の町並みを見下ろしています。

鳥取城下には「青木局の怨霊」「山伏の石責め」「赤松広英の亡霊」などの伝説も
伝わっているが、それらの伝説紹介はまたの機会に・・・。

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