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この両建築作品は、共に高松伸氏によって、ほぼ同時期に建築されたものである。 みなとさかい交流館が、高松氏を高松氏たらしめたとも言える「ARK(仁科歯科医院)」、「キリンプラザ大阪」、「織陣」、「SYNTAX」等をはじめとした、これまでの高松氏独特のデザイン・ディテールにより表現されているのに対し、この植田正冶写真美術館は、そういった作品とは全く異なる様相をもって設計されていることが興味深い。 そして、みなとさかいにみられる表現は、以後の作品にはほとんど見られなくなっている。 この表現の変遷については、黒川紀章氏のそれとシンクロする部分があるようにも感じられる。 黒川氏の作品においても、メタボリズム運動の最盛期においては、「中銀カプセルタワービル」(1972年)をはじめとした、メタボリストとして前衛的な建築を世に出していたが、1970年代後半からその作風を一変させている。 それは、(実際にはさらに複雑な背景があるにしても)まるで時期的にメタボリズム運動の収束に呼応しているようにも思えるが、高松氏にとってのそれは、ポストモダン(あるいは、バブル?)の終焉に対する反応という見方が出来得るのではないか…というところに。 | |||
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この2つの建築にはまるで同一の建築家によるものであることを否定しているかのようであるが、並立する4本の垂直な立体、という構図が、奇しくも類似性を暗示している。 |
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