2002年度あおぞら部会公式行事、その先鋒として、私達B班はキャンプを企画することにしました。 部会行事としての連日開催は前例こそありませんでしたが、ノリも手伝って(?)実にスンナリと決まってしまいました。 …ですが、ここで「あおぞら部会はまた(?)遊びか?」と按ずる事勿れ。とても濃密な道中となりました。
それでは、私達の「あおぞら部会的キャンプ」に、しばしお付き合いください。
お楽しみの 「おまけ漫画」 付きです。 探してみてね。
|
其の一 ・ 智頭宿編 |
私達は8月10日のこの日を、ちょっと複雑な面持ちで迎えました。 キャンプと言えば、やはり気になるのは天気です。 それまでの猛暑を覆し、予報も微妙な空模様。気がつけば「自称・晴れ男」と「自称・雨男」も何やら臨戦体制(?)…と言った雰囲気のなか、私達は鳥取県八頭郡智頭町へと出発しました。
さて、まず私達が訪れたのは、国登録有形文化財「塩屋出店」です。この中にある食事処「もみの木亭」にて昼食を摂りながら、この明治後期の和風建築にしばし佇みました。
見どころは弧を描く船底天井がちょっと小粋な二階の座敷。二階の立ちが低いことからきているのでしょうか。 この立ちの低さが町屋のプロポーションに利いている…などと勝手に感心した後に向かったのが、「諏訪酒造」。
今回、智頭へ向かうにあたり、是非行ってみたかった処の一つが、伝統あるこの酒蔵でした。 今これをご覧頂いている方で日本酒好きの方がおられたら、きっとピンときていることと思います。 あるいは「鵬」の銘を聞けば…。 この鵬は、日本酒の最高峰である吟醸酒のなかでも代表格に称される程の吟醸酒と言っても過言ではなく、日本酒造りを描いた漫画(ドラマにもなりましたよね!?)「夏子の酒」にも登場し、こちらの酒造での麹造りが漫画のモデルにもなっている(と伺いました)、さらに、先述の鵬を創った前杜氏・鳴川喜三氏は「現代の名工」も受賞されている(ちなみに、イチロー選手のグラブもつくられている坪田信義氏も受賞されています…余談ですね(笑)。)と、枚挙に暇がありません。
まず、東田研究室長より概要の説明を頂き、岡賢太郎杜氏より直々に酒造りについての解説や、苦労話なども語って頂きました。 今が仕込みの時季ではないことから、酒造りの工程的なところの実感が今一つ得られなかったことが少し残念でしたが、岡杜氏の話を伺えたことは、個人的にはそれを補って余りあるように思えました。 諏訪酒造の杜氏を務めること、鵬を継承すること、日本酒文化を守り、リードしていくこと、そしてそれをさらりと語る人柄。その奥にある自信と、立ち止まることなく走り続ける情熱と、真っ直ぐな職人気質を、皆感じたことでしょう。
ところで、この諏訪酒造では、社内の自家井戸から千代川の伏流水を汲み上げ、そのまま一切の加工をせず使用しているとのことです(このこと自体が、現在の酒蔵では非常に稀な環境とのこと)。 酒造りにとって米と水が命であるとは素人の私達でも十分推し量れそうですが、その命の水を育む千代川を守っているのが智頭の杉山であり、明日私達が訪れるのはその杉山だったのです…。 すべては、繋がっています。 恐らくは、「建築士会西部支部研究部会が智頭に行く」となれば、普通はこちらの方がメインになる「はず」でありましょう。 さらに言えば、もし行かなかったとしたら「あおぞら部会が智頭に行って「そこ」に行かないとは!」と怒られちゃいそうな…諏訪酒造の次に向かったのは、そんな処、国登録有形文化財「石谷家住宅」です。 諏訪酒造からはほんの歩いてすぐの処なのですが、ここで岡杜氏さん、「道案内してあげましょう。振興財団の人にも解説してもらうように頼んであげる。」…いやあ、岡杜氏さん、ホント、いい人!!(まあ、仕込みの時季ではないのでお暇だったのかしら? …いえいえ、これは智頭の人情です。)つくづく、旅っていいもんです。
岡杜氏の案内のもと石谷家の門をくぐり、この智頭宿を代表する旧家を、因幡街道ふるさと振興財団の前田さんの説明とともに廻りました。 前田さんも、私達が「建築士会西部支部の若手部員」と聞いてでしょうか、(多分普段よりも?)丁寧に解説して下さいました(そして多分、普段よりも「分かりやすく」(笑)。)。 さてこの石谷家住宅、ご存知の方も多いとは思われますが、建築史家・建築関係者にかなり注目されているようです。 一つは、この住宅が江戸〜明治〜大正というそれぞれの時代の、通時的な木造建築技術・様式が示された大規模木造家屋であるということから来ているのでしょう。 そしてもう一つは、ここで贅の限りを尽くし、表現されている「木」と「造作」にあるのでしょう。 春日杉・屋久杉の笹杢・北山杉の天然しぼり・檜の四方柾・一畳大もの一枚板の建具、見事な欄間の透かし彫…と、銘木・造作の大名行列(!?)。 ただ、これだけの造作も、前田さんがおられなかったら、多分素通りだったのではないでしょうか。 諏訪酒造しかり、石谷家しかり、いろいろな意味で、私達は多く の人々の支えによって貴重な経験を重ねることが出来ていることを痛感せずにはいられません。 そしてもう一つ、パンフレットに「題字:内田祥哉」とあるのにはまたビックリ。この石谷家住宅、ホントに注目されているのですね。私達も「見る目」つけていかなければ。身が引き締まります。
← こんな、公衆電話がありました。
|
其の二 ・ 三滝渓キャンプ編
|
そういえば、空はどうなっているのでしょう。 「晴れ男」VS「雨男」は?実は、諏訪酒造に着いたあたりから、ちょっと怪しくなってきていて、諏訪酒造ではパラパラと。 そして、石谷家にいるときに、とうとうにわか雨がきてしまいました。 が、見学を終えたときにはとりあえずあがっていました。 これは、私達(特に我が班班長…?)の運の良さから来るのでしょうか? …というところで一同は智頭宿を後にし、いよいよ河原町は三滝渓林間キャンプ場へと向かいました。
ここまで来てやっとキャンプの報告です(笑)。
自称・アウトドアの達人曰く「キャンプたるもの、昼過ぎに設営したらしばらくはまったりとするもの。」らしいですが、「あおぞら部会的キャンプ」は、立ち止まることを知りません …といいますか、キャンプをろくすっぽ知らない奴等の集る班員が、なまじイキオイで「キャンプしよう!!」などと言ったものだから、さあ大変!!我等アテにならない班員を尻目に、皆でテキパキと設営が進みました。 道すがら調達した東伯町の東伯牛も、お飲み物も、準備万端。 ここまできたら、あとはいつもの「あおぞら部会」のノリです。 かくして、長くて短い三滝渓の夜は深まってきました。 このひとときがまた楽しい …さて、その楽しさいかほどだったのか? それは「こちら」の方、ご覧あれ。
 
ちなみにこの三滝渓、滝と紅葉の名所とのことで、紅葉はともかく、滝は「きっと」とても素晴らしい景勝地です。 この「きっと」というトコロが、ミソなのですが(笑)。
翌8月11日。 眠たい目を擦りながら起床、昨日の深夜降っていた雨(とうとう来てしまいました。さすが、雨男(笑)。)も上がって気持ちのいい朝でした(ここでようやく晴れ男復活。彼は(も)、はじけすぎて死んでました(笑)。)。 水車の前で集合写真をパシャッと撮り(みんなの顔すでにぐったり気味。昨日撮っとけば良かったかなーと思いながら)、いよいよ出発です。
|
其の三 ・ 智頭林業編 |
智頭へのキャンプを決めたもうひとつの目的。 智頭といえば「杉」。2日目は、その杉にまつわる旅でした。
AM11:00、何とか予定通り、智頭杉を使って内装材やブラインドなどを加工・販売されておられる。「潟Tカモト」さんの所へ到着。 早速モデルルーム兼お家を見学させてもらいました。 外観からしてオシャレな感じなのですが、玄関入って早速、皆「すっごーい」の連発です。 とても大きな断面の杉の木を表しでふんだんに使った躯体・内外装、薪ストーブのある吹き抜けのリビング、食器棚まで木で手造りのキッチン、その他全てが素敵でした。 床には足に気持ちいいヒノキの板、壁は杉の皮が練り込まれた漆喰が使ってあってとにかく気持ちいい! 見えない所では基礎のパッキンに栗の木が使ってあったり、床下の断熱には木の切れ端を重ねるなど、さすが木材加工をされておられる、サカモトさんならではです。 とても勉強になりました。 更には、汗だくになりながら小屋裏まで見せて頂いたりして、小屋裏までも沢山の工夫がしてあり参考になることばかりです。
一頻りお家を見せてもらった後は、お弁当・タイム!智頭町名物!柿の葉寿司の入った高級なお弁当でした。 とってもおいしかったです。
お腹いっぱいになったら、あんまりの気持ちよさにお昼寝する人続出! 木のぬくもりに包まれた気持ちいいお家でした。
←おやすみなさい
しっかり休ませてもらった(といいますか、休みすぎ??)後は、いよいよ山に出発です。
代々林業をされておられる、赤堀さんに出会いました。 珍しい2階建ての茅葺屋根のお家に住んでおられ、すぐ裏には大きな山がありその全てが赤堀さんの山でした。
到着するなり、早速山に入りました。 しばらく歩くと今までの世界とは別世界 例えて言うならアニメの“もののけ姫の世界”と言う感じで、圧倒されっぱなし。 そして、林業家としての赤堀さんの言葉の一つ一つも、とても重みのあるものでした。 木を育て、供給する立場としての木への想い、メッセージが伝わってきます。 にもかかわらず的を得た質問など全然できずに終わってしまいました。 もっと勉強して行けば良かったと反省しきりです。
現在植わっている杉や桧の木は 明治頃に植えたものだそうです長い年月を掛けて手間暇掛けて大きくなった木を見ていると大きな時の流れを感じます。 しかし、現在は枝打ちをする職人の方がいなくなり、これからは5mまでは枝打ちはするけどそれ以上になると出来ないとの事でした。 節の無い綺麗な木が貴重になってしまうのはとても残念です。 木をもっと大切にしよう・使えるものは無駄にしてはいけないと強く思いました。
山から下りたら、赤堀さんのお家で一休み。楽しいおしゃべりをしたり、最近改修したトイレまで見せてもらいました。
|
終章 ・ 皆さんおつかれでした。 |
いよいよ、「あおぞら部会的キャンプ」も、終わりの時を迎えました。 赤堀さん、そしてサカモトさんとの別れを惜しみ、伯耆の国への帰路につきました。 実は、その前にもうひとつだけ、「行ってみようか。」としていた処があったのですが、もはや「真っ白に燃え尽きた」状態の私達(とくにK様(笑))には、とてもそんな元気はなかったようです。
 
今回、私達は赴いたそれぞれの処で素晴らしい職人の方々に出会い、それはとても刺激的で、そして多いに啓発され、とてもいい経験にもなったと思っています。 そして、その方々の温かい人情に触れ、この旅はおかげでとても心地よいものとなりました。 このキャンプを特別なモノにして下さった智頭の皆様には、本当に感謝しております。
そして、このキャンプには「ほんのちょっとだけ若い頃の気分。 今ではちょっと忘れてしまいそうな気分。」 というのがあったような気がしておりますが、こういうの、なかなかいいもんではないですか?
といったところで、この(珍)道中記もこれにて。皆さんおつかれでした。
ここまでお付き合い下さった皆様も、おつかれでした(笑)。
|
戻る |