★感じられた志の高さ
 人は、自分にとって心地よいこと、安心なこと、そればかりに目を向けたがるけれども、正義がありうまくいっていると思いこんでいる世界からこぼれてしまっている世界もあるということをあばいて見せたかったのか、ジョニー・ディップの志の高さ、若さを感じた映画でした。
 しかし、死や暴力、セックスに対する扱いは「今どき」だのと思いました。
こういう部分のある映画は苦手。
北野武もタランティーノも敬遠しています。


★うれしいフィルム
 重たいテーマだが、ジョニーディップが第1作にこれを選んだのは少しわかる気がした。
 「アリゾナドリーム」や「デッドマン」を想い起こさせる所もあり、ファンにとってはうれしいフィルム。是非「Fear and Loathig LasVegas」も上映してください。


★守りたいもののためにできること
 ジョニーディップが作った作品があるとは聞いていたのですが、こんなに重たい題材とは知りませんでした。
私には、子供もいないし、ましてや結婚もしてないのですが、守りたいもののためにここまでできるのだろうかと自問しました。
 ここまでして守りたいものが私も欲しいです。


★明るくなれる映画を
 景色や音楽は良かったのですが、2本続けて暗い映画が続き、心底疲れました。
 やはり、もう少し正義感あふれるものとか、最後が明るくなれるようなものを望みます。


★紛れもないブレイブ
 インディアンについて、最近考えたこともなかった。
白人社会の中で、いや、日本人も白人化している現代の社会の中で、黒人問題はその対極として社会の中で確固たる存在感を持っている。
 しかし、マイノリティアメリカの中でもインディアンについては全くといっていいほど私の中で存在感がなかった。
しかしスクリーンの中のインディアン達は確かに生きていた。
 決して力強くないが、ケナゲという言葉はふさわしくない… そう美しいのだ
 彼らは今のアメリカ社会の中で美しく生きてきた。それも、本来の生活である自然との共存という姿ではなく、アメリカの現代社会の片隅で、物質社会の片隅で美しく生きてきたのだ。
あのポンコツをよせ集めた稚拙な遊園地の美しさはどうだ。
そして、その遊園地で繰り広げられるあのけだるい楽しさはどうだ。どれもが美しく存在していたではないか。
 それに対して白人社会の醜さと冷たさは際だっていた。それをマーロン・ブランドが実にうまく表していた。
かつての粋なセンス、またGodFather で魅せた威厳などをまったく捨てたあの醜さ。
 そして、GodFatherofPUNKといわれたパンクロックの帝王イギーポップの奇妙な猥雑さ。
またこの二人とは対照的に冷徹さを表す男と最初から最後まで象徴的にかつ徹底的に冷たかった巨大エレベーターの閉まる音。
あの垢まみれで生命力あふれる美しさを持つインディアンの生活とは対照的な白人社会を表すには十分なエッセンスだった。
 インディアンが登場する映画では僕にとって「ダンスウィズウルブズ」と「リバーランズスルーイット」そして「デッドマン」が印象的だろうか。
その中では、自然と共存した力強さや世俗を離れた独特の存在感として登場したように感じた。
 しかし、この映画のインディアンはアメリカ社会の片隅で美しく生きていたのだ。あの垢にまみれた、きわどい美しさのためには、己の体を武器にしていいのだ。
同じ被差別の立場である黒人による、犯罪への逃避や宗教での救済を彼は選ばなかった。
彼にはやはり自分の体を捧げるしかなかったのである。
 命を売るなんて…という批判があるだろうが、僕は断固支持する。
彼は体を捧げたが、決して魂は売ってはいない。
 やるじゃないか、ジョニー!あれは紛れもなく「ブレイブ(勇気)」だったよ。





      
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