★日本海新聞2008年3月掲載 「長江哀歌」紹介文

急成長する中国の光と影

  長江は中国を東西に横断する全長6300キロに及ぶアジア最長の大河であり、その下流域が揚子江である。
  長江の四川省から湖北省に至る240キロの区間には、古くから山水画に描かれた大峡谷が連なり、
その絶景は李白、杜甫、白居易らの詩にも詠まれ、また「三国志」の舞台にもなった。
  しかし長江は時として大洪水を引き起こし、流域に生活する多くの人々の生命や財産を奪った。
  この地にダム建設を最初に提唱したのは孫文である。
その後幾多の紆余曲折を経て、1949年の中華人民共和国成立とともに「三峡ダム構想」は毛沢東に引き継がれた。
それから1994年の着工式に至るまで実に45年の歳月を要した。
  この映画はダムの底に沈む都市と破壊される故郷、引き裂かれる家族とそこに暮らす人々の哀歓を切々と訴えると同時に、
変容する社会とたくましく生き抜いていく人間の生命力を鮮明に描いている。
  この作品は2006年ベネチア映画祭ですべての審査員を魅了しグランプリを獲得した。
監督は36才という若い世代のジャ・ジャンクー。6作目の作品である。
  欧米先進国がかげりを見せ始めた今、台頭してきたアジアの巨人中国。
急速な経済発展の陰には環境問題や公害など課題が山積しているが、13億人のエネルギーと3千年の叡智で必ず克服されることを信じたい。

  

(米子シネマクラブ会員 広田静子) 



感 想 集

★素晴らしい映画だ。以下、何故素晴らしいのかを述べていく。
  映画は大雑把に二部構成になっており、前半の妻を捜す男。後半の夫を捜す女。しかし、この二つはまったく別の物語なのだ。これには驚いた。オムニバスやグランドホテル形式など、この手の物語形式は多種あるが、前半と後半でお互い探し求めるものが一緒であれば、当然、クライマックスは感動の出会いのシーンで大団円、カタルシスというのがギリシャ悲劇以来の物語の文脈なのだが、なんとこの映画はその二千五百年の歴史を二時間であっさりと裏切ってみせる。ハリウッド映画に飼い慣らされている私たちにとって、この潔さは頭を棍棒で殴られたような衝撃があった。
  映画はほぼワンカットワンシーン(シーンをカメラの映像をカットせずに撮影すること)で撮影されている。ワンカットワンシーンで代表される監督に日本では溝口健二と相米慎二がいる。海外ではテオ・アンゲロプロス。
溝口はカットすると役者の緊張感が削がれるから、相米はめんどくさいからと言っていたような記憶がある。ワンカットワンシーンは、カメラワークを計算し、役者には失敗は許されないという緊張感を強いる。その結果、映像にリアリティーが出、ドキュメンタリーっぽくなる。私は映画を観ていて、あるテーマの下に作られた、古いアルバムをめくっているような妙な感覚にとらわれた。ある種の異化効果で、感情移入を拒むようなところがあるが、それでいて何故か懐かしいのだ。この映画のワンカットワンシーンには、そんなようなものを感じた。
  この映画は、中国の一大国家事業、長江・山峡ダム建設を背景に、翻弄される人々を描いている。開発は確かに大切なことだが、同時に失うものも多く内包している。古いオブジェのような建物が、ロケットになる。疲れた京劇の役者たち、明かりが灯る橋、消毒をする人たち、ラストの綱渡り。これらは開放をアイロニカルに描いたシュールなメタファーだ。このような洒脱な遊び心がこの映画を一段上のステージに押し上げている。
遺跡を発掘しているシーンがあったが、まさに壊されていく街そのものが遺跡のように見えた。そして何千年後、この街はほんとうの遺跡になるだろう。中国が世界に誇れる一番のものは「歴史」なのだと思う。時代と共に社会は変わるが、変わらない人々の心。そう言えば、近代史をみても王朝の支配が終わり、日本の侵略戦争があり、共産党が政権をとり、文化大革命があり、開放政策がありと、その間、市井の人々は翻弄され続けてきた。チラシの文章のように「どんなに世界が変わろうと、人は精一杯に生き続ける」のだ。
  登場人物に凄みがあり、生活観漂う人ばかりで、プロの俳優では出せないリアリティーがあったように思う。登場人物全てが愛すべき人たちで、それだけでも見るに値する。
  最後にジャ・ジャンクー監督の私が知っている二、三の事柄を述べておこう。1970年生まれというから、若い監督である。撮った作品が中国政府に反感を買い、以後、アンダーグランドで映画を撮り続ける。私は観ていなが「プラットホーム」(演劇の旅公演を続ける若者たちの青春群像)「世界」(世界の名所や建物をミュニチアで再現したテーマパークに勤める若者たちの青春群像)などの映画がある。彼の作品は中国国内での上演は禁止(97〜03)されていたが、カンヌやベネチア映画祭グランプリなど世界的に認められるようになり、中国政府も認めざるおえなくなった。最近では北京オリンピックをテーマにした映画を撮っているようだ。
  シネマクラブ今年度の最初を飾る作品としてふさわしい作品だった。これからもこのようないい映画とめぐりあいたい。                         (添谷泰一)

★泣きたくなるほどよかった。こわくて、せつなくて。涙は出てこなかったけれど、中国の巨大さが少し理解できた。(65歳 女)

★「長江哀歌」は涙の物語かと思ったら、たいしたことは無かった。でも見入って観賞した。(坂本義文 67歳)

★中国はよく経済の発展とかが注目される国ですが、この作品に出てくるような労働者階級の人々が昔から人口の圧倒的多数を占めているので、彼らの流す汗や涙がこの国を支えていると思います。私は以前社員旅行で中国に行きましたが、街や人々から物凄いパワーやエネルギーを感じました。みんな必死になって生きている。一生懸命生活していると感じました。『どんなに世界が変わろうとも精一杯行き続ける』まさにその通りだと思いました。(田中英治)

★中国の三峡ダム工事の様子や風景がよかった。その中で男女の夫婦関係、いろんな事情で別れて暮らしていての再会。心はやはりむなしい。人間の男女の関係の複雑なところがみどころだった。ハッピーエンドにならないところが人生なのか?

★字幕が読めなくて会話がわからなかった。

★画面が真っ白になると文字が読めなくてせっかくの台詞が読みとれなくて残念。やりきれない程の暑さが細かい、巧みな演出で表現されていて感心しました。もう一度見たらもっと面白く感じると思いました。

★古い中国が壊れて変化していく様が長江の流れのように大きな動きとなっているのだと思われた。数十年前を描いていると思いきや、携帯電話を持っているので現在の中国の人々の生き様を活写しているのだと思えた。ときおり異化効果なのか『エッと』思われるものが挿入されていたのも面白かった。

★見終わった後、なんともいえない気持ちになった。どんな感想を述べたらいいのかと迷った。2007年度キネマ旬報の評論家が選んだベストテンの中の第1位にあげられた映画についていけない自分自身が情けない。所々に不思議なシーンがあり、感想を語る会でいろんな解釈を聞き納得したような、しないような映画だった。以前に淀川さんが「どんな映画にもいいところがあるのでそれを見つけることが大事」という言葉を聞いた。再度みてみたい映画です。(67歳 M.T.)

★中国はなんとなくわかっているようで、理解不能な国です。具体的な日常と、象徴的な描写が同居している映画だからよけいに?が増したかも知れませんが……。(伯耆町 R)

★前から見たかった作品だが、いまひとつピンとこなかった。幸せな人が一人もいない、誰も笑わない不思議な映画。ただ背景に映る中国の風景と人々の生活ぶりに圧倒されながら気がつくと2時間が過ぎていた。(鈴木)

★何という悲惨、何という横暴。ダム工事の陰にこんな現実があるのを映画にしたのは良かった。オリンピック建設ラッシュの陰にも数々の矛盾、怒りがあるのではないか。(伊地知)

★テンポがゆったりして今の私達の生活に比べて余りに違うので戸惑いました。しかし私達の方が少し急ぎすぎなのかも知れません。

★山峡にとても興味があり、その風景を少し見れて良かった。しかしダムに沈む前の中国の人たちのくらしはまだ貧しい。中国でも格差があるのか。音楽は良かったが流れがゆったり過ぎた。(米子市 59歳)

★まさに長江哀歌ですね。(62歳)

★気が遠くなるような現実。それでも生きて行く。(米子市)

★字幕が見にくく、せりふが理解できないためストーリーが不明だった。本日は「はずれ」だった。早く終わらないかと思った。近くで上映中話し声がして不愉快だった。マナーに欠ける。(米子市60代)

★やっぱり、プロデユーサーが「切れ、切れ」って言った方がいいんだ。(井山宣和)

★久々につまらない作品。眠くて困った。次回に期待します。(60歳)

★もう少し明るい映画を希望します。(米子市)

★字幕が薄くて見えなかった。

★時代背景がわからず?(米子市 70代)

★何を伝えたいのか、もう一つつかみにくかった。長江の流れにかけて変わりやすい人生を表現したのかもしれないとは思った。(69歳)



      
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