{ワケが判らないというのは、正しい批判なのか?
TVシリーズ「私立探偵 濱マイク」にみる、その出来ばえと視聴率の不幸}


 今夏、永瀬正敏主演で放映された「私立探偵 濱マイク」は、現代のビデオ撮影主流のテレビドラマ時代の中で、唯一フィルム撮影にこだわり、映画的な表現をブラウン管の中で成立させた特異な作品である。
 物語は、主人公の私立探偵 濱マイクに飛び込んでくる様々な事件と、彼と彼の仲間達との交流をマイホームタウン横浜を舞台に、濱マイク的日常で描いた「青春」ドラマだ。
 「私立探偵」というキーワードの中で、「あれっ、刑事ドラマ的サスペンスの作品ではないの?」という疑問符が浮かぶような感じもするが、
僕的にはこの作品は、主人公と毎回登場するゲストキャラとの、その回のエピソードに関するテーマの投げかけ方が、青春映画の切り口という感じがしてて、その点がこのドラマの核になっているような気がしている。
 ある意味ストーリーは、さほど重要ではなく(基本的に1話完結ドラマ)人と人とのつながりや、自分と自分の住んできた街との関係性を見つめ直しているドラマであるような気がする。
そうした主人公の生活の背景にあるものや、ゲストキャラや仲間達の存在、毎回ボコボコに傷だらけにされる主人公の設定は、ある種青春映画のエッセンスそのもので、
主人公は、自分が生きる為の答を見つけるために事件と関わっているような、そんな心のロードムービーといった印象を僕は持っている。が、しかし、この作品の看板は、何と言っても映像面の魅力だろう。
毎回違う、監督、脚本、音楽、は、映像魔術師の贅沢な個性が集まっている。
 その贅沢さは、監督だけでなくキャストにも言えることで、こんな悪キャラにこの人がとか、こんなチョイ役にこの人がとか、ともかく奇想天外な物作りだ。
 そんな意味も含めて、全エピソードがドラマレボリューション的な色合いのTVシリーズだ。
 しかし、映画的手法が必ずしもTVドラマを見慣れている視聴者に支持されるとは限らず、「何が何だか意味が判らない」とか「台詞で説明されない、あのシーンの映像は訳が判らん」という悪評も多々あり、この番組の視聴率はあまり良くなかったらしい。
映画マニアとTV的表現に慣らされている一般の人々との温度差を露呈した不運な作品である。


      
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