世界の頂点に駆け上がる、押井守の新作「イノセンス」

 「もののけ姫」の頃からだろうか、宮崎駿のアニメ作品が、ようやく通常の大人の方達にも認知され、普通の映画として観られ、語られ始めたのは。
 「もののけ姫」の海外版吹き替えや「千と千尋の神隠し」のアカデミー賞獲得など、「世界の宮崎」、「日本のアニメ界のトップ」などど彼の作品だけは、別格と評されて来ている。
 が、しかし、それよりも早く押井守の名は、前作のアニメ作品「攻殻機動隊」で、アメリカのビデオセールスのbPになったり、「マトリックス」やジェームズキャメロン、リュックベッソンの映画にパクられたりと、ある意味宮崎駿よりも「世界の押井」、「日本のアニメ界のトップ」という評価をいち早く与えられていた存在なのである。
 でも、なぜ本国日本において押井の名は宮崎以上にメジャーになりえないのだろうか。宮崎アニメは、無邪気なキャラクターを登場させ、そのテーマとなるヒューマニズム感を童話的に展開してみせる所に、大人から子供まで、特に女性層の一般大衆のファンを惹きつける事に成功しているのではないだろうか。
 一方で押井アニメは、ハリウッド的娯楽アクションの装丁をしつつ、実は描いているのは、エンターティメント性では無く、人間の深層心理な部分でのヒューマニズムを追っているものが多い。
よって、押井アニメの方は、その物語性よりもその裏にあるテーマを読み解く事が、押井アニメの最大の魅力であるし、そうした見方はなにより映画マニアには非常にウケる見方なのだが、今に至るまでに宮崎アニメ以上に押井アニメが語られないのは、その装丁こそがアニメマニアックの域で観られてしまっていて、一般大衆が線を引いて近寄らないジャンルになっているということなのかもしれない。
 そんな残念がっている押井フリークは、僕だけではなかったのか、押井守待望の新作「イノセンス」は、これまでの押井映画にはない大量宣伝と拡大公開で上映される事になった。
 「イノセンス」は、西暦2032年、人とサイボーグ(機械化人間)とロボット(人形)が共存する近未来が舞台。主人公のバトーは、テロ犯罪を取り締まる公安の刑事。バトーは、腕も足も、体の全てが作り物だが、僅かに脳だけは残されている。そして、その脳の中には、愛しい女性「素子」の記憶が残されていた。
 ある日、人間のために作られたアンドロイドが、原因不明の暴走を起こし、所有者を殺害するという事件が発生した。バトーは相棒のトグサと捜査を開始するが、事件の真相に近づくにつれ、バトーらは危険な領域へと足を踏み入れる事になる。
 ともかく、圧倒的なヴィジュアルによる説得力と計算され尽くされた脚本、キャラクターの演技である。が、この作品に関しては、もうこれ以上語らないでおこうと思う。単純に観て損がない作品。
 この映像の威圧感は、大スクリーンで観てこそ価値のある作品。そして、ここからまた新たにハリウッドの作家達が大量にパクるんだろうなあといえるような作品である。     


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