天保8年(1837)

 この札には太い破線が入っています。これは当時字が読めない人でもわかるように、三匁には三本、二分には二本と金額の波線を入れ価値を表していました。
 藩では札の安定をはかるため領内の富豪3名を大坂に派遣、しかし金策が不調に終わり責任を感じた1名が旅先で割腹自殺をするという事件が起きました。しかし、そのことが京都で評判になり東山知恩院から融資が受けられたと伝えられています。ただ、藩はその後も藩札の発行を重ね、そのため価値が急落し通用できなくなっています。

 額面 表  裏 
 銀三匁    
 銀壱匁
   
 銀三分    
 銀二分    
 銀一分