幕府札 明治政府札


 幕末、紙幣の統制は有名無実となり、幕府自身も崩壊寸前の慶応3年(1867)初めて紙幣の発行を計画します。
 関東では江戸横浜通用金札、江戸及八州通用金札を、関西では兵庫開港札を「三カ年に限り」と期限をつけて発行します。
 ここに載せている兵庫開港札は兵庫開港に際して港の整備、外国人居留地の建設資金調達の目的で発行、100万両のお金を生み出すために幕府主導で大坂の豪商20名に出資させ、商社会社を設けて発行しています。
 壱両、弐分、壱分という種類から労働者への賃金でした、実際には使用されなかったとも言われています。
 札の表には「慶応丁卯発行」と割印があり、裏面には「輿實貨同」(貨幣と同価値)の文字と割印が、左下には記番号が示されています。



 額面 表  裏 
 金壱分    
 金弐分