明治通宝


明治4年(1871)政府は「新貨条例」を公布。江戸時代の「両・分・朱」から現代も一部使用している「円・銭・厘」に改めました。また廃藩置県を行い、藩札を明治通宝(新紙幣)と交換することとしました。
 それまでの札(太政官札・民部省札)は簡易な銅判印刷技術のため偽札も多く出回わり、偽造防止対策強化と紙幣統一目的のためにこの札が作られました。
 当時は日本の印刷技術が低く、ドイツに依頼して製造した紙幣です。そのためゲルマン紙幣とも呼ばれています。
 表面には菊の御紋章に2羽の鳳凰。「明治通宝」の両脇に双龍、地模様は精密な連続微細模様を採用。裏面は木瓜(ぼけ)型の模様の中に二羽の孔雀、千鳥、トンボ、帆立貝、青海波を描き地は微細模様、表には出納頭の割印が、裏面には記録頭の割印と記番号が押されています。
 種類は百円、五十円、十円、五円、二円、一円、半円、二十銭、十銭の九種類、字の読めない人のため金額に応じて色分けしています。
 また、この札を発行する前の明治5年2月、印刷局内にインキ事業を担う肉製課が新設され、アメリカ人化学者トーマス・アンチルの指導の下、朱・青・緑、3種のインキの開発に成功しました。
 この札の表、「明治通宝」の印は朱で、上の印章は緑 裏面の中心にも朱、上部に青の印章が押されています。つまりドイツで製作の後、日本で印章を押し完成させていました。
 ある時、ドイツから輸入した紙幣100枚が紛失、偽札製造の危惧に「本物は優れたインクを使用しているので湯水で洗っても決して消えないが、偽物は消えるので、判断できない場合は湯水で洗い指でこすれば必ず判明する」と説明した話も残っています。
 この札は藩札、太政官札、民部省札、為替会社発行券などすべてと交換されました。こうして当時の人々の多大な努力の末、政府紙幣がようやく統一されたのです。


 額面 表  裏 
 二十銭    
 十銭