元文以降 明和4年(1767)か


この札の年代は様々な説があり、推測の域を出ていないのが現状です。
 山陰古札図録(中村清美)では山陰地方最古の札(延宝3年)と紹介されていますが、ボナンザ11巻7号(小川吉儀 郡司勇夫)では元文以降、明和4年発行の可能性有りと書かれています。
 延宝3年発行の種類は、山陰古札図録では三分と二分、松江藩における藩札の資料収集と研究では一匁、二匁、三匁と三種の銀札が発行、ボナンザでは三分、二分、五分札が発行されたと異なっており、当時発行された額面も確定していません。
 延宝3年札の特徴の一つは紙質が劣悪なため藩札が破れるなど信用が低下したことです。(松江藩における藩札の史料収集と研究 内藤正中)この札はある程度紙厚もあり、それほど劣悪でないこと、また鳥取藩の延宝札と比べても印刷技術が進んでいて、その1年前に発行されているとは考えにくいことから元文以降、明和4年の可能性があると考えられます。



 額面 表  裏 
銀弐分