隠岐藩


 隠岐地方は松江藩預り地ではありましたが幕府領だった為、松江藩札ではなく私札が主に発行されていました。
この札に印で押されている熊屋は現在の隠岐島島後布施村にあった回船業者です。ここは現在500人あまりの村民が暮らしていますが当時はとても栄えた港でした。この村では杉が主な産業で、村旗にも杉が描かれています。江戸時代は杉の美材が多く産出し、古くから西回り船で九州大阪方面に良材を送っていました。
 当時隠岐には大船が五隻から九隻あり、「熊屋」はこれら船主達の筆頭格で、明治頃まで回船業は続いていたようです。
 札の発行は原紙を札座から貰い金銀銭の種類や額、発行年月日、発行者名を書きこれを札座に持って行き証印を受けて有効札としていました。
 金種は金二分、金二朱、銀一分、丁五百文 後に金一分が発行され計五種になっていたようです。
 この札を大晦日までに札座に持参すると現金化することができました。つまり形式は私札ですが、預金通帳や借用証書のような役割をしていました。布施村の中心地帯はその後、明治40年に大火に見舞われ貴重な資料がことごとく灰になって失われています。 

 額面 表  裏 
 金弐朱
嘉永5年(1852)
   
 銀弐分
嘉永4年(1851)