鳥取 私札



 額面 表  裏  説明 
 天保2年(1831) 伯州宇野 宇野家質札      伯州は現在の伯耆、東伯郡湯梨浜町(羽合町)宇野にあった宇都屋という店舗が発行した質札です。印にある辛卯は天保2年(1831)か明治24年(1891)のこと。
 札の印は「辛卯改札」金額は「八匁三分五厘」その横には
  「古女帷子浅黄こん
   古書単物小紋三丁    〆三ッ
 天保八 平田ノ
   酉九月十二日 作右衛門」
裏には印字で「明其月限 月壱歩八 五月四日」と書かれています。
 文章に天保八という文字があるので、天保時代の札と思われます。質で預かった物を記載し、上部に箱の札を留めていたと思われる穴があいていますので、ある程度束にして保管されていたと推測されます。

 明治元年(1868)頃 倉吉 八屋 福井久太郎 壱匁      これは現在の倉吉、伯耆河村郡の札です。この札は五匁、壱匁、五分が発行されていました。
札には「二十五 
    一 壱匁 福井久太郎 一村限」と書かれ、
印は「河村 八屋 福井屋」 となっています。
 金額の上に朱で線が引かれているため、回収後の目印か何かではないでしょうか。
 始めの数字は通し番号、現在の倉吉市八屋(天神川沿い倉吉消防署あたり)にあった福井屋が発行した札です。一村限りとなっているので、この村だけで流通していたと考えられる札です。
 福井久太郎氏は明治12年の島根県第一回選挙で河村郡から選出されています。この2年前、明治9年に鳥取県は島根県に合併されていましたが、鳥取側では県庁がなくなるなど不満が大きく、明治14年9月に鳥取県の再置が決定、その後に行われた鳥取県選挙では出馬しなかったか、落選したかで当選人には名前がありませんでした。
 明治元年(1868)頃 倉吉 八屋 持田屋丈七 壱匁預      明治元年頃、倉吉で店をかまえていた持田屋の私札です。版木で製作するのではなく墨で書かれているので、発行数も多くはないと考えられます。
 表には「壱匁預り持田屋丈七」 印は「伯州 倉吉 持田屋」です。 
この札には五匁預かりと一匁預かりがあることがわかっていますがそれ以上のことはよくわかっていません。
 明治6年(1873) 高鍋屋久平 倉吉 壱匁
癸酉三月
     倉吉市八谷にあった高鍋屋久平発行の壱匁札です
 癸酉は文化10年か明治6年を示しています。壱匁札という字の上に朱印で「八厘替」と押されていますので、明治6年を意味していると考えられます。これは「厘」という単位が明治初頭に円、銭とともに通貨単位として制定されていたからです。厘の価値は1円の千分の1、戦後、昭和28年(1953)には銭と厘は使われなくなりました。
 朱印の意味は壱匁が八厘に替えられて交換されたことを示しています。この札の発行主は混乱なく札を交換していたのでしょう。
 札の左には「右預申候御押印下候上引換可申上候」と書かれています。
 明治20年(1887) 因州鳥取 八百谷 上生酒 田鶴 弐升・二合        この札は明治20年に因州鳥取八百谷店から発行された私札(酒切手)です。表には、「貳升 八百谷店」と書かれ、松と竹の絵が版で押されています。裏には「上生酒 田鶴 
        右之酒御預り申候ニ付、此手形御持参
        之御方へは何時でも此手形引替御渡し申す 
        明治二十年亥」と書かれています。
 また右の札には「上生酒 二合」と書かれ、因州鳥取の印が押されています。
 現在鳥取に八百谷店も田鶴というお酒も見当たらないのですが、当時は私札を発行するほど大規模に商売をしていたと思われます。 
 因州用ヶ瀬 蔦屋太郎左エ門 晒葛壱斤 拾文預      因州は現在の因幡、鳥取県(八頭郡)用瀬町で使用された私札です。
札には「因州用ヶ瀬 晒葛壱斤拾もん預り 葛屋太郎左エ門」と書かれています。
 晒葛(さらしくず〔葛粉〕)は山野に自生する「葛」の根茎を採取し、うち砕いて清水し水でさらして生成した良質の澱粉でんぷんです。
 因幡産物薬効録(万延元年〔1860〕)では因幡の葛粉を名産の1つに挙げています。また、明治9年の「日本地誌略物産」にも「葛ハ智頭郡ヨリ産ス、泄瀉(せっしゃ〔はらくだし〕)ヲ治シ酒毒ヲ消ス」(葛は智頭郡産で、腹痛・酒毒に効能)とあります。因幡産物番付表にも、杉森葛は上位に記載されていることから、この地域ではかなりの葛の生産があったと思われます。その売買は、四区五区(現在の用瀬駅東側)の境のあたりで手広く商いをしていたと伝えられています。
 晒葛の私札が発行されていることからもこの地域で葛の生産・売買がとても盛んだったことがわかります。
 因幡国 大山材木請      
 鳥取 澤ノ井 五合預 奥藤酒店      
 明治37年(1904) 河野製紙部合名会社      
 昭和2年(1927) 倉吉質札