還るべき場所



Act.2









聞きなれた着信音に、増田ははっとして携帯に手を伸ばす。
もう外は明るくて・・・いろいろ考えていて夜更かししてしまったために、寝過ごしてしまったらしい。

発信者は『手越祐也』。
携帯を開くと、メールの文章が目に飛び込んでくる。

『まっすーへ
映画の撮影、10時30からです。
10時には事務所を出ます。
よろしく

手越』

パタンと携帯を閉じると、増田は大きく溜息をついた。

あんなことがあってからも、それでも増田についていって欲しいと思っているらしい手越を可愛いと思うべきか・・・それとも。

「・・・って、やべ。もう9時じゃん・・・!」

それでも行かないわけにはいかなくて、増田はいそいで着替えると携帯をポケットに押し込んだ。





















「・・・あれ?」

10時きっかりに事務所に着いたのに、手越の姿はなくて。
まさか呼び出しておいて遅れてきているのでは・・・と一抹の不安が過ぎった。

「・・・しょうがないな・・・手越の奴。」

仕方が無いのでロビーのソファーに腰を下ろし、ぼんやりと頬杖をつく。
そんな増田の視線の先に、すらりと伸びた長い足が現れた。

見上げると、優しい微笑みが増田を見下ろしていて・・・。

「・・・小山・・・。」
「お疲れさん・・・でも、手越はもう行ったよ。」
「・・・行った?」
「うん。今日は草野が付いて行くって・・・連れて行った。」

増田はえっと声を上げ、慌てて席を立つ。

「草野が?あいつ乗り換えもできないのに・・・アテになんのかよ。」
「行き方なんて、手越がもう分かってるだろ・・・あいつはお前に甘えてるだけなんだよ。この際、ちょっと突き放してみるのもいいんじゃない?・・・草野がさ、安心して今日くらいゆっくり休めって。お前の顔色が悪いって、心配してたよ。」

小山の言葉に、増田は思わず目を瞬かせた。
そしてふっと視線を落とすと、小さく呟く。

「俺・・・見損なわれたわけじゃなかったんだ・・・。」
「お前が手越に嫉妬して、八つ当たりしてるんじゃないか・・・って?]

小山は増田の台詞を先読みしたかのように、苦笑いを浮かべた。

「あいにくだけど、そんな風に思えるほど短い付き合いじゃないよ。」
「小山・・・。」
「だけど昨日は・・・どんなふうに接していいのか正直分からなかった。内や亮ちゃんみたいに、自然にお前を甘やかしてやることは・・・俺にはまだ、難しい。」

その言葉に増田は思わず顔を上げ、小山をまじまじと見上げる。
そんな増田の視線を優しく受け止め、小山はコートのポケットからごそごそと何かを取り出した。
そしておもむろに増田に差し出す。

「あと・・・これシゲが、お前にって。」

手渡されたのは、シンプルな封筒。
封を開けると、中に入っていたのは・・・一枚のチケット。

そっと取り出してみると、それはウエストサイド・ストーリーの…今日のマチネのチケットで。
ウエストサイドのチケットは事務所のツテでは手に入らず、加藤が苦労して入手したことを増田は知っていた。

「これ・・・俺に?」
「うん。・・・お前が何凹んでんのかよく分からないけど、大好きな嵐のお芝居見たらちょっとは浮上するんじゃないかって言ってた。」
「だってこれ・・・シゲだって、楽しみにしてたのに・・・。」
「いいんじゃない・・・?シゲもあいつなりに、お前にしてやれること、色々考えてるんだよ。」

増田は手の中のチケットを、もう一度まじまじと眺めた。
勝手に凹んで、心配かけてしまっているのはこっちの方なのに・・・。
真面目な加藤のことだから、昨日の自分の発言で増田が更に凹んでしまったことに気づいて・・・気にしていたのだろう。

「でも、受け取ったからにはちゃんと浮上して来いよ。凹んだままで帰ってきたら、今度こそ見損なってやるから。」

まだ困惑の表情を浮かべたままの増田に軽くウインクし、小山はくるりと背中を向けた。
彼は、今日はオフのはず。
きっと、増田に会うためだけに・・・わざわざここまで来てくれたのだ。

「ありがと・・・。」

目に溜まった涙が今にも零れそうで。
増田はぼやけた天井を見上げ、小さくそう呟いた。

大切な、仲間たちに・・・。






















「まっすー!!来てくれたんだー!!」

開演前の楽屋。
増田の姿を見るなり飛びついてきた翔央を、笑顔で抱きとめる。

「俺っ!頑張るから!しっかり観ててよまっすー!」
「うんうん、分かってるよ。」

いつもクールな翔央とは思えないほどのハイテンションぶり。
きっと出演者である翔央にとっても、この舞台は素晴らしく・・・そして誇らしいものなのだろう。
興奮気味の翔央の話を聞きつつじゃれあっていると、背後で聞きなれた声が響いた。

「・・・あれ?まっすーじゃん!」

はっとして視線を向けると、嵐の松本、大野、桜井が微笑ましげな表情を浮かべてこちらを見ている。
増田は慌てて3人に近づき、ぺこりと頭を下げた。

「お久しぶりです。今日は客席で見させてもらいます。」
「ありがと・・・ホントにいい舞台に仕上がってるから、楽しみにしててな!」

人好きのする笑顔を向けてくれる大野にこくこくと頷くと、増田はその隣に立つ松本に視線を向けた。
そして思わず眉根をよせる。

「松本くん・・・何か、顔色悪いですよ。」
「やっぱり?・・・実は昨日からちょっと頭痛が酷くてね。」

何でもないように笑ってはいるが、松本の顔色はかなり悪い。
お節介とは思いつつも、黙っていられなくて。

「薬は?飲んだんですか?」
「飲もうとしたら箱空っぽなの。ついてねー・・・。でも大丈夫、舞台はきちんとやるから・・・まっすーも、楽しんでな。」

まだ心配げな視線を向ける増田の肩を、松本がぽんと叩いた。
頷きを返しつつも、やはり気になって・・・。

出演者たちの背中をそっと見送ると、増田は開け放たれたままの嵐の楽屋をそっと覗き込んだ。
テーブルの隅に、空っぽのバファリンの箱が打ち捨てられている。

・・・薬さえあれば、もう少し楽になれるだろうに・・・。

そう考えて、ふと気が付いた。

確か途中で、松本の出番がしばらく無い場面があったはずだ。
多分その間、彼は楽屋に戻ってくるだろう。

・・・そこでなら薬が飲める。

増田はポケットの中からそっとチケットを取り出した。
加藤が一生懸命がんばってやっと取って…そして増田に譲ってくれたチケット。
かなりいい席で、このまま会場に入って座ってしまえばきっと楽しめるのだろう…けれど。

「・・・シゲ、ごめん。」

増田はチケットに向かって小さく謝罪すると、それを丁寧にポケットにしまった。
そして通用口をそっと押し開け、外へ出る。

ちらほらと粉雪が舞う寒空の中、
増田はパーカーのフードを被ると、全速力で走り出した。


















会場から走って数分の、大きなドラッグストア。
増田は真っ先にバファリンを探し出すと、その小さな箱を手に取った。

レジに直行しかけて、ふと思いとどまる。

「このままでは・・・・飲めないな。」

楽屋に飲み物はあっただろうか?
スポーツドリンクや炭酸飲料はあったような気がするが、それでは薬は飲みにくいだろう。

増田は慌てて踵を返すと、飲み物の棚を探してミネラルウォーターを引っつかんだ。

「そういえば・・・薬って腹減ってるときに飲んじゃいけなかったっけ。」

ふとそんなことを思い出し、増田はいそいそと清算を終える。
ドラッグストアを出ると、筋向いのコンビニで軽めのサンドイッチを購入した。

「よし!これで完璧♪・・・って、満足してる場合じゃないって!」

時計を見ると、開演からすでに15分が経っていて。
ちらちらと雪が舞う中、増田は猛ダッシュで会場へと走った。
















舞台から、大野の台詞が聞こえてくる。
物語は序盤を過ぎたあたりらしい。

楽屋にはまだ誰も帰って来ていなくて、相変わらず開け放たれたままだ。
増田は少し躊躇いつつ、「おじゃまします」と小さく呟いてそっと中へと入った。

バファリンの箱を開けて、中から錠剤を二錠出して。
楽屋備え付けのガラスコップをお盆の上に伏せて、その横にミネラルウォーターとお茶のペットボトルを置く。
サンドイッチの蓋についているテープは予め取っておき、代わりに洗濯ばさみで挟んでおいた。

こうしておけば、かなり短い時間で空腹を満たし、薬を飲むことができる。

「・・・怪しまれ・・・ないよね?」

ふとそんな心配が過ぎったが、楽天的な松本のことだから、きっとスタッフの誰かが置いたんだろうと・・・あまり深く考えずに使ってくれるはずだ。
やっと落ち着いて舞台が見られる・・・と、増田は満足げに微笑む。

「松本くんの頭痛、よくなりますように・・・。」

増田の小さな呟きが、狭い空間に優しく響いた。


















舞台は大成功だった。
鳴り止まない拍手の渦の中で、増田も必死で手を叩く。

頭痛で辛いはずの松本も、そんな様子を一切見せなかった。
きっと抜群のチームワークが、影で彼を支えていたに違いない。
増田は、そんな嵐が大好きだった。

・・・機会があればまた彼らのバックにつきたい。

そんな思いを抱えながら、増田は人波に逆らい、楽屋入り口にそっと身体を滑り込ませる。
一応芸能人という立場上、表玄関から堂々と出て行くわけにはいかないのだ。
けれど、とにかく早く帰って加藤にお礼を言いたくて・・・楽屋には寄らずに帰ろうと、増田は足早に長い廊下を横切る。

「ちょ・・・ちょっと待ってよまっすー!」

通用口からこっそり外に出ようとした瞬間、翔央の声が響いて、増田は驚いて振り向いた。
慌てて追いかけてきたらしい翔央が、息を切らしながら増田の前に立つ。

「まっすー帰るの?!楽屋寄ってかないの??ちょっと待ってよ!ちょっと来て!!ちょっと!」
「ちょ・・・何だよ翔央!?」

細い身体に似合わぬ力でぐいぐいと引っ張られ、増田は面食らいつつも翔央のなすがままで。
連れてこられたのは、嵐の楽屋。
翔央に促され、増田は遠慮がちにその中へ足を踏み入れる。

「翔央・・・一体、何・・・。」

楽屋の机の上を見て、増田ははっと息を呑んだ。

錠剤を取り出された銀色のフィルム。
半分に減っているミネラルウォーターのペットボトル。
使用済みのガラスコップ。

そして・・・空っぽになった、サンドイッチのパック。

「・・・食べてくれたんだ・・・。」

妙に感激して、増田は思わず机に歩み寄る。
そっと空っぽのパックを取り上げると、その下からひらりと小さな紙が舞い落ちた。
その紙を拾い上げて・・・増田の目が釘付けになる。

その紙に書かれていたのは、
少し慌てたような、
でも、とても・・・やわらかな字。

『まっすー、ありがとう  潤』

増田はその文字に何度も何度も目を通して。
そして、小さく呟く。

「・・・何で?」

驚きと、戸惑いで、声が震える。

「・・・何で、俺だって・・・。」

増田の呟きに、翔央が柔らかな声で応えた。

「まっすーは嵐組の中でもすごく気の利く子だったって、潤くん言ってたよ。だから用意されてた薬とサンドイッチ見て、絶対まっすーだって・・・。お腹減ってたみたいで、すっごい美味しそうにサンドイッチ食べてたよ。」
「・・・そか・・・。」

戸惑いや驚きが、大きな喜びに変わる。
美味しそうにサンドイッチを頬張る松本の姿が見えたような気がして、
増田は口元に笑みを浮かべつつ、心からの呟きをもらした。

「・・・よかった。」

その呟きに連動するかのように、目から自覚の無い涙が零れて。
じわりと、手紙の字がぼやける。

「・・・まっすー・・・?」

心配げに覗き込んでくる翔央の視線を逃れるように、増田は俯いて口元を覆った。




どうして。
・・・どうして、忘れていたんだろう。

誰かのために力になれたとき、
誰かに喜んでもらえたとき、

こんなにも、こんなにも、
心が満たされるのに。




松本には自然にできた気遣いを、
手越には、できなかった。

それはいつの間にか、

手越の先輩のつもりになっていたからで。
一人前のタレントになったつもりでいたからで。
やったことがないから、
本当はタレントなんだから仕方がないと、
言い訳ばかり上手くなっていたからで。



先輩や、タレントなんて、
そんなつまらない地位にこだわる前に、







手越に、喜んで欲しいと、





手越に、笑顔でいて欲しいと、








そう思えたはずなのに。










「俺の方こそ、ありがとうございます。」


小さな手紙に向かって、増田は呟く。





今なら、
手越にしてやれること、
みんなのために自分が出来ることを、


自分らしく、考えられるような気がした。















































事務所に帰って真っ先に目に入ったのは、ロビーの机に突っ伏す手越の姿。
その隣では、草野が疲れきった表情で座っている。

増田は思わず駆け寄り、2人に交互に視線を落とした。

「草野・・・手越・・・。」
「・・・おー、貴久〜。」

増田の声を聞いても手越は顔を上げず、草野はだらしなく片手を挙げて反応を示す。
心配げな増田の表情を和らげようとするかのように、草野がやっとつくった笑顔を向けた。

「何か声かけてやって・・・手越の奴、凹んでるから。」
「・・・何で・・・?」

これまで何度も撮影に付いて行ったが、手越が凹んでいる姿など一度も見たことが無い。
そのくらい彼は撮影を楽しんでいたから・・・。

「何か今日、いろいろと上手くいかなかったみたいでさ・・・台詞噛みまくって何度もNG出したり、台詞ド忘れして監督さんに怒られたりさ・・・。」
「・・・え?・・・。」

まだ顔を上げようとしない手越を見ると、相当痛手を被ったらしい。
そんな手越を気にしつつも、増田は草野に一番の心配事を問いかけた。

「草野は?どうだった?」
「・・・俺?別に・・・ただ見てただけだし、退屈だった。」
「・・・見てた・・・?」

ということは、働かされてはいないということだ。
そう確信しつつも、増田は一応とばかりに念を押す。

「あの・・・付き人に、間違えられたりは・・・しなかった・・・よな?」
「失礼な!そんなわけねーだろ。・・・まあ入りしなから、『NEWSの草野でーす!』ってかましたら微妙に退かれたけどな。」

増田は草野の言葉に一瞬目を瞬かせ、そしてクスリと笑みを漏らした。

自分も最初からそうやってNEWSの一員だとちゃんと言っていれば。
というよりNEWSのメンバーであるという知名度があれば。
こんなことにはならなかったのだ。

けれど、今回のことは・・・結果的にはよかったのかもしれない。

あまりにも急に『アイドル』になってしまったから。
裏方やジュニアのときに身につけた気遣いや思いやりの心を…いつの間にか忘れかけていたから。

自分にとっては、いい薬だったのだ。













「じゃあ貴久、手越のこと頼むな。」

立ち上がってダウンジャケットに袖を通す草野に、増田はこくりと頷く。

「うん、任しといて・・・ああ、草野。」
「・・・ん?何?」
「今日は・・・ありがとう。」

増田の言葉に草野は一瞬目を瞬かせ・・・そして、極上の笑顔を浮かべた。

「どーいたしまして・・・でも今度からは、言いたいことは腹にためずにちゃんと言うこと!分かった?」
「うん、そうする。」

ひらひらと手を振りながら帰っていく草野の背中を見送って。
増田は、改めてその視線を手越に落とした。

ぴくりとも動かないその肩に手を置いて、増田はそっと語りかける。

「・・・ごめん。今日・・・ついていかなくて。」

手越の肩が、ぴくりと動いた。
聞いているのを確信して、増田はまた口を開く。

「明日からはまた俺がついていくから・・・出来るだけ、見ておくようにするし・・・。」

その瞬間、手越は涙で腫れ上がった顔を上げて、
それを見せまいとするかのように、増田にしがみついた。

増田が慌ててその身体を受け止めると、腕の中から小さな声が響く。

「・・・分かってるんだ。」

切ない声。
手越の気持ちが伝わってきて・・・増田は胸を痛めた。

「ホントは・・・こんなの俺の我侭だって分かってるんだ。」

増田にしがみつきながら、手越は感情のままに言葉をつなぐ。

「でも俺、まっすーがいいんだ。まっすーが一緒にいてくれるだけで・・・それだけでいい。見ててくれなくてもいい。ただ傍にいてくれたら安心できるんだ。我侭だって分かってても・・・それでも・・・。」
「・・・手越。」
「でもそれが・・・俺のそんな思いがまっすーを苦しめてたんでしょ?俺、いっつもまっすーと一緒にいるのに、そんなことにも気づけない・・・そんな自分がイヤだ・・・でも・・・。」

手越が顔を上げて。
しっかりと、増田の目を見る。

「でも・・・それでも、・・・まっすーがいいんだ。」


手越の一途さを。
手越の純粋さを。

羨ましいと・・・心底思った。

でも、
あの時のような劣等感は、もう沸いてはこない。

ただ愛しいと。
そうしてそんな彼に思われる自分は幸せなのだと。



そう、思えた。


















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