石見銀山 現地ルポ

世界遺産に登録
島根県大田市
歴史的建物が多く保存されている大森町の町並み。世界遺産登録で観光
客も増えている


 石見銀山(島根県大田市)が今年7月2日、ユネスコ(国連教育科学文化
機関)の「世界遺産」に登録された。貴重な文化的景観を保つ石見銀山を現
地ルポした。


歴史的町並み残る鉱山町と港町

 坑道(間歩)跡が集中する仙ノ山。その中腹に銀山で最大規模の坑道、大
久保間歩がある。初代奉行の大久保長安が馬に乗ったまま入ったことから
その名がついたという。坑内に入ってみると気温は12度。真夏なのに肌寒い。
懐中電灯をかざすと鉱脈に沿ってタテに掘り進んだ大きな空間が浮かび上
がった。

 石見銀山は、(1)銀鉱山跡と代官所が置かれた鉱山町(大森町)(2)銀山
と港を結ぶ銀山街道(3)銀の積み出し港だった鞆ケ浦、沖泊、温泉津などの
港と港町――の三つの地域(約442ヘクタール)からなる。

 大久保間歩など600もの坑道跡は、江戸時代に銀山を守るために設けた
柵の内側(柵内=320ヘクタール)にある。現在、龍源寺間歩だけが一般公
開(270メートル部分)されているが、大久保間歩も8月末から試験的に公開
される。

 石見銀山では、採掘から精錬まで全て手作業で行われた。坑道近くの
1000カ所もの平坦地には製錬工房や生活の場となった小屋が建てられた。
その跡も貴重な遺跡となっている。

 代官所が置かれた大森町は、道の両側に銀を扱う豪商、寺院、町屋などが
立ち並び歴史的な面影を色濃く残している。この地域は、銀の積み出し拠点
だった温泉津町と合わせ、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

世界の銀産出量の3分1を占める

 日本では14番目の世界遺産であり、産業遺産としてはアジア地域で初めて
の登録となた石見銀山は、1526年に博多の商人・神屋寿禎によって本格的
な開発が始まった。

 産出される銀は良質で、東アジア交易において信用が高く、所在する佐摩村
から「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれ重用された。石見銀山から産出される銀は、
世界の3分の1を占めたという。

 戦国大名たちは銀山をめぐり激しい争奪戦を演じた。徳川家康も関ヶ原の合
戦後、直ちに石見銀山を直轄地とした。

 最盛期だった江戸時代初めには年間約38トンもの銀を産出。その後、次第
に産出量が減少し、1923(大正12)年に閉山した。

行政、住民が一体で登録運動展開

 石見銀山の世界遺産登録実現に向けては、長年にわたり、行政、住民が一
体となった運動を展開してきた。

 公明党も石田洋治・大田市議らが中心となり、2001年に斉藤鉄夫、池坊保
子両衆院議員が出席し、登録実現を呼び掛けるシンポジウムを開催。02年に
は斉藤氏と党島根県本部が文科省に対し、早期登録実現へ申し入れを行うな
ど積極的に後押ししてきた。

                            前のページに戻る