船越元
1939年10月30日生・A型・米子市出身・農学部農芸科学科昭和37年卒

遠征の2年前よりロードサイクリングを始め体力を付けましたが、4,000mの所までしか高山病で行けず残念でした。冬は大山でスキーをしていますが、オフシーズンはロードサイクリングを行い1年間4,000kmを日額にしています。娘が二人いますが、二人ともモトクロスが趣味でレース頓に通っています。規の血筋だと思って見守っています。
今年はウラジオストノタでのロードサイクリングに8月参加の予定ですが、私も今年55才を迎え心身ともに動けるのはあと10年間だと思い、今後、仕手にも遊びにも充実した熟年を迎えたいと思っています。
鳥取大学山岳部oB会にて海外遠征を計画した時には、果たして私がべ−スキャンプまで行けるかどうかの状態であった。
私は体力に自信が無く、以前1969年パキスタンのヒンズークシユヒムゾム6、441mの初登頂をしてからは、新しい会社を設立し、20年間仕事漬であったため、ほとんど運動をしておらず、体重も78転と肥満の状態であった。
そこで体力強化のためさっそくロードサイクリングを始め、2年間で体重を70也まで遠征でもやってきたし何とかなると思っていた。
従って、遠征資金がまがりなりにも集まった時は私の仕事はほぼ終わり、遠征の実質的な隊長は苫田先生に任せてしまったような状態であった。
ただ実際遠征に出て広大なチベット高原をジープで行くにしたがい、長年仕事ばかりしてきた私にとつては、久々の旅情を味わうことができ、心がうきうきとして久々の何とも言えない心の充実感を味わえることができた。特にべ−スキャンプの人々の厚い信仰を目の当たりに接することができ、このような厳しい自然風土の中で生活をするに当り、信仰がないと生きて行けないように思えた。
又、ベースキャンプにはるか遠くのテントで生活しでいた婦人がヤクのヨーグルトを持って来てくれたが、ちょうど私は高山病で何日も下痢をしていたので、このヨーグルトは大変に腸の為に良く下痢もおさまった。
わざわざ私たちのためにヨーグルトを持って釆てくれ、その代償を何一つ要求落とすことができた。これで何とか隊員に迷惑をかけずにベースキャンプに入れると思った。
私は元々、山そのものに特別な思いはあったが、登山・岩上りがどれだけ好きだというのではなく、旅行の計画を作ったり、遠征の計画を作ったり、遠征のプロジェクト計画実行する方が好きな方だと思・`したがって今回の遠征隊長を務めるにあたって、私の仕事は主に資金集めだなと私なりに自覚していた。
前回のに入るため4、800mの峠を越えたとき、廻りのお花畑と、向こうに見える氷河を頂く峯を見た時には、20年前のヒンズークシユの遠征時を思い出して感慨無量であった。高山病にかかり苦しい思いをしたが、これがなかったらもつと楽しかったのだが。又、今回の遠征ではチベット族の地域に行くことになったが、私としても初めての経験であり、その文化、なかでも中国の開放政策により燈ったラマ教の寺院を訪れることができ、チベットしない心優しい婦人に接し、心温まる思いだった。
この婦人は52才とのことで顔も日焼けし黒ずんでいたが、いたく気品のある顔でさっそく写真を撮らせていただいた。帰国後、大きく引き伸ばし額にいれて自宅に飾っているが、私も娘もいたく気に入っている。
今回の遠征では中国登山協会国際部長陳尚仁氏、リエゾンオフィサー楊世涛氏、案内人の李軍氏等、我々のために十分すぎるほどの心づかいをいただき、長い旅の中では深いつながりができたと思っている。
当社も中甘凶との貿易を行っており多少は中国の国民性については知っているつもりだが、中国は人と人との結びつきを強く意識している国民と開いていたがまさにその通りで、これらの人たちにより、より中国が身近な存在となったことは私にとつて大きな財産となった。仕事でまた、中国に行くときにはぜひ会いたい人々である。
そして忘れられないひとは、京都の吉田興和しの紹介で我々の通訳をして頂いた日本人の安井邦彦しである。彼は西安の全日空ホテルの仕入部長をしていたが、我々の為に20間もの休みを取って同行していただいた。
かれは、長年中国で仕事をしてきた関係で中国語も達者であり、又、仕事がら交渉ごとにも強く、我々の旅でのこの上ない協力者でもあった。彼とはべ−スキャンプで一週間も同宿していたが、役から中国の国内情勢を開くに当り大変勉強にもなった。短い一ケ月弱の旅行であったが、久しぶりに氷河を見ることができ、又、学生の力で初登頂が成功し、又、中国での友人もでき、毎日仕事に追われていた私としては本当にすばらしい遠征になったと思っています。
私も早55才になり、むかしなら定年の年であり、中年を通り越し熟年・老年に近くなってきましたが、体が動けるのはあと10年と思うと、今後も仕事のみの人生ではなく、できれば毎年何らかの形で旅行かろ不−ツで海外に出たい気持ちです。最後に、鳥取大学林学長を始めとする大学関係者の温かい支援及びこの遠征に協力していただいた個人・団体の方々に深く御礼申し上げます。