その昔、倭の国を目指し日本海を渡り、美保の岬を回って来た人々は噴煙をたなびかせる
 火神岳(出雲風土記)に驚いたことだろう。まだ弓ヶ浜は生まれておらず、ひと際美しく、厳かな
 大山を目印にして淀江の潟に舟を着けたに違いない。大山の噴火活動は約1万年前までと
 言われている。しかし出雲風土記で語られた国引き神話で、綱を結びつけた一方の佐比売山
 (さひめ山−三瓶山)の麓からは3600年前の噴火で埋没した直径1mを超える大杉が発見され
 驚かされた。火神岳の言い伝えも新しい時代のことかも知れない。
 妻木晩田(むきばんだ)の集落は目の先だ。今や日本最大のこの遺跡は一世紀後半から三世紀
 前半の弥生遺跡と云われている。手前の小高い山は、孝霊山(751m)という。
 そう言えば第七代孝霊天皇は一書にはこの頃の在位という。古事記によれば更に時代を遡る。
 架空の人物説が一般的だが稲荷山古墳から出土した鉄剣に孫と思しき名が刻まれていたこと
 から、あながち伝説話ばかりではない。西の麓の鬼住山、我が日南町の鬼林山に棲む凶族を
 征伐したとの言い伝えもあり何れの地にも「楽楽福神社」が鎮座し祭神として祀られている。

大山[Daisen]を歩く
天空のたんぼ
日本のマチュピチュ

だいせん南壁

田植前。     2007.5.11
彼方から大山南壁が
呼んでいる。

剣ヶ峰1729m
彌山 1709m

まずは大山の周辺を
ご紹介いたしましょう。

NHK日本名峰ランキング
で富士山、槍ヶ岳についで
全国第三位だった。

日本海に近い独立峰では
あるが、険しい北壁と南壁
西から眺めると
伯耆富士ともいわれる
気品に満ちた姿など
周辺からはいくつもの姿が
楽しめるのも理由のひとつ。

夕暮れ近い大山寺
 鏡ヶ成高原を歩く
 とっとり花回廊  壱
 とっとり花回廊  弐
 蒜山高原で遊ぶ
もうすこし続きます
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10月10日天空のたんぼの稲刈りも無事終わったようです。
今日の散策は大山寺でとりあえず終わりです。
元谷では余り長居をしないよう、中腹の博労座に向けて下山しましょう。
大山寺の境内には「博労市」にまつわる牛の鎮魂碑?が祀られている。
参拝者たちに可愛がられているようで、輝いています。
室町期には三千人の僧兵を抱え、比叡山や高野山と肩を並べたという。
そんな栄華の名残は今はない。木造の僧坊などは廃塵と化したろう。
国立公園の中では一草一木一石たりとも持ち帰ったり、傷つけては
ならない。まして、我が聖地となればなおさらのことだが、
時には、そんなマナーを心得ない輩もいるようだ。
今日は心を落ち着かせて、本堂の裏から夕暮れの気配を
楽しみましょう。 南無阿弥陀仏〜。
今夜は弓ヶ浜の根元にある温泉「皆生温泉」Kaike springなどで
汗をおとしますか...。
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大山寺の牛の碑
ブナ林から
大山北壁
元谷から
元谷から望む
大山の北壁

10月21日 元谷へ向かうみちから眺めた賽の河原 

屋根に杉まで生えて苔むした風格
あふれる神門をくぐると大神山神社
奥宮です。この神門の扉は逆向き
に開く逆さ門ともいわれている。
閂(かんぬき)が外側についている。
1857年西楽院の表門を移築した際
の仕業であると言われるが、何やら
鬼神を封じ込めるような話で面白い。
奥宮は日本最大級の権現造りであり
長廊は東西50m。祭神オオナムチ
(大己貴神)にお参りして、今日は
神社の右奥から元谷へと向かう。
樹齢300年を超えると思われる杉の
林や、ブナ林をくぐるようにして行く。
ここが聖なるマチュピチュだ。

御机から南壁を描く
奥の宮
奥宮から
大神山神社の神門

 
 御机[Mizukue] 標高600m近い天上の田んぼから下界を望む。振り向けば茅葺の小屋の彼方に大山南壁が見える。絵描きもカメラマンも集まる
 ベストスポットです。右は烏ヶ仙[karasugasen]1386mをバックにする日本のマチュピュ。石造りり神殿は無いが天空の農地が広がっています。
 今の世はブルーベリー農園や奥大山のミネラルウオーターを製造する会社が進出している。ほんとうのマチュピチュはさらに奥地に鎮座しているのだ。