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徒然の記
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2010年1月8日(金)
美しさを生み出すもの


今朝NHK「生活ホットモーニング」に吉永小百合さんが出演していた。淡いピンクの和服がよく似合っている。和服が好きで、志村ふくみさんに作っていただいたとのこと。

久しぶりに志村さんの名を聞き
数十年前の読書の感銘が蘇ってきた

京都の染織家
志村ふくみさんは
素晴らしい色合いを私たちに提供してくれる

上品な 淡い それでいてすっきりした
ピンクの織物を見て ある人が尋ねた
「この色は何から採ったのですか」
志村さんはこたえる
「桜です。でも、花びらではありません」

尋ねた人は驚いた。

その色は
桜の花が咲く直前の
幹から採るのだという

きれいな花びらではなく
黒いごつごつした幹
その樹液

さらにその土台には
人の目には触れないけれど
太くたくましい 根

そういう桜の木全体
桜の木すべてが
あの 美しさを 生み出しているのだ

2009年11月3日(火)
初冠雪
2009年10月31日(土)
晩秋・夕暮れの大山
2009年10月22日(木)
根を育てる

「外からは見えないけれど
 根が体を支え、水分・養分を枝葉に送り
 命が成り立っている。
 枝葉の症状は根にありと私たちは言います。
 人間も同じ。
 心根を大切にしてほしいですね。」
塚本こなみさん(樹木医)の言葉

人間も同じ

子ども
点数を人間の上に置くのをやめ
学問の根を育てよう
多くの友達・大人との関わりの中で
心の根を育てよう

大人
子どもと同じ
いくつになっても
大切なのは
学問の根
心の根

2009年9月23日(水)
根性

よく「根性をたたき直す」というが
「根性をたたき直す」ことが
できるのだろうか
短期間で性格を変えることが
できるのだろうか
強制的に性格を変えることが
できるのだろうか
歪んだものにならざるを得ない

「根性が足りない」というが
「足りない」などということが
あるのだろうか
根性はその人の性格であり
足りるとか足りないとか
いうものではない

根性とは
その人の根っことなる性格である
その人が歩んできた
人生そのものがつくってきた性格である
人生に深く根ざした
その人の根本である

どんな人生も
繰り返すことはできない
損得を超え
善悪を超え
かけがえのないものである

2009年9月18日(金)
温泉街


羽合温泉に行った

中途半端な時季ということもあり
宿泊料金は 割安だった

部屋からは 一面の東郷池が 間近に
翌朝には白鳥が私のすぐ側まで

さほど大きくない池だが
それでも1周10q余はある
夕方数q
翌朝1周ジョギングした

池畔は公園が何カ所もあり
よく整備されている トイレもきれい
これなら小さな子のいる家族連れも安心
足湯もゆったり 地元の人たちが朝から利用している

立地を活かした
いい温泉地だ


地元皆生温泉も魅力的
海岸からの美しい景色はいつまでも見ていたい
さらに近年
様々な取り組みがなされている
カヤック エコツーリズム
健康や環境を意識した取り組み
境港や大山・足立美術館との連携等

しかし 何かが足りない
6月のこと
日帰りの観光客が
「土産物はどこで売っていますか?」と地元レストランで尋ねた
店主は「そこのホテルの売店で買ったらいいですよ」と。

ホテル・旅館は宿泊客をすべて取り込もうとする
できるだけ館内でお金を使ってほしい
当然の姿勢ともいえる

しかし その積み重ねが
散策するところの少ない
土産物屋もほとんどない皆生温泉にしてしまったとは言えまいか
皆生温泉では海岸線しか歩けない

私のように
温泉地での散策が好き
という人も結構いる

「こうなればいいな」という私見を一つ
米子道から直結という立地を活かして

米子市観光センターから有本胸像までのメインストリート
距離にして二百メートルほど
ここを山陰の観光物産通りにする
1企業1店舗は負担が大きいということなら
共同店舗にすればいい
品物を手にとって 気に入った人は「本店は?」などと聞いてくる
「本通り商店街にあるんですよ」とこたえる
商店街に足を向けてくれる人も
地元の人も「皆生に行ってみようか」となるかもしれない

海岸線に沿った狭い裏通り
潮騒通りもうまく利用すればいい
三百メートルはある

そうそう
「米子市観光センター」は
「山陰観光センター」に衣替え
山陰の観光パンフレット・お得情報は何でも揃う
利用客のニーズに合わせてプランニングも行う

「山陰に行くならまず皆生温泉に行こう」
そうなればいいなあ

散策できる
温泉街
皆生温泉に


足湯もある米子市観光センター
2009年8月25日(火)
初マラソンの思い出

本当は球技が好き

小学生の頃
近所の子とよく野球をした
中学生・高校生
軟式テニス・バレーボール・卓球と遍歴
体育の授業も球技だと元気に

社会人になってからも球技と思ったが
他の人と時間を合わせることが難しく継続できない

そうしてスポーツから遠ざかった

31歳になったばかりの9月
新聞記事が目に入った
「「12月・フルマラソン大会開催」

そうだ
ランニングなら一人でできる
翌日から走り始めた

1q5分くらいのペースで
週に4、5日 1日当たり5qほど

12月第1日曜日
初フルの日がやってきた

5分(1q当たり)で走れば
3時間半でゴールできる
目標タイムは決まった

30qまでは予定どおり

過ぎて異変が

自分では同じペースのつもりなのに
1q当たりのラップタイムがじりじりと落ちていく
40qを過ぎると
もう歩くような足取り


堤防・河川敷がコースなので
先まで見通せる
2q先にゴールが見える
ラストスパート と言いたいところだが
体も心も限界
ここでやめたい
ゴールが見えているのに
そういう気持ちが

それでも
何とかゴール
3時間56分58秒

「どん兵衛」が渡された
全部平らげると
草むらに体を投げ出した
1時間ほど寝入ってしまった

起きて 人心地ついて
みると
まだ走っている人が

今まで 速い人を見て
素晴らしいと思っていた

5時間も 6時間も
あきらめず
走り続けるなんて

ようやく 立ち上がって
ゴールする人々に声を掛けた
「おめでとう」
わずか10分ほどの間だが
声を掛けた

50回以上フルマラソンを走っているが
初めて走った
この大会を
私は 忘れない

2009年8月14日(金)
つかの間の雄姿

日野川河口付近から大山を望む
2009年8月14日18時半頃
明日はまた不安定だという
今年の夏は日照不足
農作物が心配

2009年8月8日(土)
少年と
午後3時半
炎天下
暑い
木陰家陰を選んでジョグ開始

ほどなく
自転車に乗った10歳くらいの子が後ろから声を掛けてきた

「こんにちは」
「こんにちは」と返す

「何をしてるんですか」
「ランニング。ただ走ってるだけ」
「そうですか」

「秋、冬にランニングの大会があるからね。今のうちに長い距離を走っておくんだ。」
「がんばってください」
「ゆっくりだからしんどくないよ。じゃあね」

1時間余ジョグを楽しんだ
2009年8月5日(水)
梅雨明け

昨日梅雨が明けたらしい。例年よりかなり遅い。

今朝5時半過ぎ外に出ると、霧雨が。

雨は7時前には上がったが、大山は霧中、

何も見えず。何日も大山の全景をみていない。

この霧にすっぽりと包まれて、生命を育んでいる。

やがて、夏の大山が姿を現す。

この雨で

稲もぐんと伸びた

2009年8月4日(火)
気力

気力とは
ただ無茶苦茶に

頑張ることではない


気力とは「気の力」


どれだけ多くの人・もの・ことが

自分の中に住んでいるか

どれだけ多くの人・もの・ことを

考え感じているか

多くの人・もの・ことに支えられて

湧いてくる力が

気力である

2009年8月1日(土)
箱舘山のゆり
この日は、滋賀県北部に大雨洪水警報が出ていた。
湖西線沿いに北上、ロープウェイで山上
へ。
風雨はかなり収まっていたが、ガスが濃く、
眼下の琵琶湖は全く見えず。
それでも、この
ゆりの見事さにはほれぼれ。
2009年7月27日(月)
輝く女性/宮里藍

輝く女性

 夕方6時過ぎ、雨のやみ間を縫ってジョギング開始。いつもの農道にさしかかる。田んぼに女性の姿。年の頃は65歳前後か。梅雨でぐんと伸びてきた稲にまとわりつく雑草を、腰をくの字に曲げて抜いていた。7時前、女性はやれやれという風にあぜ道にあがってきた。

 私は足を止めて声を掛けた「こんにちは」。

 「ご苦労様です」女性は頭を下げた。

 「大変ですね。腰が痛いでしょう」

 「本当、痛いですよ」

 少しの間をおいて私は言った「失礼します」

 今夕出会ったこの女性は、目立たないが大切な業(なりわい)を、毎日黙々とこなしている。


宮里藍

 宮里藍がアメリカツアー4年目にして初優勝。今までの4年間が無駄ではなかった、キャディさん、家族、ともだち多くの人が力になった、そういう趣旨の発言をしていた。そのとおりだと思う。

 宮里藍は優勝という結果が出た。だからそう言える。では、今回優勝できず、これからも優勝できなかったら意味はないのか。意味は薄いのか。

 そうではない。優勝できなかったとしても、そこに意味を見いだし、値打ちを見いだすことこそ、人生の達人といえる。なぜなら、人生には、勝つ負ける、いい悪い以外の価値のほうがはるかに多いのだから。