おしまいに


 わたしがお経を読み始めたのは、多分7歳か8歳の時だったと思う。はっきりとは覚えていない。
ただ、ひらがなを覚えた時期と、そうは変らない事だけは確かだ。
わたしが子供の頃は、毎月1日と13日には信者の人がうちにおまいりに来てて、
お勤めが終るとお供えを皆で分けるのだが、その時に一部はその場で茶菓子にして食べる。
そのお菓子目当てと、廻りの人が「偉いなぁ〜」とか言ってくれるもんで、
ついその気になってやってた訳で動機は極めて不純だった。

 小学校も高学年になると、ついつい面倒になるし、最後の方に入って行っても、
お菓子にはありつける事を発見。
それからどんどんと横着になり、成長するに連れ、どんどんお經をあげる機会は少なくなって行った。
就職してから父親が突然「観音さんをお迎えせぃ」と言い出したので、
それから毎日お經をあげるようになり、更に26歳で鳥取に自分の家を建てて仏壇もきちんとし、
毎日あげるお経もどんどん増えて行った。
最初は 方便品の最初の所、壽量品偈、神力品偈、から觀世音菩薩普門品偈、陀羅尼品の一部と
これだけだったのが、序品の最初の所、提婆達多品、囑累品が加わり。
しまいには、親父に仕込まれながら、毎日 法華経1巻と方便品の最初の所、壽量品偈、神力品偈、
觀世音菩薩普門品偈、陀羅尼をあげるようになる。
その頃はまだ親父も元気で、実家に帰ると法華経1巻(真読)、訓読が少々、お題目、略要品、お題目、
此經難持、御書と1回約2時間から2時間半のお勤めをこなしていた。

 そしてわたしは、その頃に最も多く、いろいろ不思議な体験をした。
一番最初は団地に観音様をお迎えした時、親父が常不軽菩薩品をあげていると、わたしのつい目の前
を常不軽菩薩が通り過ぎていかれたように感じた。その時の感じは今でも忘れる事ができない。
暖かいとは、違う、熱いに近い、ただおそばを通られただけで、自分の中に熱い大きな感動が湧きおこり、
落涙した。このような事がもう一度だけある。
あれは、父の薦めで当時の本能寺官長、青柳日勝睨下を師僧として得度式をした後だった、
お礼とご挨拶に本能寺の庫裏をおたづねし、官主さんの”ほなら、お自我偈でも一緒に”と言う言葉に促せれて、
お内佛で自我偈をあげていた時、突然後ろから優しく衣で覆われて頭を撫ぜられた。
父にその事を話すと、”そうか。。。まぁ〜本能寺にも、徳の高い師僧は多くいるので、
その中の誰かが喜んで出て来てくれはったんやろ。”と言うのだが、
あれはあの時の常不軽菩薩と同じ感じだったと思う。
もしかしたらわたしは仏にお会いしたのかも知れない、もちろんそうでなくただの勘違いかも知れない。

 昨今、佛教や佛様をやたらと宇宙に例え、だから素晴らしいと言うような話を聞く事がある。
わたしに言わせれば、素晴らしいのは佛様であり、宇宙がと言われても大きな感慨は湧いて来ない。
水が昇華して気体に変る事を「沸」と言う。「弗」という字にはそういう意味があるそうだ。
人が衆生の救済を念じ、「我」と言うものをすべて捨て去ってしまった存在を”佛”と言う。
そういう存在以上に素晴らしい存在があるとは、どうしても思えないのだ。
そういう意味で、わたしの出遭った存在は、もしかしたら仏様だったのではと思うのである。

  多少話がオカルトチックになってしまって、申し訳ないがもう少しお付き合い願いたい。
実は、法華経を一生懸命読誦していた頃の不思議な体験と言うのは、それだけでは無いのだ。
これははっきりと夢なのだが、薬王菩薩を見た。
夢なんだけど、例えようが無い程美しかった。皮膚はまっしろでお体にもお顔にも白い産毛のような毛があり、
それが眉間で美しく渦を巻いて立ち上がっていた。
肌は抜けるように白く、白人のような白でも、牛乳のような白さでも無い。
なのに、唇の色は朱を帯びた赤であるが、それも口紅のような色ではない。
透明感がまるで違うのだ。そして眉と髪は、どこまでも黒くつややかだった。

 けれど、わたしが見たのは美しい菩薩や仏様だけでは無い(正確には仏様は見ていない、感じただけ)
所謂、幽霊ってものも結構見た。
あるいは人と話してて突然その人の立て替える前の家が見えたり、
たて続けに知り合いの生まれて来る子の男女がわかったり、
ある時は煙草を吸おうと座った瞬間に白字でUNと書かれた暗緑色のトラックが地雷を踏んで
横転するのを見た事もあった。
あるいは、人と話をしていて、突然一瞬のうちに、これからその人と話す数分の会話が判ったりする事もあった。
でも、そういう時に、判ってる会話の一部分をわざと変えると当然の事として、それから次に話す内容も
かわってしまうって事も判った。

 しかし、どうも、そういう不思議な体験をするのは、わたしだけでは無いようだ。
法華経を一心に読み始めた、言うならば初心者には、良くある事のように思える。
だけど、言いたい事は、ここから先にある。
どうか、そのような不思議な体験に囚われないで頂きたい。
そういうのを自分に与えられた特別な力だと錯覚しては、ならない。
お経をあげる時に、求めて神の声を聞こうとなどとしては、ならないように思う。
ただ、一心にお経だけを心に描いて他の事はすべて雑念と切り捨てる位が良いと思っている。
しかし、お経だけに集中し、他の事は一切頭に思い浮かべないようにしようと言うのは並の集中力では困難だ。
下手をすれな、どこかに行ってしまってて気がついたら1巻終ってたなんて事もある。
雑念は浮かぶ端から切り捨て、ただ一心にお経だけに集中するように意識して心掛けねばならない。
そして、毎日毎日、日常のなかで「善い行い」をしようと努め、
ある時は、修羅に迷い、ある時は怠惰に流されながら、それでも佛を念じ、仏様の心になろうと努力
し続ける事の中に本当の佛教の心と言うものがあるのだと、わたしは信じてやまない。
手の平をかざすだけで、病気をなおせる人よりも、自分を青ぐらい修羅と呼び法華経の心をひろめる事に
生涯努力を惜しまなかった宮澤賢治のような人を、わたしは心から尊敬する。

 さて、わたしの不思議な体験は、仕事の忙しさにかまけ、やれ今日は飲み会だ、出張だ、旅行だと
言うと日々のお勤めを怠けてしまうようになって、どんどんと回数が減り、今ではとんと何も見なくなってしまった。
別にかまわない。先のことがわかると言っても、わたしの場合自分の知りたい事が判る訳じゃなし、
父のようにある程度自分の知りたい事が判るようになっても、常に多少の誤差はある。
未来は変るのだ。人間ごときに未来のすべてが判る筈などない。
そんな不確かなものは要らない。必要なのは信心と信念と精進する気力だけだ。
そして、法華経を読誦し、できれば書写し、意味を考えたり、解説書を読んだり、
あるいは佛教思想の勉強をしたり、
そして、常に心に微笑みをたやさないように、人々の幸せを願ってやまないように。
生きとし生けるものすべての命を尊敬し、尊重し、衆生の佛心に生かされて生きている事を忘れずに、
そんな風に生きようと怠惰で欲深な自分自身と戦い続けたい、そして普通に苦しみながら死んで行けば良い。
楽に死にたいなどと、思わない。病院の一室で皆に面倒をおかけしながら自分の糞尿にまみれて死ねば良い。
或は自分が佛心に適うと信じてやった事の結果であれば、アフリカの奥地で他の生物の食事になって死んでも、
カンボジアのジャングルに首を晒す事になっても、助けてと泣き喚きながら殺されてもかまわない。
どのように死んでも、死に変りはないのだ。生きてる間はどのように生きるかだけを考えれば良い。
わたしにとって、そしてそれはたった一つ、法華を生きる事である。そういう風になりたい。

さて、このホームページの法華経のページは一応これでおしまいです。
法華経のページと言いながら法華経の事を紹介したり解説したりする所の無いページで
本当に申し訳ない。
だけど、法華経は頭で理解するものでは無いのです。
それに、わたし自身いったいどこまで理解してると言えるのか甚だ危うい。
それでも、このページを作ったのは、ひとりでも多くの人に
妙法蓮華經に触れて頂きたいと願う以外には他ありません。

今心より佛心に至るまで、よく保ち奉る 南無妙法蓮華経
 
また、新たに付け加えたい日がくるまで。。。
平成13年9月23日 午後2時55分 めちんこ、こと長谷川 義明。