これを読んでくれた方へ

 

わしゃなんで、こんな露出趣味のようなホームページを作ったんかいなぁ〜って今更思う。。。

一つは自分で商売始めて、「どんな奴かなぁ〜」「大丈夫かなぁ〜」ってお客さんが

心配するかも知れないんで、「いやぁこんな奴っすよ」って言う事もあったんやろうし。

もともとは、会社のホームページを作成する前の段階で練習用に作成したHPの

社長の紹介部分が元になって、いろいろ作り始めた訳だから、やっぱこれは大きいと思う。

 

でも、作ってる間に「そうそうあんな事もあったな」とか、とっても懐かしい思いがして、

作る作業そのものが楽しかったし、「どうせ知り合い以外は誰も見んやろ」とたかをくくってる部分もある。

小さい頃、まだ家にお風呂が無くて家族皆で銭湯に行ってた頃、おかんが良くペチカのうたを唄ってくれた。

「雪の降るよは楽しいペチカ」ペチカってどんな動物だろうと思い、なんとかくペンギンのような動物が

暖炉の前で突っ立てる所を想像した。

風呂屋で親父に「白虎隊の唄うたってくれ」言うたら、ちょっとはずかしそうにしてたけど、

やっぱし覚悟を決めたように大きな声で唄ってくれた。

武庫川に砂取りに行く時、「はぁるの小川はさらさら行くよ」って大きな声で
歌いながら親父の自転車の荷台に乗ってた。

親父が卒中で倒れ明日の命の保証が無くなった時、人工呼吸器をつけた親父に

「なぁあの時の事、覚えてる」って聞いたら、「うん」って。。。。。

小学生の頃、母親は自分の事が嫌いなのだと思い込み自殺しようとした。

高校生の頃、親父に反発し、それから人が信じられなくなり、

何より自分の事がどうしても信じられず自分が嫌いでたまらなくなった。

 

そして、その頃、思い出そうとしても、どうしても思い出せなかった両親の優しかった記憶が、
今は頭の中をくるくる回ってる。

もし、これを読んでくれている人が居て、その人が今でも両親に愛されなかったと言う思いから
抜け出せないでいるなら、

ホームページを作ってその事を書いて見たら良いんじゃないかと思う。

そして出来たら、是非教えて下さい。

自分は振り返って本当は恵まれた環境で育ったんだと思うけど、
本当にそうで無い人もきっとたくさんいるんだろうと思うけど、

やはり人は誰とも暖かい触れ合いをなしでは、生きていけないと思うから、

きっとたった一つかも知れないけど、そんな優しい思い出を見つけ出す事ができたら、
それも確かに幸せだと思う。

2001.01.20