ダ・ヴィンチ・コード公開記念「最後の晩餐」の暗号

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天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼が500年以上前に描いた1枚の絵が、今、注目されている。

“CENACOLO VINCIANO”
日本名「最後の晩餐」

イエス・キリストを中心に、12使徒が描かれている。
向かって左から(頭の順番に)、バルトロマイ、大ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペテロ、ヨハネ、そしてイエスがいて、トマス、小ヤコブ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモン。

過ぎ越しの祝いの晩餐が始まった。
イエスは断言した。
「あなたがたのうちの1人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは互いに顔を見合わせた。

イエスからこの言葉が発せられた直後の、驚き慌てる12使徒が描かれた絵である。
「モナ・リザ」と並ぶ、ダ・ヴィンチの最高傑作。
この絵に、ダ・ヴィンチはある重大な秘密を、暗号にして秘めた、という。
それは西洋史、西洋文化を揺るがすほどの秘密だ、と。

解く鍵は、イエスと、その向かって左隣、聖ヨハネとの間の不自然な空間にある、というのが、最近の説である。
それによって、アルファベットの「M」、そして「V」が形づくられている・・・・

なるほど。

暗号解読好きにとって、解読された事実は意味を持たない。
「解読する」という行為が大切なのだ。その行為の中でも、最終的な解読につながる「鍵」に気づいた瞬間!この瞬間こそが求めるものである。
それは、ある意味、幾何学の問題を解くのに似ている。
1本の補助線をスッと引いただけで、すべてが解けることがある。
求められた答えよりも、問題を解いている最中に、その補助線に気づいた瞬間、それをスッと引くことですべてが解決した瞬間、その快感を追い求めている。

この絵の暗号に挑んだ人たち、その人たちによって導かれた答えの1つが、「隠されたM」「秘められたV」・・・・
なるほど、今、この絵に描かれている「目に見えるもの」だけの情報で、暗号を解こうとしているのだな。

そうではない。
暗号解読に必要なもの、それは「補助線」。
この絵に描かれていないものを付け加えることで、スパッとこの暗号は解けるのではなかろうか。

その「補助線」とは?
この絵には、「あるはずのもの」が描かれていない。
これが「最後の晩餐」なら、テーブルの上になければならないはずの「聖杯」がない・・・・
だとすれば、「補助線」は間違いなく、そこにあるはずなのに描かれていない「聖杯」のはずだ。
では、その「聖杯」をイエスの前に置いてみよう。
いろいろな「聖杯」が考えられるので、いろいろなものを置いてみた。

 

・・・・コトリ。

 

「聖杯」を置いてみた

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おおおっ!
その途端、絵はすべてを物語り始めた。
絵が物語るというより、描かれた人々が、いっせいに喋り始めた!

聖杯を前に置かれた主イエスは、使徒たちにこう告げた。
「あなたがた、これが吉野家の牛丼です。」
そして「お食べなさい」と言うように、左手を広げた。

この一言に12人は騒ぎ始めた。

イエスの向かって右隣、牛丼好きな聖トマス「1人前だけっすか?」と人差し指を立てた。
小ヤコブ「なっ、なぜ牛丼がっ?」と両手を広げ、全身で驚愕を表した。「豚丼ではなく、なぜ牛丼がっ?」と自問自答し、奇蹟を実感した。
懐から財布を取り出そうとしているのが、ピリポ
「お金、払いますから、ギョクつけてもらえません?」とイエスに懇願している。
右端のシモンは、食べたくてしかたがない。しかし、いちばん距離がある。
そんなシモンに対して、心憎い気遣いをみせているのが、イエスから4番目のマタイ
「食べます?取りましょうか?」
彼はきっと、鍋物のときにも、せっせとみんなに煮えた具を取り分けるような人だ。だが、焼肉のときに、「焼けました」と他人のタレの小皿に焼き過ぎた肉を入れるのはやめてほしい。
タダイは、牛丼を食べたがるシモンを止めている。
「でも、あれ、輸入肉っすよ。」
その言葉にシモンは、「それでも食いたいんだよっ!」とムキになっている。

そして、イエスの向かって左側。

端から3番目にいるアンデレが、両手を広げてバルトロマイと大ヤコブを止めている。
「あれは、アメリカの牛肉だから、食べないほうがいいぞ。」
タダイ同様、良識派らしい。
この忠告に、バルトロマイ大ヤコブ「そうだよね」と頷く。しかし、なんとなく、バルトロマイからは未練が感じられないでもない。
問題は、イエスの向かって左隣。
「あたし、牛丼って嫌いなんだよね。」
そう言って、身を牛丼から遠ざけている。
ヨハネだといわれるこの人物が、なぜ女性的な言葉を遣っているのか、はたしてこの人物はヨハネなのか、それとも・・・・
という疑問より、彼(あるいは彼女)が、なぜ牛丼嫌いなのかが大切である。
きっと、長期間、吉野家でバイトをしていたため、牛丼を見るのも、そのにおいを嗅ぐのもイヤになっていたのでは、と思われる。
しかし、この言葉に逆上したのが、ペテロ
掴みかからんばかりのイキオイで、「喰えよ、ごらあっ!」
そのあまりの剣幕に、大ヤコブが止めに入っているほどだ。ちなみにペテロの右手のナイフは、喰えと脅すためではなく、食べやすいように牛肉を切り分けるためだと考えられる。切る必要などないのだが。
ペテロとヨハネ(あるいは・・・・)の間に挟まれて、言葉もなくオロオロしているのが、ユダである。
そんなユダを落ち着かせようと、イエスはパンを水に浸して渡したと伝えられる。
額に当てて冷やせ、という意味だったのだろうか・・・・

せっかくなので、最新技術を駆使して、それぞれの発した言葉を絵に加えてみた。
ついでに最新技術を駆使して、人物を際立たせてみた。

 

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もう、この絵は、そうとしか見えない。
特に、マタイ。


「食べます?取りましょうか?」

誰がどう見たって、「取りましょうか?」以外の言葉は浮かばない。
さすがは、ダ・ヴィンチ!筆の力が最高に発揮されている。

1杯の牛丼を前に展開される使徒たちの人間模様・・・・
だが、なぜそれが「西洋史、西洋文化を揺るがすほどの秘密」だとまで騒がれるのだろうか?

それは騒がれるだろう。
この絵は、イエスが磔刑に処される前日を描いたもの。
イエスの没年は明確ではないが、紀元30年前後だとされている。
すると、紀元30年、西洋ではパンだけではなく、も食べらていたということになる。
いや、それは驚くにはあたらないかもしれぬ。コメも穀物のひとつとして存在していても不思議はない。
だが、よく見るがいい、その牛丼を。
それは、持ち帰り用「牛丼弁当」の発泡系容器ではなく、れっきとした陶器製吉野家オリジナル丼だ!
ということは、ここは吉野家の店舗だということになる。
つまり、紀元30年ごろ、エルサレムに吉野家があった、という事実を物語っているのだ!!
まさしく「西洋史、西洋文化を揺るがす事実」である。

 

【レオナルド・ダ・ヴィンチの暗号】
イエス・キリスト磔刑前日の「最後の晩餐」は、「吉野家エルサレム店」で行なわれた。

 

 

・・・・いい加減にしておかないと、死後、裁きにあう


我々が真の「聖杯」に気づき、その事実に驚愕していると、
さらなる新事実の報告が!

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