ダ・ヴィンチ・コード公開記念「最後の晩餐」の暗号

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「最後の晩餐」に隠された驚愕の事実に我々が戦慄していたころ・・・・
我々とは別の切り口で、「最後の晩餐」の謎に迫ろうとする者がいた。

人には、「可視」のもののみ、重要視する傾向がある。
本来、「最後の晩餐」最大の謎は、あるべきはずの聖杯が描かれていないことである。
一説には、この絵は未完成であり、だからイエス・キリストの表情に力がない、なぜなら描きかけだから、と。
ならば、聖杯もこれから描く予定だったのかもしれないが、とにかく聖杯がないというのはおかしいのである。
しかし、描かれていないものは、決して見えない。見えないゆえに、それがいかに大問題であっても、あまり話題にならない。
逆に、見えているものに「問題」を見つけようとする。

「最後の晩餐」では、中心にいるイエスと、その右、向かってイエスの左側にいる聖ヨハネとされる人物との間の、異様に開いた空間が、まず問題となった。不自然である、と。
そして、次に問題となったのが、その聖ヨハネとされる人物。
イエスの愛弟子であるヨハネは、イエスの胸にもたれかかる姿で描かれることが多い。しかし、この絵では、まったく逆の方向に体を傾けている。しかも着ている服が、イエスと完全にシンメトリカル。そして、なぜか聖ペテロに脅されている。ペテロの手には、ナイフまで握られている。
それ以上に、ヨハネのなんと女性的に描かれていることか!いや、これはどう見ても女性である。
・・・・これが「見えるもの」そのものから得られた「問題」である。
これを解く「鍵」を、やはり「見えるもの」から得ようとし、その結果、導き出されたのが、イエスとヨハネ(仮)とによって作られたラインである。
それが「M」だと。


「2人によって描かれた『M』」之図

だから、ヨハネとされる人物は、「M」の文字を持つ女性なのだ、と。それは聖書にもたびたび登場する、あの女性に違いない、と。

・・・・じゃあ、ヨハネはどこに行ってしまったの?

だが、これだけでは足りず、次の説が出てくる。
謎を解く鍵は、イエスと「M」の文字を持つ女性とによって描き出された「V」の字にある!


「2人によって描かれた『V』」之図

待て待て。
そのラインは、さきほど「M」を導き出すために使いませんでしたか?
そもそも、すべての「M」は、絶対的に「V」を内包していると思いますが・・・・

そんな「可視なるもの」のみによって、世界は今、大騒ぎをしている。

 

絵画の研究では、X線撮影がよく行なわれる。
これにより、通常では見ることのできないものを「見る」ことができる。
それは、下絵であったり、書き直しや修正の跡であったり、ときにはキャンバスが使いまわしであり、名画の下に別の絵が描かれていたという事実が現われたりもする。
ダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ」も、X線撮影により、「下絵」の存在が知られることとなった。
この下絵を、なんの知識もなしに見た人たちが、皆、口を揃えて「イエス・キリストだ」と言ったという事実は、いったいなにを物語るのか・・・・

 

さて、この研究者、わけあってその名を明かすことはできないのだが、彼も、不可視のものを見る努力をしていた。
やはり彼も、イエスの向かって左にあるあの不自然な空間に注目していた。現在は不可視であるが、かつてはそこになにか描かれていたのではあるまいか。
そんな考えの下、彼は、ある特殊な光線、わけあってその光線の種類を明かすことはできないのだが、そんな特殊な光線を「最後の晩餐」に照射した。すると、「下絵」らしきものが浮かび上がってきたではないか!しかも、例の不自然な空間ではなく、別の場所に。
撮影に成功した衝撃的な画像の1枚目がこれである。

向かって左から2人目、大ヤコブの位置に、大ヤコブとは明らかに違う人物がいるではないか!

今、「1枚目」と言わなかったか?
そう、彼は、光線の波長を微調整しながら、何枚も撮影を行なった。
ある波長で、こんな奇跡的な画像が写った・・・・

そんなバカな・・・・
愕然としつつも、さらに波長を微調整すると、ついに、

» 絵を拡大する

いるはずのない人物が・・・・
「M」の文字を持つあの女性以上に、いてはならない人物が・・・・

なにかの間違いに違いない、と、彼は画像に特殊なコンピュータ処理、わけあってその処理方法を明かすことはできないのだが、そんな処理を行なった。
その処理によって、描かれた当時の鮮明な色彩が再現された。

» 絵を拡大する

もはや、疑いの余地はない。

現在、大ヤコブがいる位置、そこにかつて描かれていたのは、アナゴさんだ。

となると・・・・イエスとヨハネ、あるいは「M」の字を持つ女性、ええい、アナゴさん出現の前には、ヨハネでもマグダラのマリアでも、男でも女でもどちらでもよい、とにかくこの2人によって描かれたラインは、やはり「M」だということになる。
「M」はもちろん、「Masuo」の「M」だ。

アナゴさんは「サザエさん」の中でも、極めて謎の多い人物である。
「M」であるマスオが勤務する海山商事で、その隣の席にいるのがアナゴさんだ。
極端な恐妻家で、アナゴさんには似ていない小学校低学年の子どもがいる。
・・・・わかっているパーソナルデータは、これぐらいしかない。
なんと、フルネームすらわからないのだ。
その恐妻家ぶりのエピソードは多く語られている。そのせいか、奥さんについては、その名を「穴子 タカ子」といい、上州、すなわち群馬県の出身で、気が強く、かかあ殿下、というプロフィールが紹介されているのに、アナゴさん本人は名前すらわからない・・・・


穴子タカ子さん

たった1つだけわかっているアナゴさんのパーソナルデータ。
それは「27歳」という年齢。

なんだ、歳下だったんだ。
その風貌から、なんとなく「アナゴさん」と呼んでいたが、実は「アナゴくん」でよかったんだな。

早とちりしてはいけない。
この絵に描かれているということは、紀元30年ごろ、既にアナゴさんは27歳だったということになる。
やはり「アナゴさん」なのだ。

しかし、どうにも気になるのは、アナゴさんのフルネームである。
ここで、他の研究家たちの説に耳を傾けてみよう。
彼らは、「最後の晩餐」に、「M」と「V」が隠されていると言う。
「M」は「Masuo」の「M」。
とすると、「V」は?「V」は、なにを意味するのか?
もしや、アナゴさんの名?
アナゴさんは、「V」で始まる名前の持ち主だということを、レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」に暗号として描き込んだ・・・・名前そのものは明らかにされていないが、手がかりを掴むことはできた。

 

【レオナルド・ダ・ヴィンチの暗号】
アナゴさんのイニシャルは、「V.A」

・・・・ずいぶんと日本人離れした名前だ。

 

 

・・・・本当に、いい加減にしておかないと、死後、裁きにあう


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