維新・町屋編

清水寺…観光シーズンと重なり人々の間をくぐりながら坂を登り、清水寺に着きました。まず始めに、清水寺随求堂の胎内めぐりをしました。中は真っ暗でなにも見えず、壁にぶつかりながら、ただロープを伝ってひたすら進んで行き、やっとのことで暗闇の中で見える一点の光には、日ごろ感じない自然の力や身体の大切さを感じることができます。続いて、一般的に清水寺から連想される『清水の舞台』にたどり着きました。

さすがに観光名所と言われるだけあり、その眺める京都の絶景に酔いしれながら、今更ではありますが、清水寺を建築した当時はもちろん現代の建築技術や設備機器も無かった訳で、その時代の人々の技術を駆使し、木造にてこの舞台を支えている技術のすばらしさにただただ感銘いたしました。

 

角屋…江戸時代の代表的なもてなし・宴の文化の場である『揚屋建築』の唯一の遺構を伝える貴重な建物です。
入り口を入ると、まず玄関のとなりにとても大きな台所があり、ここで歴史的な名勇達が毎晩のように繰り返していた宴の料理を作っていただけあって、とてつもなく大きく、今ではさすがにその強度を支えれなくなり、梁から補強をとってありました。そんな台所から出てくる料理をもてなす宴の場が沢山あり、まず大屋敷の『網代の間』は天井板を網代組にしてあり、釘隠しには銅製金という造りなどの工夫、又、大座敷から見る庭には、茶室などを用意された日本庭園など、様々な趣向きが用意されております。2階に上がれば、襖が蜀江形の緞子張りの『緞子の間』、天井に五十八枚の扇面を張り交ぜている『扇の間』、天井や障子が桧垣組になっている『桧垣の間』、異国情緒あふれる豪華に青貝をちりばめた座敷『青貝の間』など、それぞれの間が空間二より別々で存在するように造られ、お客をあきさせない工夫が凝らしてあり、当時の人たちの心意気みたいなものにふれられたような気がいたします。ひとつ疑問に残ったのは、縁側部の廻り縁が非常に大きいわりに、支える柱が一本もないことです。見学したメンバーではこの疑問が解けませんでした。誰か知っている人がいれば、教えてください。

化粧梁が宙ぶらりんなぜでしょう?↑

寺田屋…坂本龍馬が薩長の連絡の為に利用していた、京都の舟宿です。龍馬や維新を語るうえで避けられないこの『寺田屋』なのですが、想像してたよりも小さく宿泊場という印象でした。
中に入ると、さすがに歴史的な名勇たちと維新を駆け抜いただけあり、歴史的な物が多く展示してあり、ただ拝観するだけでもかなりの時間がかかります。もちろん当時の、『寺田屋事件』を語る弾痕や刀痕ものっこており、維新に命を懸けてた人々の攻防の凄まじさに少しだけ触れたような気がしました。この旅館は今も7000円(一泊朝食付)にて、泊まれる現役旅館です。ひょっとしたら、夢の中で龍馬に会えるかもという淡い期待も膨らむので、維新や龍馬に興味のある方は是非ご利用してみてはいかがでしょうか。


←坂本龍馬が泊まったお部屋です。意外と質素。
  幕末にタイムスリップできます。

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お風呂も幕末時代そのままです。

「繭」丸益西村屋…旅の最後に、京友禅染物体験をして参りました。こちらのお店は、実際に京友禅染物を体験できる場所で沢山の人が店内で店主さんに教えていただきながら、様々なテーマで染物を創作しており、店内の壁には今までの来店者の感謝状が壁一面ぎっしり埋まっていて、中には外国の方のものまでありました。早速、それぞれテーマを決めて染物の創作にとりかかったわけなのですが、恥ずかしながら自分に『染物』という認識が無く、その場で考えて作ったものなので恥ずかしいものしか作れませんでした。しかし皆さんは時間が少ないながら、染物の着色・デザイン・使用用途まで考慮され、時間ギリギリまで創作に没頭され、その結果とても素敵なものを作られていました。是非興味のあるかたは、見させてもらってください。京文化に手軽に触れられ、なおかつ世界でたった一つのオリジナル作品が作れる「繭」丸益西村屋。京都に行かれた記念によられて、形に残る思い出をつくられてみてはいかがでしょうか?


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じゃんかるろ作! ちょっと悔しいけど綺麗に出来てます。
グラデーションテクがGOODですね♪

← K12作! 大きく見せれません(^_^;)相変わらず不器用です。
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