陶器
縦  30cm
横  18cm
奥行 14cm 
 クローズ間際のプライスダンを狙い、最終までアンティークショウの会場で粘った挙句、表情の愛らしさに惹かれたふくろうのジャーを手に入れた。そして外へ出てみたら、急速に宵闇が迫っていた。タクシーを呼ぶが埒があかない。通り掛かった職員に頼むと手配するから建物の反対側へ廻れと言う。
 会場であるEXPOセンター。道路の横は堤防になっていて、流れているのは大河コロンビアリバー。対岸はワシントン州で、こちらオリギャン州との州境になっている。
 廻りは日暮れの広大な公園、沼沢池やレース場が広がっていて、車で来ていた連中が駐車場から引揚げてゆくと人気が絶えて不気味だ。心細くなってタクシーを待って居たらこげ茶のスクールバスが止まった。
 土・日に跨るアンティークショウ。2日目の日曜は市バスが運休するので、スクールバスが最寄りのバス停まで送迎フリーのサービスをしているらしい。白い口髭の運転手が、これが最後だ。乗れと言う。バスはEXPOセンターを後にルート5に乗り入れた。ご存知、シャローからシスコに通じる幹線道路である。
 何を手に入れたんだ?と、運転手。アメリカ流の無造作にくるんだ新聞紙を広げて見せると、ジャーか・・・、昔は何処の家にもあったんだ。女房が子供にクッキーを焼いて入れていたが、今じゃ見かけないよ。
 生活様式の変化は恐ろしい。人の温もりなんて惜しげもなく捨て去って、味気ない利便性を選ぶ。<何処から来たんだ?>と言うので、日本から。<ポーランが好き、アンティークショウ好きだ>と答えると、彼は笑いながら<ホテルは?>と聞く。ロイセンターに近いホテルの名を告げると、眞逆の眞逆!ラッシュアワーの中をサンディブルバードストリートに折れ、ホテルに横ずけにしたのだから驚いた。
 たった一人の日本人の為に35分も掛けてスクールバスを走らせるなんて!これが日本でバれていたら大変な騒ぎになっていたに違いないが、あっけらかんとしたアメリカ人の心の広さ、国土のデカさもさることながらアメリカという国は大きいなぁと、このジャーを見る度に思い出す。政治なんてものは抜きにして、人間同士の付き合いは本当に楽しいものだと思っている。


2



ふくろうと私との出会いは,?十年前に遡る。
大阪梅田の阪急百貨店。確かその頃5階にあった古美術街のとある店先で私に呼びかけて来たのが、木彫りのふくろうである。松材のしっかりしたタッチで存在感がある。5百円だったか千円したか忘れたが、学生の身には大金。暫く小遣いに不自由したに違いない。以来,私の身辺にあって女房殿との結婚生活よりも長い交際いである。
日本でふくろうブームが始まったのは、私見に依ればかれこれ30年前になる。最初に入ってきたのが南米産、硬く引き締まった焼け具合のシャープな感じがするペルーのふくろうである。そして黒陶で焼かれたメキシコのふくろうやパイプ。次に何よりも圧倒的な数量でドカッとなだれ込んで来たのが木製・陶器・鋳物.製の中国産ふくろうである。
やがては続々と台湾,タイ、印度,パキスタン、スリランカ,バリ島、フィリッピン等の東南アジア系。欧州からはイタリー・スペイン・イギリス・ドイツ。スエーデン。更にはアフリカ、オーストラリアがあり,カナダ産等等、枚挙をいとわない。
そして、アメリカのふくろうに出会うために渡米した挙句、オリギャンコーストのリンカーンシティから18体のふくろうを取り寄せたこともあるほどふくろう熱が昂じた時期がある.。兎も角ふくろうを見たら素通り出来ない。持ち合わせが無ければ取り置きして貰わなけれが落ち着けない。
ふくろうは人間との営みもかなり接近した交わりを持っている。ギリシやでは神の使いでありコインにもなっているが、中世の魔女裁判や時代の流れのせいで忌み嫌われたりもする。日本でも梟首だとか梟雄などとおぞましい表現に使われもした。人間の勝手で随分ふくろうは迷惑を蒙って来たわけだが、今や<ハリ―ポッター>の出現で面目躍如、一躍人気者。喜ばしい限りである。
ペンシヨン裏の雑木林。ふくろうが棲みつくような洞のある巨木は無いが、雨もよいの夜にはよく来て鳴く。雄は概して小声で応えるが,ギヤッオゥー!と圧倒的な叫び声を放つのが雌である。金切り声で相手を威圧して我が意に従わせる術を身につけ優位に立つ女性は偉大なるかな……




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ふくろうと私
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